M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第973号(2024.01.15~01.21)〜人生の決定要因は……?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ715

〜人生の決定要因は……?〜

 私たち人間の運命を決定する要因は何だろう?と、真剣に考えた時期があります。その解答は「性質・環境・制度・編成」という四つの要因が関与しているという答えを得ました。それは四十歳を過ぎた頃でした。もっと早くこの事に気付いていれば……。
 今、私に大きな影響を与えてくれた方の一人、(故)大川進一郎さんの事をこの紙面に認(したた)めていますが、氏を観察していてある日ハタと気付きました。
 運命の決定要因である「性質」は、自分自身の中、しかも無意識の中で定まってゆきます。故に性質を“演出”することは不可能だと私は思います。
 また二つ目の「環境」も、その人間の生い立ちや生まれた場所(国や地域)が直接影響しますので、これも創り出すことは不可能に近いのです。
 そして、三つ目の「制度」(その時節の社会の決まり事)も、その時代その時代の在り方がこの国や自治体の統治者によって定められるので、これも意のままになりません。
 そして最後の「編成」も、そこに存在する“出逢い”によって決定される事項です。これらは、自分の側だけの意志ではどうにもなりません。相手との双方の関係性から生まれるものです。
 従って、我々人間の「運命」は、“私たちの側に決定権はない”と言っても過言ではありません。言い換えますと、そこには我々の運命を決定する何かの要因(たとえば神や仏)が存在して、我々の意志が届かないところから定められていると私は考えます。
 ですから、大川進一郎さんの性質は氏自身が意図的に創り出したものではないと思いました。だからこそ、私が大川氏に対してレッスンをしていた(レッスンですから出来の悪いところを示唆してゆき、私も嘘、隠しなくそこを指摘する)時も、氏は真摯に真顔で向かってくるのです。“性質”は「一事が万事」で自分自身の意志では自由になりませんので、それに立ち向かってくる大川氏の態度は氏の人生そのものの姿であると私は感じました。
                                        
★★「性質」は一事が万事に影響を与える★★
 ですから、クラリネットに対する“姿勢”そのものが大川氏の経営姿勢であり、且つ、氏の生き様も同じなのです。残念なことに晩年にパーキンソン病に罹(かか)ったときも、自由にならない身体をモノともせず、取材に来たテレビ局のディレクターの前で、積極的に自分の経営する企業(大川創業)の喧伝だけではなく、ズッと抱き続けていた大川管弦楽団(仮称:自社の中に劇場を作り、夜はオーケストラ団員として、昼間は併設した所で軽作業をすることでギャラを確保)の夢を語っていました。多くの人は、氏の大言壮語から「世紀の大法螺吹き」と思っていましたが、私はその“嘘くささ”をもってしても「自分の夢を叶え、世の中に埋もれている才能を発掘しよう」と、全く外野のことは気にせずに(内心はムカついていましたが)前進する方で、その生き様は我が師匠・宇宿允人先生同様、怒濤の人生を歩んだのだと思います。
 この紙面で大川氏のことを書いているのも、このように壮絶な人生を歩んだ方を埋もれさせたくないという一念からです。よくよく考えれば、自分から進んでそのような希有(けう)な性質を持った方に接したにせよ、そういう方との“出逢い”がなければ恩恵に浴することはできません。ここにもやはり不思議な“縁”のパワーが働いているのだと思います。そのパワーの根柢にあるのは、今津中学校吹奏楽部の得津先生、私に音楽そのものの読み解き方(解釈)を教えて下さった宇宿先生、そして、この世には成功する人間にはそこに法則性が存在することを教えてくれた大川氏が共通して持っていた「夢見る心・感受性・そして、それに付随する気概」をたじろがず、勇気と希望を糧として堂々と邁進して行く姿を私に示して下さったのです。
 このように言えば「格好良い!」の一言ですが、これら三方とも“苦”の連続の人生であったと推察します。しかし、そのようなことを微塵も感じさせず、歯を食いしばって、それこそ「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」自分の人生を完遂されたのです。
 私にとって幸せなことは、そのような偉大の方々の生き様を、ある時は共に、ある時はその内実を感じられる位置で垣間(かいま)見ることを許してもらえたことでしょう。
 大きな夢を実現すると言うことは、大きな“苦”を背負い込むことです。怠け者には到底真似の出来る所行ではありません。しかし、眼前で歯を食いしばって自分の意思を完遂しようとしている人生の先輩方の生き様に出逢うと、何の意志を用いずとも自然とその足跡を辿るようになります。これらの感化こそ幸福そのものだと私は感じています。
 人は、生きているだけで“苦”に塗(まみ)れます。そして私は、それから逃れるには(体験はしていませんが)、“死”以外にないように思います。ならば先哲たちに見倣って、後進に感動や感化を与える人生を歩むのも素晴らしい選択肢だと私は最近思うようになってきました。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/