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今週の喝 第370号(2012.5.21〜2012.5.27) この世は全て催眠だ(112)〜苛政は虎よりも猛なり〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(112
〜苛政は虎よりも猛なり

 「凡人六原則」の通り行動している人は、単純に人から疎ましく思われます。しかし、人間にはそのような人が上司であったり、利害関係の対象であったりすると、その人の不快さについて言及したり触れたりすることは“絶対”と言って良いくらいありません。つまり、実質的に孤立するのです。
 古来より、「苛政(かせい)は虎よりも猛なり」と礼記(中国の書)にあるように、過酷な上司(周りのことを考えない人間)の方が、猛獣の虎がいるより迷惑な存在です。だから、傲慢で周囲のことを考えない強欲なまでのリーダーに物申す人は何処にもいません。
 しかし、誰も何も言わないと云うことは、勝手都合の考えからは「私は正しい」と解釈してしまいます。これこそ、判断の根本的誤りの始まりであることに気付きません。ですから、周りがモノを言わなくなったら、それは正しいのではなく、もう手の付けられないほどドグマ(独善、自分勝手な行状)に冒されていることを知らねばなりません。
 人間は人に指摘して貰って初めて気付くように出来ていますので、自分自身を知ることはすこぶる難しいのです。
 例えば、傲慢社長に物申すときは、馘首(かくしゆ)(首を切られること)を覚悟がなければ、言った方が大変な目に遭います。しかし、傲慢社長の側は、自分が傲慢性を振りまいていることなど、微塵も気付きません。凡人六原則の「私は正しい」と言う観念は、このように、全く無意識の中で形成されてゆくのです。そして、その傲慢が、いつぞや「信念」に変わり、部下や身分の低い者にとっては、手の付けられないものに変質してしまいます。

=戦争や経営は理性で行わねばならない!=

 京セラ名誉会長・稲盛和夫氏は、物事を計画・立案・遂行しようとするとき、常に瞑想状態に入り、「動機善なりや?私心無かりしか?」と問いかけると言っておられました。どんなに素晴らしい経営者であっても、常勝将軍になれば人間である以上、必ず傲慢性が顔を出し、苛政を強いることがある……そんな自分を常に戒めることを物事遂行の心柱としたのです。そしてこの慎重さが、本物の常勝をもたらすのです。
 戦争や経営が欲望や感情で行われたとき、そこには悲劇の渦が多くの弱者を飲み込んでゆきます。だからこそ、自分=私心を統御する難しさを知らなければなりません。孫子も
   「彼を知り、己を知れば、百戦危うからず」
と喝破するように、自分自身の心の中を明快にすることの難しさは、並大抵のことではありません。
 大宇宙に広がる天体の謎を究明する天文学は著しく発展しても、地球の内部を計る地質学はいつ地震が起こるかと言うことすら正確に予知出来ないように困難です。同様に、人間も外側(他人)を観察理解出来ても、自分の心は掌握出来ないのです。だからこそ、瞑想という凡人にとって非常に困難な自己統御術が必要になってきます。しかし、これこそ、軽薄短小から発した傲慢性をもつ人間には、面倒くささの極致です。従って、長続きしないか、権力や権利でもってそれを払拭してしまって、ことの収束を求めます。
 また、孫子に
   「正をもって合い、奇をもって勝つ」
とあるように、戦いは、当初は正攻法で攻め、機が熟したら敵が思いもよらない作戦で一気に勝利へと導くのが最善です。文字では簡単なこの格言も、実際に考えると、“相手が思いもよらない作戦”を発案する能力はどこにあるのでしょうか。正しくは、相手が「思いもよらないこと」は、自分にも「思いもよらないこと」です。
 さて、その解答は天文学同様、外から観察すると意外と正確に物事が見える所にあります。ことわざに「傍目八目」とあるように、側で見ていると意外と正確な判断が出来るのです。従って、他人に自分の所業をじっくりと観察して貰い、その判断をしっかりと自分の行動規範にすれば良いのです。そのような役割をする人のことを“幕賓(ばくひん)”と言い、最良の知恵袋となるのです。
 しかし、この幕賓も傲慢な態度や権力志向の人間の下には集まりません。集まるのは常に奸臣(かんしん)たちです。中国史をひもとくと、大権力を擁した国家が栄枯盛衰の憂き目にあるその根本原因は、皇帝や大王の人格の無さに端を発し、「美姫(びき)と奸臣(かんしん)」によっておかしくなっています。美姫とは、文字通り美しい女性のことで、その女性にうつつを抜かし、その言いなりになっていると物事が正しく見えなくなります。また、奸臣(かんしん)はゴマすりの部下のことですから、物事の正否にかかわらず、奸臣(かんしん)自身の都合と事情で接してきますので、やはり政治は歪んでしまいます。
 傲慢さが、奸臣(かんしん)を生産するといっても過言ではありません。つまり、傲慢と奸臣には類項作用が働いているのです。と言うことは、奸臣が権力を握ると、傲慢になり、再び奸臣を生み出すという悪のサイクルが始まるのです。
 さて、あなたがもし傲慢人間になっていたなら、あなたに対して周りの人間は“快”を与える言葉や行動で飾り立てるでしょう。また、あなたが清廉で摂理に対して正しい行為行動を取る人間なら、これもまた周りの人間は、あなたに“快”の言葉や行動で迎えます。
 さて、あなたは、どのようにして、この判断をしますか?


この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/