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今週の喝 第882号(2022.04.18~04.24) この世は全て催眠だ(621)〜今回の災難は、私の人生に絶対的に必要な要素!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(621

今回の災難は、私の人生に絶対的に必要な要素!

 まだまだ不確定ではありますが、養生も二ヶ月を過ぎると身体は鈍(なま)り、脳思考は理論の中でもマイナスの方にばかり片寄ります。この時節になって「マイナス思考」の実態を体験するとは思いませんでした。
 “心身一如”とは良く言ったもので「健全な肉体に健全な精神が宿る」ことは論理的には理解していても、実体験すると一人ベッドで迎える「夜の恐怖」や、自分の頭脳の中で自分自身がドンドン打ち消して行く「夢や希望」に対する否定思考との戦いは、この時節になって実体験できているのを神さまに感謝しなければならないのでしょう。
 私の今までの人生は、何をやってもイケイケドンドンでした。そしてその上げ潮に感謝すれども、浮ついた感謝であったように思います。例えばこの紙面でも書き綴ってきましたが、子供の頃から色んな事故や怪我、病気を患った時も、祖母(芳枝)の祈祷や、それこそ父母を含む多くの人達の縁(出逢い)で細々と繋いできた生命であることを「マイナス思考」の中より“幸運”を見つけ出した次第です。従って、冷静になれば、この暗澹たる気分になったからこそ「今、自分の置かれている立場そのものが、気付きへの通過点」であるように思えるのです。これも、実際に体験していない人にはいくら声高に言おうが書こうが伝わらないでしょう。
 現在、自分が置かれている立場は、決して明るいものではありません。私たち人間は、明るい人生は“素晴らしい”もので、自分に対して都合と事情がそぐわなければ、“心を暗くする”イヤな事象だと解釈してしまいがちです。しかし、冷静に(ゲシュタルト的に)判断すれば、私に今降り掛かっている厄災は、私の人生にとって必要不可欠な体験なのでしょうね。

 

★★“病”に罹る真の意義!★★
 今を去ること2月8日、名古屋のロイヤルパークキャンパスというホテルで思考・論理が整合化できない状態になりました。その夜、ある人から相談事を頼まれていたのは頭の片隅にあるのですが、本来なら私の頭脳はその事象に向かってフル稼働しますが、不思議です、心地よい睡魔と疲労感が私を襲い、連絡する事すら(失礼ながら)「どうでもいい!」と言う気持ちになり、そのまま意識が途絶えました。
 その3日ほど前から、自分でも「頭脳で考えていることと、言葉が全く合わない」のです。周囲の研修先の方々もそれは気付いて下さり、「ウメタニはおかしい!」と感じて下さったと後日伺いました。
 そして翌日の朝、私から連絡が無いことを不思議に思った秘書の岡田恭子女史がホテルに連絡して部屋に来てくれ、「今日からのスケジュールは総てキャンセルするから、今から西宮に帰ろう!」と声をかけてくれたことは明快に覚えています。そして朦朧とした中で新幹線に乗り、新大阪まで連れて行ってもらいました。その時、不思議に感じたのは、思考停止に近い状態になると、眼以外の感覚器官がやたらと冴え渡るのです。つまり耳・鼻・舌・身・意が敏感に周囲を察知しようとするのです。確かもの凄く「喉が渇いた!」感覚に襲われ、スジャータアイスを一つペロリと食べてしまったと後に聞きました。
 その時も、新幹線パッセンジャーサービスの売り子の女性の匂いは、今も強烈に覚えています。(決して私が女性好きだからといった浮ついた事からではありません)。逆説的に思考すると、一番情報量の多い“眼”が虚ろになると、他の感覚器官が活性してくるのです。ですから、嗅覚や味覚が敏感になると生命の危険が迫っていると考えても良いようです。
 そして、新大阪でキョンちゃんから我が妻裕子に引き渡された私は、家の近所の脳神経外科の町医者に連れて行かれ、そこで「脳梗塞」と診断されました。その時の看護師さんのもシッカリと覚えています。そして、「我が医院では手に負えない」と主治医の先生が判断して、嘗て心臓血管に“ステント”を入れた渡邉病院に運ばれたのです。そこで、もう一度精密に検査をして“CORONA陽性”というを聞きました。
 そこから、CORONAで脳梗塞併発の患者を受け入れる病院探しがスタートし、大ラッキーにも隣町の「兵庫県立尼崎総合医療センター」に運ばれたのです。その途中でも、救急隊員が「お名前は?ここは何処?何故救急車に乗っているのか分かりますか?」など意識を確かめるための質問を矢継ぎ早にしてきます。しかし、意識が朦朧としている私は他の器官は冴え渡っているので、うるさくってたまりません。そうこうしている内に、尼崎総合医療センターのICUに運ばれました。
 私はここのICU(救急治療室)に3日程度いたように思っておりましたが、今振り返って計算すると6日もいたのです。私たちの感覚器官は、一つが覚束なくなると、必ずそれをフォローする役目の機能がケアしてくれることを実感しました。
 と、まあ偉そうなことを言っておりますが、重度の肺炎も併症しておりましたので、人工呼吸器を挿入することになりました。これが今回の病床では一番苦しい思いをしました。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/