M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第811号(2020.11.2~11.8)この世は全て催眠だ(552)〜今、振り返ると!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(552
今、振り返ると!

 私と浅井芳子さんの違い……それはあまりにも違いすぎる境遇から始まります。今迄もずっとこのコラムに登場してきた、我が父郁郎(いくお)は、何の悪気もなく私の音楽への情熱を阻止してきました。お年玉を貯めて初めて買った交響曲「新世界より」のレコードが高額であると言うことから、延々3時間近く説教されたのが小学校4年生の時です。
 そんな反対があったからこそ、私の音楽への情熱は燃えたぎったのだと今振り返ると思います。「アカンタレ」であった私は、親と諍(いさか)いをもつなどと言う勇気は全くなく、むしろ逃げ腰で自分の世界を作って、悔しいときや悲しいときはその自分の世界で遊んでいました。ドヴォルザークの「新世界」も、それこそポータブルプレーヤーで、レコードの溝がすり減るまで聴きました。
 この反芻のお陰で、小学校の音楽の成績は、縦笛の演奏が上手くゆかず「中の下」でしたが、新世界交響曲は全4楽章が完全に私の脳味噌を席巻し、クリック音(レコード独特のプチプチという雑音)の位置まで頭に刻みました。
 そして、音楽への情熱が中学校の入学式の当日に爆発し(アーカイブを参照※クリックで関連記事を表示)、「テニス部に入れ!」と事前にラケットまで買ってきた父の意向を完全に逆らった形で、吹奏楽部の門を叩きました。今振り返れば、「畳屋の後継ぎを失う」と感じた父の直感と昔気質の性質が相まって、“威嚇による強制”へと走ったのでしょう。父の「成績が下がれば退部!」を条件に吹奏楽部に入り、割合と後の入部であったため、欠員はフルートしかなく、フルートパートを担当することになりました。
 第一印象は、縦笛が下手なのに、それが横になっただけ……しかし、父の反対がキツかった所為で、入部の歓びも一(ひと)入(しお)でした。今振り返ると“退部”という脅迫で勉強にも励むことが出来たのです。良い格好を言うと「アカンタレから反骨精神が生まれる」土壌を耕してくれた結果になりました。

 

★★素晴らしい音楽、美味しいご飯、楽しい会話★★

 一方、浅井芳子さんは生まれてすぐに音楽的才能が開花し、生家も裕福な造り酒屋さんで、ご両親もその才能を見抜き、バッチリと英才教育をほどこされ、本人もその敷かれたレールの上をひた走り!日本の音楽教育の最頂点を目指した真の優等生でした。
 さて、出逢いからまだ5日しか経っていないにもかかわらず、奈良は大和郡山のお家に招待され、駅まで迎えに来てくれた浅井さんに再会したとき、自分が持っている全てのフルート小品の楽譜を見せて、
 「今日、この曲全部伴奏して下さい」
と、何の衒(てら)いもなく開口一番言ったのが懐かしい思い出です。
 浅井さんのお家(お屋敷?)は酒蔵「友雀」の隣にあり、中庭のある奈良独特の風流な佇(たたず)まいでした。そこで、4時間ほど夢中になって浅井芳子さんとアンサンブルを楽しみ、最後に今度の労音コンサートで演奏する、バッハの「管弦楽組曲第二番ロ短調」を伴奏して貰いました。ハッキリ言って、東京芸大の超秀才に伴奏をして貰って思う存分笛を満喫したと同時に、浅井さんの音楽に向かう姿勢が、私の中学時代の体験とダブっていることを感じたのです。それは、絶対にミスが無いというより、
 「初見とて間違わないゾ!」
という、闘争的意気込みがあり、鬼気迫るものを感じたのです。しかし、私も“同類項”でしたので、それがまた気持ち良く感じたのです。
 そして、ご両親、弟さんを交えて夕食をご馳走になりました。ご家族には、私の印象をシッカリと伝えていた様子で、ガラの悪い西宮市今津の地から来た二十歳(はたち)の人間を心から興味深くもてなして下さいました。特に気さくなお母さんは、お金持ちの鱗片も感じさせない方で、ズバズバ私に感じたことを話してきます。
 「あなたのフルート聴いてましたけど、楽しそうに吹きはるね。芳子が、宇宿先生のレッスンから帰ってすぐに、私と全然文化の違うフルーティストに今日出逢った。その人は、“一回だけの注意で先生の音楽を理解する天才や”言うて、えらい興奮してましたで」
 この後、私はご家族に自分の生い立ちを話し、人間の心を揺さぶる最高芸術である音楽を競争心に置き換えた結果の「涙の仙台コンクール」の話。そして、3ヶ月前の宇宿先生の初めてのレッスンの模様など、自分のことを素直に言葉に出来ました。すると、
 「梅谷さんは、芳子のピアノどう思てはります?」
と単刀直入な質問です。私は素直に
 「私の憧れです。本当にすごい方です。失礼やけど感性が私とよく似てるので昔から一緒にいるみたいです。そして、そんな人と逢(お)うて一週間も経(た)たへん間に、こんな嬉しいことしてもろて……有り難いと思てます。これから、僕は“浅井先生”と呼ばして貰います。そしてもし、浅井先生が何かに迷てはるんやったら、ようけ(沢山)の先生の立派なレッスンを受け過ぎたんとチャイますか?僕にも中学の時やけど、そんな体験があります。それに、宇宿先生には、つい一月前に中学校の教室で笛吹いてて、拾われたばっかりですから……」
すると、必死になってピアノと取り組んできた浅井芳子先生が、
 「あなたは宇宿先生のレッスンをどんな気持ちで受けたん?」
 「それは、ただ憧れのすごい先生が私の前にいて、ごっつい上手なピアニストに出逢えてムチャクチャ感動したから、単純にこの宇宿先生しか居(い)いひん。この先生の言わはることがたとえ間違ってても、僕が感動する音楽を教えてくれはるんやから絶対について行こ!と決めただけです」
 すると、それまで沈黙を守っていたお父さんが、
 「あんた、すごい子ぉやな。商売の極意やがな。いっぱい勉強するより、一つの憧れに向こうてゆく心が大事や。あれやこれやとようけ見たら迷うだけやからな。私もこの味や!と思て友雀(酒)作ってきたからなぁ」

 こんな会話が最終電車まで続いたのです。
 
     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/