M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第810号(2020.10.26~11.1)この世は全て催眠だ(551)〜素晴らしいテクニックに魅了されました〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(551
素晴らしいテクニックに魅了されました

 宇宿允人先生の大阪南森町の下宿で初めて出逢った浅井芳子さん……その頃は、私もまだまだ若者にありがちな“完璧な技術”を求めていましたので、楽譜を読む力や如何に早く演奏するか、そして澱みなくアンサンブルを完全に合わせるかなど、テクニック主流の考え方でした。私の京都鴨川での練習も、ミストーンやブレッシング(如何に長いパッセージを一息で吹くか)に重きを置き、それこそ吹奏楽コンクールに出場する意気込みそのものでした。それ故、浅井さんのピアノ演奏は私の眼には珠玉の逸品と映りました。その完璧な技術に、私は深い感銘を通り越して憧憬の念を抱きながら、私の練習に付き合って下さったこと自体が天にも昇る感覚で、ポーッとしたまま宇宿先生の初レッスンは終わったのです。
 先生直々のレッスンよりも、浅井さんのスーパーテクニックを感じたことで、私の“緊張”“尊敬”の感覚に変わったことを思い出します。それが返って宇宿先生という偉大なマエストロの存在からの緊張緩和になりました。その頃の私は、音楽をスポーツのように考えていたのです。
 さて、フルーツパフェをご馳走になりながら、浅井さんの話を聞いていると、こんな絶妙のテクニックを持つピアニストですら、宇宿先生の音楽ニュアンスが素晴らしい事は分かっても、その通りに表現できないことを切々と訴えるのです。
 そこで、私は浅井さんと私の根本的な違いは何で(生意気ですが)共通項は何処なのかなど具(つぶさ)に考察してみました。
 先ず、宇宿先生と浅井さんの出逢いはどなたかに推薦されたそうです。私は中学校の教室で笛を吹いていたところを偶然通りかかった先生に拾われました。そして、何よりも一番大きな違いは、私自身フルートを専門的な先生には誰にも習ったことがありません独学です。またいずれ書きますが、プロフィールに「独学で習得」などと書くと格好良く聞こえますが、ゲシュタルト的には「邪道」なところが散見されます。その点、浅井さんは有名なピアノの先生方々にしっかりとレッスンを受けてきたのです。こんな素晴らしい方との共通項は、たった一つ!それは「音楽をこよなく愛している」という情熱でした。

 

★★私はフルートと無心に向き合っていた★★

 私はその時、ハッと気付いたのです。私は、誰からも専門的に音楽を習ったことがない。只々フルートの音を聞いた宇宿先生が、私をピックアップして(拾って)下さっただけで、プロとして活躍しようなどと想像だにしていませんでした。しかし、先生に「やれ!」と言われた途端に、音楽への情熱に火が点き、子供の時に受けた得津先生の根性教育と相まって、我流にもかかわらず闘志は燃えたぎっておりました。
 その時の感覚は、今思い返すと、「宇宿先生に良く思われよう」とか、「上手く吹こう」という雑念は皆無で、自分と笛の一騎打ちでした。そして、音楽家を目指すなど思いもよらなかったので、(捨て鉢ではなく)“ダメ元感覚”でした。ですから、音楽そのものと精一杯取り組めたのです。BACHを「バッチ」と読むようなレベルですが、「軍艦行進曲」は情熱を込めて吹いておりました。
 翻(ひるがえ)って、浅井さんは幼少の折から家族環境や自分の持つ才能などにより、プロの音楽家をひたすら目指し、そのトップ街道を歩んできた方です。その為には多くの高名な先生の教えを受け、技術や感性を磨いてきたのです。
 しかし、音楽に向かう情熱はまったく同じだったことが、以後、長年月に渡りアンサンブルをしてゆく大いなる要素だったと思います。全く、経歴や専門分野が違っても、心の在り方(How to be)で繋がっていれば、人は引き合うことをこの時より感じだしました。まさに凡人六原則の「類項作用」による“引き合い”のパワーを認識したのです。そして、それがM&U SCHOOL創設への引き金となったのです。
 さて、宇宿先生の初レッスンの日、一瞬のうちに憧れのピアニストになった浅井さんに大和郡山のご自宅に誘われて以降、浅井さんの言う通り、私が宇宿先生のリズム感やテンポ感覚、そして音楽解釈を短期間で会得したのなら、その違いは頭脳や感性ではなく、単純に私は宇宿先生以外から専門的に音楽を指導されたことはないということに集約されます。浅井さんは、日本の名だたる先生のレッスンを受けてきました。そして、それらの先生の良いところをChoiceすることで理想は完成します。しかし、私の経験から中学校時代にもコンクールで優勝するために、多くの先生(主に審査員をして下さる方)をお呼びしてレッスンを受けましたが、皆言うことが違います。その弊害の最たるものが、「涙の仙台コンクール」でした。山田一雄先生の観念・感覚の違い(今振り返ると、山田先生の解釈はより情熱的で真っ当と認識しています)で二位になりました。その時、私は純粋であった故、“混乱”してしまった感がありました。
 きっとここに何かがあると思いながら、近鉄電車の西大寺の駅を大和郡山の住所を書いた一枚の紙切れを頼りに、浅井芳子さんのお家に向かっておりました。
 
     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/