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今週の喝 第785号(2020.5.4~5.10)この世は全て催眠だ(526)〜ちょっと考えてみましょう その4〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(526
ちょっと考えてみましょう~その4

 このコラムは、私が潜在意識研究に至る道程を振り返りながら、その因果律を認(したた)めています。そこに、大きく関与するのは「出逢い」そのものです。
 お釈迦様が最初に菩提樹の下で悟りを啓(ひら)かれたことは、「苦集滅道」でした。我が家は、その昔より臨済宗(禅)の檀家で、子供の頃より檀那寺(だんなでら)である海清寺の老大師・春見文勝(かすみぶんしょう)さまの膝の上で可愛がられた記憶があります。しかし、待合の間(8畳)にそれは立派な達磨大師の水墨画のふすまがあり、悪戯をするとそこに一人座らされたのを鮮明に覚えています。本当に怖かった!……その内に私の最愛の祖母・芳枝が亡くなり、私も小学校6年生になって、人間に降り掛かる厄災(苦)が「生老病死」であると老大師から教えられました。
 しかし、私には疑問が残りました。それは、
 「幸せになるために、仏さま(本尊:釈迦如来)にお祈りするのに、何故、厭なことの方が楽しいことより多いのだろうか」
 今も、世界中の人間がコロナ禍で病死の恐怖の中にいます。そして、毎日死者の数の発表があり、そのほとんどが老人です。
また、シッカリと人生を歩むことのできる活力有る人間も、政府や有識者といわれる人達のアンバランスな対応で、多くの自殺者が出る始末です。その原因は「緊急事態宣言」が起因になって、会社や店が潰れ、失業者が増え、自殺が増大し始めたのです。こうなっては、「生きる」ことも地獄の苦しみです。
 小学6年生の私は、この春見文勝老大師に素直に、この事をぶつけたのを思い出します。果たして、その回答は、
 「人そのものが、自分さえ良ければという生き方をしてるから、それに気付かせるために、阿弥陀さまは私たちをこの世に生まれさせたんや。忠洋ちゃんもこれから長い間生きていかなアカン。その事にお釈迦様は気付かはったんや」

 

★★めざせ!「コロナとの共存」★★

 春見文勝老大師の言葉は、子供の私にはあまりよく分かりませんでしたが、何か心に引っかかり、やがて中学生になり、吹奏楽部での理不尽なイジメにも耐えてこられたのです。
 現在朝ドラで「エール」が放映され古関裕而先生の若きころが描かれてますが、生意気ながら申しますと、私の運命に重ね合わせることができます。作家・林芙美子さん代表作「放浪記」の中で
 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
と謳いあげていますが、恋愛や人生という“生”も、“苦”そのものなのです。そして、その中から私たち人間は“生命力”を勝ち得て行くように阿弥陀仏はこの世の摂理を仕組まれたと、お釈迦様は悟られたのです。
 今回のコロナ騒動も、このように大宇宙からの視点で見ると、我々人間も新型コロナウイルスも、両方とも阿弥陀仏が創り、この世に派遣しました。従って真のraison d'être(存在意義)を見いださなければなりません。
 万物にraison d'êtreが有ることは間違いありません。宗教的観点からいうと「無駄なものは何もない」訳ですから、先ずはここに意義を見いだすことから始める必要があります。
 北海道大学の西浦博教授は、
 「このまま行けば重傷者が約85万人、その内40万人以上が死亡する」と警鐘を鳴らします。この数字が実際に体現されるのか、単なる脅しなのかはどちらでも良く、このような警鐘にどのように対処するかが我々には大切なのです。一方で神奈川県医師会会長菊岡正和先生は、
 「この新しい未知のウイルスに、本当の専門家がいません。本当は誰も分からないのです」
と、断言しています。ですから、現在報告されている数字や状態を我々庶民もシッカリと把握して、どの地域で、なぜそのような状態になったのか、そして、誰が対策を立てどう対処して行くのかを淀みなく知ろうとする心を持つことで、無碍に起こる恐怖心は払拭されます。そして、時間の経過と同時に入ってくる情報を、過去の流行病と比較して、自分を自分自身で守る努力をしなければ、靱(うつぼ)のようにねぐらに引っ込んでいては、阿弥陀仏が我々に与えた“苦”の意味すら理解掌握する事は出来ません。
 私はこの時期も、世間はどうなっているのかを、具に事ある毎に見て参りました。もちろん独力ですからそれが趨勢(すうせい)とは思いませんが、それでも、以前お伝えした「スタンダードプリコーション(標準予防策)」をシッカリと励行することで、防御になることは確信できました。私の結論は、「不衛生な者、気を抜いた者が罹患している!」のです。
 防御ができたら、その後は「攻撃」と言いたいのですが、ここは一つ立ち止まって、コロナウイルスの出現意図を振り返ってみましょう。そうすると、春見老大師が言われた「苦」の理論……エゴの払拭に行き当たります。究極的にいえば、阿弥陀仏の創造物である「コロナ」は“共存”の道しかないことが理解できます。
 コロナと共存するとは、「逃げる」のではなく、相手(コロナ)を研究し、その性質の上に我々の心と身体を活かしてゆくのです。
 その為に、政府の取るアンバランス極まりない「緊急事態宣言」「自粛要請」を解除し、スウェーデンが行っている「集団免疫」を獲得するまで、各自の自覚に任せて罹患する者は罹患し、死ぬ者は死に、共存する者は共存し、意義を悟るものは意義に気付くのです。まさに良寛さんの明言、
 「災難に遭う時節には災難に遭うが良く候、死ぬる時節には死ぬるが良く候、これがこれ、災難から逃れる妙法にて候」
です。我々の国家日本は、民主主義、自由主義の国です。政府や有識者達には常に利害関係が見え隠れします。故に、正しい判断は国民の意識レベルに委ねるのが最善では無いでしょうか。
 コロナで死亡者数が減っても、倒産や失業で自殺者が増えたのでは何の意味もありません。為政者はこの災禍で金銭的痛手を被っていません。また、今年はコロナ騒動のお陰でインフルエンザが早く収束し、町医者は閑古鳥が鳴いています。なのに、医療崩壊とはどういう了見でものを言っているのでしょうか。
 さぁ、今こそ私たちは、自分の意思でコロナを研究し、流言飛語に惑わされること無く、お互いの情報共有をそれこそ「密」にして、この難関を“コロナとの共存”で乗り越えて行けば、自然界の摂理(阿弥陀仏)は、免疫力としてコロナを自分の健康維持、人生に於ける注意要点として取り入れることができるでしょう。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/