M&Uスクール

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今週の喝 第775号(2020.2.24~3.1)この世は全て催眠だ(516)〜奇蹟!天才との出逢い〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(516

奇蹟!天才との出逢い

 京都祇園宮川町「川久(かわひさ)」の女将・里千代(さとちよ)さんに、「今津音頭」製作にあたり、私が今直面している事を素直に述べたところ、浅尾会長に、
 「会長はん、私に任しておくれやす。ちょっと民謡からはかけ離れるかも知りまへんけど、邦楽に知り合いが居りますさかい、三日後に坊(ぼん)一人で宜しおすさかい、おいでやす」
という力強い言葉に誘われ、三日後に再び「川久」を訪ね、件の部屋に通されたとき、そこには三十歳を少し過ぎた位の凜とした青年が静かに座っていました。里千代さんは、
 「このお方は、藤舍推峰(とうしやすいほう)さんどす。内らが年一回の“京踊り”の時に、地方(ぢかた)を務めてくれはりまして、この方やったらアンタはんの思てる通りのお人を知っていやはると思いますさかい、ご紹介させて貰います」
 こうして、顔から火の出るような出来映えの、先般練習中に録音したカセットテープを里千代さんが“ガチャ!”と再生ボタンを押したのです。そして、一通り聞き終わり、推峰さんは、
 「お世辞でも何でもなく、これは良い曲ですね。町の民謡の先生では歌いきれないくらいの広い音域(1オクターブと6度)ですから、私の知り合いはみんな長唄の関係の人間ばかりなので、それで納得して下されば、メンバーを集めます」
と言って、再びモニターして下さいました。
 「それで、必要なメンバーは……?」
 「先ずは、メインの歌手の方、そして、バックに三味線。それから、和太鼓とチャンチキ。そして最後にB面に和笛でメロディーを入れたカラオケを入れたいので、和笛奏者の方。合計5人の方にお願いしたいのです」

 

★★真の集中力は人を動かす★★

 こんな私の要望から推峰(すいほう)さんは、自分のスケジュール帳をペラペラとめくって、少ししかめっ面で、
 「いやぁ、この録音の日は、私はコンサートがあって出席できません。梅忠さん(親しくすぐにこのように読んで下さいました)は、“隠密剣士”というテレビを観ていましたか?その時、ラストの忍者相手の殺陣(たて)のバックの音楽は覚えてますか。あの篠笛(しのぶえ)を吹いているのが私の兄弟子の藤舍秀明さんです。この方にお願いします。
 メインの歌手は長唄では名を馳せた今藤長之(いまふじちようし)さん、三味線は今藤和歌二郎(わかじろう)、和太鼓は藤舍啓三郎、チャンチキは中村寿洸(じゆこう)、そして、カラオケ用の篠笛(しのぶえ)は、隠密剣士でゆきましょう」
こうして、藤舍推峰さんによって、その場からあっという間にこれら地方(ぢかた)さん達に連絡を取って下さり、一時間も経たない内にメンバーのスケジュールが決まりました。そして、恐る恐る私は推峰さんに尋ねました。
 「あのぉ、皆さん洋楽の楽譜の方は大丈夫でしょうか?」
すると、ニコニコと笑みを浮かべながら、
 「シッカリと楽譜に認(したた)めて下さい。キッチリと演奏しますから……!」
という、頼もしいお言葉に夢と希望がお腹の底から湧いてきました
 “地方(ぢかた)”とは、長唄や歌舞伎などでその伴奏をする三味線・笛・太鼓の皆さんのことで、舞台で踊る人達は地方に対して“立方(たちかた)”と言います。後に分かったことですが、この(初代)藤舍推峰さんは昭和16年生まれ(当時31歳)で、やがて人間国宝にもなられる方で、邦楽のみならずジャズ奏者との共演もされ、ヨーロッパやアメリカでも活躍されている代表的な和笛奏者です。
 そして、無知蒙昧ほど恥ずかしいことはありません。ご紹介下さった皆さんは、我が妹の日本舞踊の師匠であります花柳晶姿(はなやぎあきし)さんにメンバー表を見せたとき、眼を白黒させて、
 「お兄ちゃん、こんな立派な方たちを何で知ってはんのん?」
というくらい、邦楽の世界では家元クラスの超有名な方々でした。そんなことは後に分かることで、その当時の私は眼前にある事だけに(今、作り上げようとしている音楽)集中する性質でしたので、ただそこにある音にだけ反応しました。ですので、有名無名は全く感知しませんでした。今考えると、それによってとても失礼なことも多くしてきたと思います。
 そして、「川久」の二階で女将と推峰さんが親しく談話する京都弁の響きの中で、私は黙々と和楽器のパート譜を書きました。これも後に里千代さんから聞いた話ですが、私が楽譜を書いている間、推峰さんは、
 「梅忠さんには、私と同じ匂いを感じる」
と言って下さったそうです。
 こんな素晴らしいご縁を下さったのは、偏(ひとえ)に浅尾会長が私の音楽を認めて下さり、そのご縁で京都の花街の女将と出逢い、その初日に舞妓さんの踊りに合わせて吹いた笛の音が、女将・里千代さんの琴線に触れ、邦楽界で超一流のメンバーを紹介して貰うという、奇跡としか言いようのない巡り逢いを生んだのです。この頃から、物事に集中する心を育むことが、“人生の意義”を産み出すのかも知れないと感じ出しました。
 梅谷忠洋二十歳(はたち)、初夏の出来事です。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/