M&Uスクール

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今週の喝 第638号 (2017.7.10~2017.7.16)この世は全て催眠だ(381)〜同一の能力を持つはずの人間なのに、なぜ差が出るのか?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(381)

「同一の能力を持つはずの人間なのに、
 なぜ差が出るのか?」

 我々M&U SCHOOLが大胆に立てた仮説!
その1 、人間の能力( E )は、天によって平等に与えられた。
その2 、その分かれ目は、その( E )の用い方にある。


 さて、我々人間は天より平等に与えられているはずのこの世を歩むエネルギー( E )なのに、なぜ「良い人間vs悪い人間」、社会貢献の差」、「好意vs嫌悪」などに分かれるのでしょうか。また、なぜそのように分かれるのでしょうか?
 そのヒントを求めて、私は人間生活の変化しないものと変化するもの、固定化されているものと流動的なもの……すなわち、不易vs流行」もしくは「個体差」(その人間によってまちまち)が生じる原因について探ってゆきました。その一番大きいものは、「成功vs失敗」でしょう。また、同じ条件下にあって、「影響を受けるものvs受けないもの」……例えば、インフルエンザが流行しているのに「掛かる人vs掛からない人」がいるその“分かれ目は何か?”と調べてまいりました。


 その研究結果は、荒削りですが「選択肢&優先順位」がベースになっています。そして、その人間の人生エネルギー( E )の用い方が癖化し(定常化・癖=いつも同じ事をやる)、そこに、おかしな言い回しかも知れませんが「成功癖vs失敗癖」といった、その人間独自の“性質”が生まれるのです。このような研究結果を、多くの人間観察から導き出して発表すると、「それ、ホント!?」と、素直に受け入れない向きと、「それを検証するためにやってみよう」と、行動に移す人達に分かれます。やはり、分かれるのです。
 そこで、なぜ分かれるのかを調べてゆくと、“選択肢”は、その人間の持って生まれた性質(業=先天的)と親や育った環境など(縁=後天的)の二つで形作られ、“優先順位”は、「自分と周囲の関係性を何処まで認知理解しているか」によって決定されているらしいというとことまで分かってきました。


★★人の優劣は、能力ではなく心の有様★★
 私達人間は、仏教で言う「業縁」によって人生に於ける“選択肢”を決めているようです。「蛙の子は蛙」というように、下町に生まれ育った人間は、やはり下町ッ子独特の気さくさと柄の悪さがあり、上流階級の人達はそれこそ品性良く上品な行動・所作振る舞いをします。今からたった100 年ほど前までは、これらの違いは人間そのものに違いがあると信じられ、その違いによって身分制度を作っていました。江戸時代には「士農工商」、又インドの「カースト制度」など、我々現代人から解釈すると、只の“制度”と思っていますが、当時の人達は、厳然と人間ではあっても、その階級に生まれるのは、その“種別”が違うと真面目に考えていました。
 しかし、中にはイソップのように奴隷階級にあっても、英知を発揮し主人に役立つことによってその才能を認められ、市民階層に昇格してゆく者もでてきました。将棋の世界でも、雑兵の「歩」が、敵陣営に侵入することで「金」(と金)になるようにルールが定められたのも、この人間昇華の現象からではないでしょうか。


 このように、人間の選択肢が新たに開発され増えてゆくのは、周囲(社会)からの影響による気付きで、視野が拡大するからです。つまり、「受け入れ態勢」ができた人間の特徴です。先にも言ったように「それ、ホント!?」と自分で実行することもしないで他人のことを疑う人間には、決して到達することのない境地です。
 従って、人間に優劣が付くのは、その“能力”ではなく“心の有り様”が、その人間の選択肢を限定しているのです。自分を振り返ってみると、現在、音楽を生業とするようになったのは、小学4 年生の時に、音楽の田中信雄先生が聴かせてくれた、ロッシーニ作曲「ウィリアム・テル」序曲が起因です。それも、先生の趣味だったのでしょう。巨大な英国製タンノイのスピーカーから大音量で流れるトランペットファンファーレは、私の官能を揺さぶり、「このような感動を、いつも持っていたい」と、思ったのです。それが、First impression 効果(強烈な第一印象)で私を刺激し、全身全霊に定着してしまったのです。司馬遷の「史記」にもありますが、孔子が若い時に「笙」の大合奏を聴いて、何日間も感動し食事が喉を通らなかったとあるように、一つの感覚に目覚めると、“目覚める”という感性が学習意欲を活性化し、もっと学びたい、吸収したいという感覚が生まれるのです。それは、錐が板に穴を穿つように、一点集中によってもたらされる鋭い作業なのです。


この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/