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今週の喝 第620号(2017.3.6〜2017.3.12) この世は全て催眠だ(362)〜富士山は、どの登山道も剣が峰に通ず!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(362
〜富士山は、どの登山道も剣が峰に通ず!

 「知行合一」……真の知識とは、行動を伴う所業である!
孔子の説く儒教を、時と共に変化した歪みを取ろうと再研究した明代の儒学者王陽明がたどり着いた結論です。富士の山は、どこから登っても最後には剣が峰(頂上)に辿り着くように、人の道は、どの方角から究めても、最後には同じ到着点に到達するのです。
 孟子などが提唱する性善説荀子(じゆんし)や韓非子(かんぴし)性悪説も、究めれば、人間の幸福は如何にすれば得られ、また悪人を改心させ善人へと導くにはどうすれば良いのかが説かれているのです。
 老子が「大道廃れて仁義あり」と喝破し、いかにも“道(タオ)”が主体であるように解釈できますが、私は
 「大道を忘れるようなことになっても、仁義でCoverして人間社会の荒波を乗り越えて行けば、やがて、その社会の矛盾に気付き、修正能が生じるであろう」
と、孔子が人間の本質(サイコ・サイバネティック)の道理を説いていると、私は独自の解釈をしています。
 人間は、“仁義”という形式的な形だけでも表現でき、それが内実(真心)とは異なる“虚”であっても、それが美しければ、そこに感銘を覚えます。これが「立て前」です。
 「エーカッコシー」は、この立て前を前面に立てて自己表現をします。しかし、その殆どは周りに不愉快さを振りまいています。ですから、その人間から不愉快さが出ていたら、内実とは異なる「インチキのエーカッコシー」だと見抜けます。しかし、そこに周囲の状況や事態を考慮に入れて己を犠牲にする「エーカッコシー」は、そこに美意識を喚起します。その清廉さと謙虚さを真に兼ね備えた人達が“武士”でした。真の武士は、代々受け継がれてきた教育から「本音」と「立て前」の壁を取り払った(悟った)人達です。
 
★★「無為」こそ「道(タオ)」に至る道★★ 
 武士の中には、「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」と見栄を張る人間もいたでしょうが、そのような人間も、行動自体は武士然としていたのです。人が悟りの境地に至るのは、すこぶる困難であることは、皆さん承知していますね。こんな時、人が守らなければならない“道(タオ)”への道標が「五徳=仁義礼智信」なのです。
 五徳が身に備わった人間は、それこそ“道”の実感、仏教でいえば“般若”(智慧)の悟りがある訳ですから、その精神は精錬とし、この行動力は何事に於いても率先垂範です。それは、自分を離れたところ(離世間)から、自分と周囲の人(社会)を見ているため(ゲシュタルト的見地)、人間は大同小異……自分の情念や我欲と他者は何ら変わりがないことに気付きます。すると、キリストの「黄金律」的見地「自分がして欲しいと思うことを、人に施す」……つまり、仏教でいう“布施”の境地が得られるのです。そして、その真逆の見地「されて嫌なことは、しない」ことを修得すれば、人間社会から諍いや争いは霧散すること必定です。これが、老子の説く「道徳経」なのです。
 老子が実感したことは、
  道(タオ)は常に無為にして為さざるなし
に集約されます。大宇宙からウイルスに至るまで、総てのものは、それぞれ固有の“動き”と“性質”をもっています。この二つに“意志”はありません。水が高きより低きに流れるのも、水に働く引力の性質、そして、その影響下にある“動き”です。老子は「上善水の如し」と水に喩えて、我々人間の真の有るべき姿を説きました。
 ですから、万物はおのずから生々発展します。そこには、行為しようというような意志はありません。しかし、全てを成し遂げるエネルギーがあります。これが自然の法則なのです。そして、この法則は人間社会にも同じように働きます。知恵を持つことで万物の霊長となった人間は、またその知恵のために、絶えず脅かされ、自己解体の危機にさらされています。それは、全て「自分は正しい」などと考える小賢(こざか)しい了見(りようけん)から生まれているのです。学ばない人間は、賢(さか)しら(知識で物事を解決しようとする)的精神に洗脳され、真の満足感を味わうことはありません。真の満足感とは、万物がおのずから持つエネルギーによって、自分自身のあるべき姿を表現することでもたらされます。それは、作為しようとする心(欲望)を捨て去った時に初めて気付くのです。つまり、「無為の境地」に達するより他はないのです。
 我々が履修しようとしている“催眠”……その極意は、「絶対に対する相対」と集約できます。そこに、情動のシステム(法則)、言葉から発する想像性などが自然に作用して、イメージと現実の境が曖昧になるところにその鍵はあります。無為の境地とは、例えば、西風が吹けば舟は東に進むように、逍遙として決して逆らうことはありません。人間の生き様、それは、現代の心の法則を集約した“催眠”の科学が物語るように、無為自然そのものが法則性を持っていることに気付くことでその“境地”を得るのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/