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今週の喝 第602号(2016.10.31〜2016.11.6) この世は全て催眠だ(344)〜「必要条件」と「十分条件」を分けることが賢者の証し〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(344
〜「必要条件」と「十分条件」を
 分けることが賢者の証し

 成功者の実像は、
  「物事の浄化能力と快をもたらす技術!」
このように先回のこの紙面で明快に言いましたが、もちろん、これは“必要条件”であって、“十分条件”ではありません。
 一休宗純禅師の名言「世の中は、喰うて糞して寝て起きて」……これを聞いた凡人は、「私も一人前に人生を歩んでいる!」と解釈したと言います。これは大きな間違いです。ここまではどんな人間もやらないと生きることは出来ません。一休さんは、ここから先が人生であることを示唆しているのです。つまり、自分の生命維持(喰うて糞して寝て起きて)に関する“行為”だけしていては、それは畜生と一緒だから、その上に如何なる“行動”をとるのか、どう世間の役に立ってゆくのかが「人の道」であると説いたのです。
 私は、自分だけのために身体を動かすことを“行為”、自分が「行う」ことによって、人を「動かす」ことを“行動”と解釈して分けています。食事一つとっても、自分の腹を満たすために食べるのは“行為”、談笑してその場を楽しく過ごす食事は“行動”と分類し、同じ動作でも、何らかの役に立てるように心がけています。
 ですから、一休さんが宣った世の中の摂理、「喰うて糞して……」は、これすら難しいことだから、日頃何気なく行っていることも意識して、「当たり前」と思わず励むように示唆し、その上に、この世に生まれてきたからには、「人間らしく行動せよ!」と喝破しているのです。つまり、「喰うて糞して寝て起きて」という“必要条件”の上に、プラスαを乗せて、人の世の役に立つことで、“十分条件”を満たすことこそ人間本来の姿なのです。
 ですから、冒頭に書いた成功者の条件「物事の浄化能力と快をもたらす技術!」を持つことは、必要条件……言い換えれば、スタートラインであって、ゴールではないのです。
 
★★「行為」を「行動」に変える★★ 
 さて、「姓名判断」に話を戻します。私は、名前は「愛の証し」と考えていて、「姓名判断」そのものが正しいとか、間違いといったことを問題にしているのではなく、愛の証しであるが故に、その名前を丁寧につけようと思う心は、親の愛の「スタートライン」と捉えています。
 姓名判断なるものがあると知って、それならば良い名前を付けて貰おうと人頼みにしていては、
 「“とりあえず”(姓名判断の)専門家に頼んだから、大丈夫!」
と高を括っているのと同じですので、これは愛情ではありません。“とりあえず”と思う心は、愛ではないということです。
 この上に、その子の名前をシッカリとプラスの事象と共に「褒め言葉」と共に多く呼ばれた子が、素晴らしい子供に育つのです。しかし、子供はヤンチャもイタズラもします。そんな時は叱る必要も生じます。そんな時は、そんな時は名前を呼ばないようにすることも、親の愛情の気配り表現です。
 例えば、良い事をした時は、
 「忠利くんは良い子だね。ちゃんと玩具を片付けたね」
と言う風に、名前を付けて褒めるのです。しかし、イタズラをした時に、
 「忠利、止めなさい! また、イタズラして……(>_<)」
などと言うと、その名前を呼ばれただけで「忠利=イタズラ」というイメージが定着してしまいます。これを「般化(はんか)」と言います。良い子でいる時の般化は、名前そのものがプラス思考を育み、悪いことをした時の般化は強迫観念を印象づけます。つまり、「般化」とは、無意識に反応してしまう作用を指します。
 般化作用は、無意識にはとても強烈に響きますので、できるだけ、人を叱る時には、「禁止令(禁止命令)的言葉」を使わずに、「理想到達型」の言葉で注意することをお薦めします。それは、
 「ママはイタズラされると悲しいなぁ。忠利君が良い子になってくれることを信じているよ」
という風に、悪い実態を示唆するのではなく、それを改善して良くなった理想の状態を、名前を添えてイメージ化して話すのです。それが「理想到達型話法」で、これは子供を叱る時だけではなく、会社など上下関係のあるところでは、とても有意義な結果を生みます。それは、「名前」を呼ばれた時は「善」という観念がインプットされるのです。
 これは人間だけではなく、犬などの躾にも大いに役立ち、同じような結果が出ます。但し、犬に理想到達型話法は理解不可能ですので、命令や禁止令の時には名前を呼ばず、言うことをシッカリと聞いた時にだけ名前を呼ぶのです。(人を犬と一緒にして済みません)
 このように名前を呼ぶ“行為”すら、その名を呼ばれるだけで、呼ばれた者の反応が変わり、“行動”に変化させることが出来るのです。
 行動……自分の「行い」で、他者を「動かす」。名前を呼ぶという単純な行為ですら、それを正しく用いることで、行動という素晴らしいエネルギーに変化させる一助となるのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/