潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(738)
芸術に点数を点けるのは至極困難!
後に分かったことですが、私が中学3年生の時の「涙の仙台コンクール」(アーカイブス参照:自由曲はリスト作曲「ハンガリー狂詩曲第3番」)で我々今津中学校に最悪の評価を下された、山田一雄先生と今回県大会で第4位を点けた宇宿允人先生は、お二人とも凄く仲の良い関係であったのです。
宇宿先生が結婚される折、結婚式場で祝賀コンサートが行われ、その指揮をされたのが山田一雄先生であったと聞いた時には、それは驚きました。その事を知った後、私も中学生という右も左も分からない時に、9名いる審査員の中の一人(山田先生)が他の8名とは一線をかくする惨憺たる成績をつけられました。たった1名の審査員の点数で9名の評価が変わるというのは、如何に音楽はスポーツとは違うと言えどこれは大変な事態です。これ以降、吹奏楽コンクールの在り方が一変します。
これはあらましですが、先ず9人の審査員の内、最高点を付けた方と、最低の点数を点けた方を削除し、その他7名の成績の合計で競うという形態に変更されました。それでも、スポーツとは違って甲乙つけがたい面が音楽には一杯あります。人の好き嫌い、情緒対技術など、本当にややこしい自体が多いです。
そこで考え出されたのが、今もその形態が引き継がれているように「1位、2位」といった順位制ではなく、「金賞、銀賞、銅賞」を全国大会に参加した学校(団体)が、何れかを受賞できるようになりました。つまり、金賞も数校(数団体)ある訳です。
我が校のようにトップを狙う学校にとっては、大いに気の抜けた制度でしたが、音楽ですから仕方のないことでしょう。やがて、時が経つに連れて、もう一つ厄介な問題が生じてきました。それは、地方大会に於いて「金賞」の数が決められたことです。一つの地区から全国大会に出場できるのは3校となっているので、関西地区のレベルが高いと、審査員の恩情も手伝って金賞が4校と言う事態も出てきたのです。もちろん金賞の中で全国大会に出場できない学校が一校出てくる訳です。それを彼らは「ダメ金」と称して隠忍自重しております。
★★宇宿先生の指揮法は「虎に翼」!★★
さて、音楽性が同じ両巨頭(宇宿允人先生、山田一雄先生)ですから、基準も同じなら人間的性格もほとんど同じだったのでしょう。今度は、我が母校が県大会で4位(銀賞)を宇宿先生によってつけられたのですからたまりません。しかし、得津武史先生は、人間として本物でした。宇宿先生を中学校にお呼びして、レッスンを受けようというのです。宇宿先生がお出でになるまでは、「ボコボコにやってもたろ!」と息巻いていた得津武史先生でしたが、宇宿先生がお越しになって指揮をされた途端、その冒頭のサウンドで完璧にシャッポを脱ぎ、いや、それどころか宇宿先生の指揮棒の威力に感動して、同じ中学生なのにその迫力の違いを我が校に取り入れ「鬼に金棒(虎に翼)」の如く聴衆に感銘を与えたいと思ったのです。
ですから、次の日から指揮法の朝練のために我が家を毎日欠かさず訪ねてこられました。そして関西大会の3日前の宇宿先生のLessonで、
「得津先生、この天ぷら棒は指揮をするには重すぎます。普通の指揮棒にして、軽やかに指揮をしましょう」
とおっしゃったとき、私はドキッとしました。その訳は、一つに前年の卒業生がその記念に一年分(約100本)をお金を出し合って購入し、クラブに置いていった物なのです。ですから唯(ただ)の「てんぷら棒(菜箸)」ではありません。一本一本に卒業生達の思いがキッチリと書かれていましたので、先生とともにステージに上がる意味合いもありました。二つ目は、この「てんぷら棒」は部員が演奏ミスをおかした時などの鉄拳制裁の代わりに彼らの頭に炸裂させ、気合いを入れる為にも用いられたのです。
(今ならパワハラで訴えられるでしょう)
こんな諸事情が重なっていたのですが、得津武史先生は宇宿先生の提言(てんぷら棒から正式な指揮棒へ)をすんなり受け入れ、「軽いなぁ、軽いなぁ!」を連発させながら、私に
「コンクールになったら、わしゃ緊張してテンポが早ようなるよって、梅谷君、舞台の袖におってテンポの指示をしてくれ!頼むで……!」
と素直に「てんぷら棒」を手放したのにはとても驚きました。
こんなやり取りがありましたので、コンクールの時の写真を今見ますと、得津先生はそのほとんどの写真が正面を向かず、下手(向かって右)に首が向いています。……そうです、私の指示を見ているのです。私は楽譜に記されている速度をキッチリと指示できるように、シッカリとテンポ感覚を鍛えました。それは、今もとても役立っております。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/