M&Uスクール

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今週の喝 第769号(2020.1.13~1.19)この世は全て催眠だ(510)〜“歓び”と共にお腹の底から湧き上がるエネルギー〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(510

“歓び”と共にお腹の底から湧き上がるエネルギー

 「活力」……この身体の芯から湧き出る感覚をおぼえたのは、19歳(1971年)の4月1日に遭遇した交通事故で、事故前後1週間(計2週間)記憶を失った私は、朦朧(もうろう)とした記憶の中で得体の知れない大きな力が私に働きかけてくるのを今も如実に覚えています。
 何故、このような大事故に遭遇したのかと今から考えれば、少々観念的な解釈になりますが、天(Something Great)が、
 「お前の行く道は、そちらではない!」
と示唆するような出来事であったと思います。
 私たち人間の人生は、お釈迦さまの教えによりますと、カルマによって成り立っているのです。カルマとは「原因と結果の法則」“因果律”のことです。それが、今世での原因と結果に留まらず、前世や前々世といったところの原因が現在(いま)に影響を及ぼし、その原因が悪いカルマなら、「苦」となって現れると言います。ですから、生老病死の基本的な「苦」や心の感じ方によって現れる観念的な「苦」全てが、天の警鐘・警告であるのです。従って、この「苦」を真摯に受け止め、自分の今迄の動向を悔い改めなければならないと説きます。前世……もしかしたら、自分が体験したことすら忘れてしまっている様なことも、自分のどこか(たぶん潜在意識)に生まれながらにして刻まれているといいます。ですから、我々が現在置かれている立場から過去を推測する事が必要だと喝破します。
 「現在の果を欲するならば、過去の因を見よ。未来の果を欲するならば、現在の因を見よ!」
 つまり、「苦」はカルマの表れですから、それに翻弄されずに、自分の所業を振り返り、周囲に対して善なる行為行動を取っているかどうかに気付き、それを改善する努力をする事で、自分の生命の方向性に変化が起きます。その時、心の奥底から“歓び”を伴って湧いてくるエネルギーが「活力」なのです。

 

★★天と共振したとき、道は決まる!★★

 生きる力……これこそ「活力」です。それは、未来に向かっての希望や夢を実現するエネルギーそのものですので、それが澱(よど)んでいる(不純物が入っている)と、効力は失われてしまいます。あくまで“純”でなければなりません。この純化するエネルギーこそ、「気付き」から始まる自己革新、鍛錬、修行といった己の内側に向けた力なのです。
 斯波最誠和尚が東京大学に合格した時、全学連が安田講堂を占拠する騒乱の真っ最中で、失意のどん底にたたき落とされました。その時、神田の古本屋で、伝教大師の書かれた小冊子「願文(がんもん)」に出逢い、東大を蹴って、比叡山に入山しました。このように、日本最高の大学を蹴ってしまうエネルギーは凡人から見れば狂気の沙汰ですが、ここには斯波和尚を仏門に引き入れる何かの力が働いたに違いありません。
 私は和尚とは真逆に、嘘で固めようとしていたのを、“事故”という「苦」によって身ぐるみ剥がされたのでした。その結果は、心は「爽快」そのものでした。病院にいる4ヶ月強の期間は、それこそ何かウキウキした気分で楽しかった事だけが印象に残っています。
 高校の時、コーラス部にいたピアニストのSさんとも失恋し、さて、勉強と思った時に事故に遭い、目まいと吐き気の中、検査漬けの日々で踏んだり蹴ったりであったにも関わらず、何かが吹っ切れ、妙に嬉しいのです。
 そして、ほぼ体調も戻ってきた8月盆頃、神戸YMCAの予備校の門を叩き、来年こそ大学に受かってみせると意気込んだとき、進路指導の担当官の先生から「この内申書の結果では、行ける大学は決まってますよ」とキツいお言葉を頂戴しても、さほどショックを感じませんでした。そして、9月から受験体制に一応は入ったのですが、勉強しようと机に座ると頭が激痛に襲われる始末です。まさに、やる気を削ぐような事象です。この時も、何か別の力が働いて、志望校を決める段になって、全く勉強していない故、行く学校が決まりません。そこで、オプティミズム(楽観的)に考えて、親に金銭的な迷惑を掛けないように学費の最も安いところに照準を合わせてチェックしたところ、京都北大路にある「大谷大学」を受けることを決めました。この大学に行ったことが、また、私の人生に大きな影響を及ぼすのですが、これも後日……!
 大谷大学の名誉のために申しますが、私のような落ちこぼれも、浄土真宗の開祖・親鸞上人の慈悲によって拾って下さいましたが、私の友人になった人達の中には、それこそ京大に合格したのに、寺を継ぐためにそちらを蹴って、真宗学を学びにやってきた人もいました。それに、女性友だちの中には、お寺の次男坊三男坊と結ばれるよう、後継者探しをしている美人もいました。とにかく慈悲深い大学で、みな清楚で真面目、そして、私みたいな落ちこぼれから最優秀な頭脳明晰者までいる、面白い学校でした。
 私は確信しています。「念ずれば花開く」という格言には、それこそ天、神、仏といった我々を越えた存在が関与することを……!それは、強い願望と真摯な情熱がSomething Greatと共振したときに起きる運勢であることを……。
 
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/