M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第766号(2019.12.23~12.29)この世は全て催眠だ(507)〜持つべきは友!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(507

持つべきは友!

「途中にいるかぎり中ぶらりん。底まで落ちて足が地につけば、本当におちつく!」
私の大好きな相田みつをさんの詩の一つです。
今、このコラムを通して私の50 年前の事を思い返しているのは、何も自分のノスタルジーのために記しているのではありません。
人間は大同小異、何人も例外がなく同じような経験を積ん
で人生を歩むからです。
「自分だけは特別!」といった正常性バ
イアスは、あくまで“偏見”(バイアス)であって、お釈迦様が最も大切にせよと言った八正道の根幹である“正見”からは最も遠い存在です。ですから相田みつをさんが宣うように、言葉ではなく“実際”が大きくモノを言うということです。
さて、私の話に戻ります。
我が盟友の西村光照君は、金光教西宮教会の次男坊に生まれ、私と心の指向性がすこぶる似ており、クラシック音楽においても、何処のオーケストラの誰の指揮者の演奏が素晴らしいと思うなどと、専門的な話をする事が出来る数少ない友人でした。
彼は、私のことを陰ひなた無く、ズバッとモノを言ってくれる人で、お父さん(金光教の教会主)の感化をすこぶる真面目に引き継いでいました。この辺りが、私と違うところです。そして、国語の能力が素晴らしく、書く文章にも趣があり、文学に近い言語能力の持ち主でした。
そんな彼が、私が教室で放課後にフルートを吹いていると、友だちの誼か、切々と
「受験が終わってからにしろ!」
と諫めてくれ
るのですが、どうしても私は素直になれず、
「俺は、オーケストラをバックにモーツァルトのフルート協奏曲(K314 )ニ長調を吹くンや!」

と、見栄を張る始末です。
人格の高い西村君も、我の強い私の
前では、それこそ捨て台詞、
「よし、ほなその時はチケット10 枚は買うたるから、今は勉強せい!」
と、押し問答です。


★★★沈んだ心は、、厄災を引き入れる…?!★★★
 そうこうしている内に時は過ぎ、西村君は見事に第一志望の関西学院大学に合格し、私は見栄から多くの大学を受験するも、全て不合格……!大概なら、この辺りで友人関係もご破算になるところですが、何故か心のバイブレーションが同調し、
「俺、勉強をお前にいつでも教えるから頑張れ……!」
と、文字通り叱咤激励してくれるのです。そして三月も中旬に差し掛かった頃、丸刈りの頭(校則で長髪禁止!)が解禁になり、伸びた髪の毛を整えるべく一緒に床屋に行ったとき、私の心に初めて“素直”という感覚が宿り、
「西村、俺がんばってみるから、勉強のやり方教えてくれや!」
と素直に自分の心を告げることができました。今でも、あの素直になった感触の清々しさは忘れることはありません。西村君は、
「ほな、キリのエエ4 月1 日からヤレ!分かったな」
と、檄とも思える語調で私を威嚇します。その強さに、私は
「よし、日本一を狙ったときのように、頑張るゾ……!」
と、モチベーションが滾ります。そして、3 月31 日の夜のことです。夕食の後、我が父・郁郎が突然、
「忠洋、明日から店を手伝え!引っ越しシーズンで猫の手も借りたいくらいのてんてこ舞いや。分かったな!」
明日から“勉強”と意気込んでいた矢先に、父の強権発動です。
「明日から、西村君に教えてもろてシッカリと受験勉強するから嫌や!」……
さて、この後は、擦った揉んだの言い争いからチャブ台返しにまで発展し、父親と大げんかになり、私はあらゆる罵詈雑言を投げかけられ、屈服してしまいました。半泣きべそをかきながら、西村君に事情を説明し勉強の予定をキャンセルし、悶々としながら一夜を過ごしたのを昨日のことのように覚えています。そして、1974 年(昭和49 年)4 月1 日がやってきます。
父の大きな作業服を着て、初めての会社での朝礼に全くやる気も湧かず、ビジネスに対して昨夜の諍いからくる嫌悪感に埋もれた中で、今日一日の仕事の指示を受けました。私は、丹波篠山から高校卒業と同時に集団就職で我が社に入社した足立一男さんのチームに入り、とても気の良い性格ながら少し障害を持つ長瀬さんと3 人で、大手メーカー社宅の畳の引き取りの仕事です。2 トン積みのトラックいっぱいの畳を引き上げてくるのです。昔の畳は、今と違ってとても重く、それを担ぐと、その後、指が動かなくなります。フルートを吹く私には、それも大きな抵抗の一つでした。
そして、引き取りから帰る途中、午前10 時過ぎのことです。荷台に畳を満載したトラックが北から南へ国道2 号線を青信号で横切ろうとしたときです。何か分からない大きな振動と共に、エンジン音が急に高まり、横三人座りのトラックが上甲子園の交差点の中央辺りを狂ったように円を描きながら暴走し、その衝撃と遠心力で丁度真ん中に座っていた私は、掴まるところもなく翻弄されておりました。
後で分かったのですが、信号無視の乗用車が私たちのトラックの右ドア辺りを直撃し、その弾みで運転手の足立さんは車から放り出され、その反動で、ハンドルが右に切れたまま固定され、アクセルもどこかに引っかかってトラックは暴走し、交差点をグルグルと円を描いて徐々に北側に位置する、今は武庫川女子大学大学院となっている元甲子園ホテルの敷地と国道二号線の則歩道の間の幅90 ㎝ほどの溝に向かって、にじり寄って行きました。


この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/