潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(473)
どうしても音楽が忘れられない!
宝塚大劇場で行われたアマチュア・トップ・コンサートを最後に、私たち3年生は楽器をクラブに返納し、高校受験を控えるばかりになりました。今まで、毎日毎日練習に明け暮れ、楽器を持たない日などなかった私は、心にポッカリと穴が空き、音楽に親しめない寂しさに襲われ、無性に悲しくなりました。
小学校の時、練習したスペリオパイプ(縦笛)を引っ張りだし、吹いてみても、到底フルートの魅力に届くはずもありません。かといって、当時一番安物のフルートですら3万円(現在では15万円ほどでしょうか)ほどしていましたので、それまで、世界的に有名なムラマツ製の銀のフルートを吹いていた私は、たとえそれを買うお金があったとしても(実際はそんな大金は持っていませんが)、唯々フラストレーションを呼び込むだけだと思い、悶々としておりました。
そんな折、阪神西宮駅前商店街の岡田楽器店の前を通りかかった時、店内からは懐かしいドヴォルザーク作曲の新世界交響曲が大きなボリュームで流れていて、それにつられてフッと立ち止まり、ショーウインドウを見ると美しく茶色の塗装がほどこされた、名古屋の鈴木ヴァイオリン製造株式会社のヴァイオリンが飾られていました。その名も「ストラディバリウス」……イタリアの名ヴァイオリン制作者の名前を冠(かんむり)にした、初心者用の楽器でした。
恐る恐る値段を見ると、な、なんと楽器本体が6000円、そして、弓が1800円、それも松ヤニと初級の教則本、楽器ケース付きの値段です。その時、2年前の夏休みの東京演奏旅行の折り、TBSスタジオで聞いた千葉県銚子五中の奏でる華麗なオーケストラサウンドが甦り、衝動的にその年の正月にもらったお年玉をはたいて、ヴァイオリン一式を買いました。
★★“何か”探しの旅に出発…!★★
フルートなどと違って、初心者の弾くヴァイオリンの音色ほど、ひどい雑音はありません。フルートは薄っぺらい音で只々「下手くそだなあ……」と思うだけですが、ヴァイオリンは、ギーコギーコと周りの人間をいらだたせるサウンドに、「止めてくれ……!」と叫びたくなる音色です。
練習すると言っても先生に付いた訳ではなく、ただひたすら教則本を読んで、勝手な解釈をしながら、いつかレコードのサウンドを出せることを夢見ながら楽器を手にしたのです。家族はよくぞ、私の奏でる雑音に辛抱してくれたものです。
お陰様で練習の甲斐あって、ハイドンの弦楽四重奏曲第77番「皇帝」:第2楽章「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」くらいの曲が演奏できるようになりました。それよりも、今現在、オーケストラ用の作曲・編曲をする時にヴァイオリン奏法を理解できているため、非常に役立っています。
そんな中学時代も終わり、3月初めの高校受験もスムーズに合格し、得津先生にその報告をする為に学校を訪れたとき、矢(や)庭(にわ)に
「西宮吹奏楽団に入れ!新しいムラマツのフルートを買(こ)うてある」
という耳を疑うような知らせです。当時、得津武史先生は、西宮市が運営する吹奏楽団の団長も兼務しており、常任指揮者は、私が中学一年生の時、2.3年生がコンクールの練習をしている最中、親身になってレッスンをしてくれた石川学先生です。その場には、石川先生も同席していて、
「梅谷、あの仙台でのコンクールの悔しさを一緒に晴らそうやないか!」
この西宮吹奏楽団は、当時の教育長・刀祢館(とねだち)正(まさ)也(や)先生の肝煎りで昭和39年(1964)に創設され、今も活躍しています。つまり私が中学1年生入学と同時に出来た楽団で、西宮在住の人間なら誰でも参加できました。
この楽団の創設には、実は裏話があります。当時、頑張って見事な成績をおさめていた今津中学校は、今津のみならず文教住宅都市西宮の誇るべき存在で、その育成は最も大切であるとして、教育委員会が全面協力しようと言うことになりました。それに一番必要なのは、良い楽器の調達です。
ところが、今中にだけ良い楽器を持たせるのは不公平であると言う、共産党系市会議員の横やりもあり、中々スムーズに事は運びません。そこで、一計を案じた当時教育長の刀祢館先生は、西宮吹奏楽団を創設し、主に今中卒業生をメンバーにして、コンクールを制覇しようと考えたのです。
と、ココまでは表の顔で、その内実は、この吹奏楽団創設時に購入した高価な楽器を今中のメンバーに使わせることが目的でした。従って、本拠地は(当時)今津中学校に置かれました。この話は、もう時効と言うことで、市吹(西宮吹奏楽団)の記念誌にも掲載されました。
こんな経緯の中、私は晴れて西宮市立西宮高校入学と同時に、市の備品である新品の高価なフルートを手にして、勇躍、吹奏楽コンクールのリベンジに立ち向かうのでありました。
補)毎年甲子園球場で行われる全国高等学校野球選手権大会(夏の大会)の入場式で、各校のプラカードを持っている女子高校生は、私の母校、西宮市立西宮高校の生徒だけで構成されています。我が校は、戦前の西宮市立西宮女学校であり、戦後男女共学になりました。その女学校の時の伝統が未だに継承されているのです。
女子生徒の中には、このプラカードを持ちたいために我が校を志望した人達も大勢います。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/