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今週の喝 第699号(2018.9.10~9.16)この世は全て催眠だ(440)〜実際は、トリプルバインド!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(440
実際は、トリプルバインド!

 誤解を回避するために、申し上げます。
勿論、私のように中学2年でダブルバインドのイジメに遭うことが良いことと言っているのではありません。人には、それぞれの運命や出会いがあり、その都度、自分に降り掛かる厄災や苦難に対して適宜、対応する能力が必要だと言っているのです。ただ、年端もいかぬ、経験もない私の前半生に於いて、イジメに耐え抜く精神力は、自分自身が最も心動かされ感銘を受けた“音楽”の魅力(もしかして魔力)によって抵抗力が出来たことは事実です。我々人間は、イジメられなくても“苦難”はやって来ます。釈尊はそれを身体の苦しみ「生老病死」、の苦しみ「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」……四苦八苦と悟りました。我々凡人が「悟り」というと、苦から脱却して楽をGetするというように思いがちですが、釈尊の第一の悟りは「苦からは逃れられない」という一見とても悲観的なものです。
 しかし、これをゲシュタルト的見地から見ますと、「逃れられない苦に挑戦する気概を得ることこそ、この世を乗り切る原動力である」と解釈できます。「天地は不仁なり」と老子も私たちに語りかけるように、この世は天地によって差別や区別を受けることなく我々人間を扱(しご)いてきます。
 このような事象から、釈尊は「この世こそ、修行の場!」と受け止め、自分に降り掛かる災難や苦を、「天のお試し」として挑戦することこそ、正しい形であると悟ったのです。栃木県出身の思想家・石川洋先生が「人生逃げ場なし!」との結論も、逃げずに挑めということなのです。
 何にしても、中学二年は社会的にも肉体的にも弱者です。ある程度の保護は必要なのですが、私の場合、ブラスバンドに入る時ですら、父親との葛藤があり、ここでもバインドを掛けられていたのですから、正式にはトリプルバインドだったと思います。

 

★★“苦”より気付かされた自分の才能★★
 四面楚歌とも言うべきこの状態、2人の仲の悪い先輩の理不尽な要求、吹奏楽部入部に大反対の父親・郁郎。そして自分の心の中に芽生える逃避心と恐怖……まさに前門の虎後門の狼の様相を打ち砕いてくれたものが、音楽が持つ“感動と勇気”でした。今、齢66歳にして思えば、音楽にしがみつく事こそ、気も変にならず、苦難を乗り越える原動力となった……そして、以後の人生で、世の中や苦しみに負けない自分を作ってくれたパワーになったと思います。「人生、糾える縄の如し!」とはけだし名言です。苦が能力を萌芽させ、能力に溺れた者は「アリとキリギリス」のキリギリスのように衰老の辛酸をなめるのです。従って、この世に生を受けた当初より才能に恵まれているものは、その才能を“楽”のネタにし、「努力」を忘れてしまいます。「努力」は心の潤滑剤の役目を果たし、苦しみに遭遇するとその潤滑剤を用いて乗り切り、より強靱な精神と手腕を獲得してゆくのです。
 結論は、何事も逃げないこと!苦は、我々を研磨する素晴らしい“磨き砂”だと思って挑むことが大切です。面白いことに、この「逃げる」と言う字と「挑む」と言う相反する字は、どちらも「兆(きざ)し」が主体です。つまり、一つの兆候に対して、別の道(辶:しんにょう)を探すのか、手(扌:てへん)を差し伸べ挑むのかという、人の心の状態に全てが掛かっています。では、この心の分岐点は何を以て決まるのでしょうか。
 私が思うに、子供の頃からの好奇心や疑問視する心(不思議だなと思う)、そこに惹かれる指向性が如何に育まれるかに依ります。これは、持って生まれた性質もさることながら、ほとんどの生き物の性質である環境による影響で後天的に学習してゆきます。従って、親の影響はとても大きなものです。例えば、親がだらしないとすると、それをみっともないと思うか、そちらの方が楽ちんだと思うか、その分かれ目がその人間の性質なのでしょう。それをまた教示修正する人間(=師)に出逢うかどうかも、その性質が発するバイブレーション(心の波動)に依るのだと私は思います。
 多くの人間は、この影響を自分の性質に組み込む時、されて嫌なことがあれば、その鬱積・鬱憤から自分に権力や主導権が廻ってきた時、その力が届く範囲で憂さを晴らそうとします。つまり、“やられた”から“やり返す”のです。仕返しや仇討ちは、“された人間”が“した人間”に対して報復するのですから、その心情を分かろうと思えば分かります。しかし、昔の軍隊やクラブ活動などでの、先輩後輩関係に於けるこの仕打ちは、先輩にされたから後輩にも味わせる訳ですので、癖が悪い……!それを詭弁弁償を使って「伝統」と言いくるめる向きもあるから恐ろしい!

 この時点で、私は私の父との間の確執で、常にやること成すことに反対されてきました。そして、その確執はそれこそ逃げるに逃げられない、逃げるとしたら究極の選択しかないという崖っぷちでしたから、それを逍遙と受け止めたのを覚えています。そしてその時、私は心の中で決心したのを鮮明に覚えています。それは、
 「されて嫌なことは、自分の世代でしないことにしよう!
という決意でした。そのように心に決めたことによって、“されて嫌なこと”が起きると、「私は絶対に後輩にはしない!」と心の中で反芻したのでした。すると暴力的行為の痛さを感じることがだんだん減少して行く事を感じたのです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/