M&Uスクール

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今週の喝 第670号(2018.2.19~2.25)この世は全て催眠だ(411)〜天の指令「老熟せよ!」〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(411
天の指令「老熟せよ!」 

 こうして、このコラムを書きながら自分の半生を振り返ると、何と多くの人達に育てて貰ったのだろうと感無量です。数え上げたら近所のおばちゃんからも、後に歌謡曲を作曲するようになった時には絶大な支援をもらいました。
 人は、自分一人で生きているような気持ちになる事が多くあり傲慢性が顔を出しますが、近年ではこの傲慢性はもしかしたら自分に対して、天や神が警鐘を鳴らしているのかもしれないと考えるようになりました。
 年を重ねるのは生き物の宿命ですが、その中で身体の動きが鈍くなり、また自分の人生に関与してくれた知人や友人、そして師匠や父母もこの世を去る世代になると気弱になり、自分は何でこの世に“生”を受けたのかと考えるようになります。そして、大概の人はその回答の遠いことから、肉体と共に心も衰微して行きます。つまり、「老衰」です。
 これは、先に述べた“傲慢性”と同じく、自分の側からしか自分の人生を見ていない故に起こるのです。私は、多くの人々に見守られながら、この世に生を受け、そして育まれてきました。その道行を振り返り、大勢の人々を観察すると、私と同様に人生を歩む後進がいて、同じ苦しみを感じながらもそれに気付かないで生きている人が大半です。しかし、老年期を迎え、同世代を生きた者も少なくなった頃、大きな不安が心を覆い始めます。人に例外はありません。私は、そんな人に人生を前進させる歓びや、真の達成感、充実感、満足感を得る活力の素晴らしさを伝えることが、私の使命ではと感じています。
 我が師達は、私にそのような感覚を植え付け、そこに向かうためのエネルギーが、「夢と希望」に端を発し、「感動と笑顔」によって具現化すること……そして、その活動エネルギーの在り方や用い方を正しくキッチリと伝授してゆく事が、自分の使命だと今は確信しています。すると、不思議な事に肚の底から熱い血潮が湧き上がる実感が得られました。その感覚こそ「老熟」の境地ではないかと思うのです。

 

★★「挑戦心」の萌芽!乗り越えよ、乗り越えよ!★★

 さてさて、私はソロバンこそモノに出来ませんでした。しかしそれから13年後、ソロバン塾の先生は、奇遇にも「おもいで酒」の発売記念パーティーに来て下さったのです。
 「何かやる子だと思ってたよ!
という一言がとても嬉しかったのを覚えています。
 また、私の予言?通り電卓は開発され、また、私が音楽の道に進んだこともあって、その後、ソロバンを使うこともありませんでしたが、決してソロバン塾が無駄であったと思ったことはありません。この世での出逢いで「無駄」なものなど何もない実感した出来事でした。ここでも、先生との出逢いが人生訓を伝えてくれたのです。
 断言できることは、人間の才能は、その人間の持つ“人に対する感情(好嫌)”によって大きく左右され、自分の側からそれらを受け入れてゆけば、必ず事象や指向性が自分に活力を与え、より能動的に前進するようになるのです。絶対にいけないことは、「楽をしよう」とか「面倒くさい」と思うことで、必ず破綻が来ると言うことです。
 
 話を中学一年に戻します。めでたくソロバン4級?の免状で父を克服した私は、ブラスでのフルートの練習に励みました。当時の今津中学校吹奏楽部の一年生は、夏休み中(6週間)の間に、12曲の行進曲をマスター(1週間に2曲のペース)するように指導され、とにかく美しい音よりもボリュームのある音を要求されました。我々一年生24名は、得津武史先生がコンクールの練習で精一杯であるため、卒業生の中から選りすぐりの先輩が我々1年の指導をしてくれていました。私の学年は、大阪音楽大学のトランペット科の石川学先生でした。
 この方は、得津先生とは違いとても繊細な感性で、私たち一年生を指導してくれました。しかし、一人ずつみんなの前で吹かされ、チェックをしてくるのは得津先生と変わりません。これが今津中学校吹奏楽部の伝統なのです。
 今では考えられないと思いますが、ミスをする度に指揮棒の代わりに用いた天ぷらを揚げるための長さ40㎝ほどの菜箸(竹製で堅い)で、頭をバシッとやられます。しかし、不思議と腹が立ったことはありませんでした。むしろ、叩かれる方が練習不足であることを自覚していたのでしょう。この天ぷら棒のシゲキが明日への踏ん張りになったのを感じ、先輩達もこの天ぷら棒の洗礼をくぐり抜けてレギュラーの座を手に入れ、日本一の栄誉を得るのだと考えると、この一撃が勇猛果敢性を生む原動力となったのを思い出します。
 今こんなことをやると暴力事件だと騒がれかねません。しかし、当時は社会全てが生ぬるいことでは生きて行けなかった時代だったのです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/