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(4)ジンジャー松本

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 5年前、梅谷先生が「マエストロの会でアウシュヴィッツを見に行く」とおっしゃった時、私は冗談だと思っていました。また、そのようにおっしゃった意味を考えるでもなく、アウシュヴィッツへの関心を抱くこともありませんでした。その後、折に触れ、梅谷先生は「アウシュヴィッツ訪問」を促してくださいましたが、それでも私はまだ冗談の範疇と受け取り、「無関心」のままでした。

更には、計画が具体化していく過程においてさえ、「ホントに行くんだ。幾らかかるのだろう?みんな行くのかな」というスタンスでした。「行かない」という選択肢は、当初よりありませんでしたが、「行くぞ」、「行きたい」ではなく、何かあれば「行けない」という事態もあり得ると考えていました。それが今回「行けた」のは、私にとって「行かなければならない」何かがあり、「行かせてもらえた」のだと思っています。

 

「アウシュヴィッツ強制収容所」と言えば、「ナチスドイツにより多くのユダヤ人が虐殺された」ということは、誰でも知っています。しかし、それ以上のこととなると多くの人は「ガス室」、「人体実験」・・・といった断片的な情報があるに過ぎません。

私が「アウシュヴィッツに行くのです」と言うと、「ドイツへ行くのですね」と言われました。そして「何でまたアウシュヴィッツなんかに?」というやりとりがテンプレート化していました。しかし、逆の立場なら私自身が同じ質問をしたと思います。

「アウシュヴィッツなんか」という言葉は、「虐殺が行われた場所」として忌み嫌っていることが表れたものだと思います。しかし、「人の死」というものが病死、事故死といった要因であることが一般的であり、生きていることが「あたりまえ」の世の中で「死」をイメージしても、それは「別離」の派生としての「死」でしか無いように思います。 つまり、「死」あるいは「虐殺」ということは、自分にとって「リアル」ではないのです。当然、自分の死について思いを寄せることも無く、むしろ「死なない」と思っているが如くです。その意味では、幼児期の方がよほど、死はリアルであり恐怖でした。

楽と得を求める社会に適応していく中で、感覚・感性を鈍らせ、歳をとるにつれ「興味の無いもの」に対しては「面倒くさい」と思うようになってしまったのです。

つまり、死を忌み嫌っているようで、それは面倒くさいことへの言い訳としているに過ぎないようにも思います。このような感覚と大差なく、事前の学習は「夜と霧」を読み、「シンドラーのリスト」を観ただけという状態で現地に赴きました。「遊びに行くのでは無い」と自分にも言い聞かせながら、旅行気分であったのは間違いありません。

 

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訪れた初日、入口は観光客で溢れていました入場までの手荷物チェックには長い行列が出来ていました。

第一収容所のゲート「ARBEIT MACHT FREI(アルバイト マハト フライ)」"働けば自由になる"が見えてきた時にも「おお、アレだ」という物見遊山でした。

第一収容所はレンガ造りの収容施設が残っており、その中に展示品が収蔵されていました。ガイドさんの説明を聞きながら歩く収容所の各施設は、合理的な設計思想に基づき整然としており、緑の芝生が生い茂った様子は、そこが第一収容所に続き、バスで第二収容所ビルケナウに移動し絶滅収容所であったこととのギャップを感じさせましたが、こちらは見渡す限りの広大な施設でした。(※写真は整然と並ぶ収容棟)


 ガイドさんの「最高に文化水準の高いドイツ人が、なぜユダヤ人の虐殺という蛮行に及んだのか」、「ヒトラーは、民衆による選挙で選ばれている」、「ナチスドイツが悪、ユダヤは被害者という単純なことではない」という言葉は印象に残りましたが、この時点でなお、私はまだ観光気分を抜け出ていませんでした。足早にほんの一部を観て、この日は終わりでした。恐らく、「必見・定番コース」のようなものだったと思います。

 

翌日も「ARBEIT MACHT FREI」と書かれたゲートをくぐり、第一収容所から前日観ていない収容棟の展示を見てから、第二収容所へ移動しました。こちらは、何しろ広いのです。破壊されたガス室や慰霊のモニュメントを過ぎ、収容所の奥へと進むと人もまばらになってきましたが、この広大な敷地に収容しきれないほどユダヤ人がヨーロッパ中から連れてこられ、殺されていたのです。

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今こうして歩いている見渡す限りの敷地に溢れるくらいに、生きる屍のような人がいたことを想像すると、見えている景色もおぞましいものに感じられました。

「ドイツ人が、ユダヤ人を虐殺した」アウシュヴィッツで行われていたことは、こんな単純ではありませんでした。現実的には、ユダヤ人自身がユダヤ人を殺していたという面があったのです。ドイツ人が直接手を下すのでは無く、ユダヤ人の中から、ユダヤ人を取り締まる人間を選び、彼らに実行させました。それが「カポ」です。カポは、潤沢な食事、過酷な労働からの解放と引き替えに仲間を売りました。それも、少しでもナチの機嫌を損ねれば自分自身も殺されることがわかっていても、目的や希望も無く、その日を生きながらえる食事にありつくためだけに・・・。ドイツ人は、自ら手を汚すこと無く、また無残な死骸や惨状を目の当たりにすることもなく、ただ個人に割り振られた番号や、ユダヤ人たちから搾取した金などの総量として認知するのみでした。ユダヤ人たちはドイツ人たちにとっては、人格を持った「人間」ではなく、モノだったということです。ゆえにアウシュヴィッツはまさしく、殺人「工場」であったといえます。(※写真はカポの居室)

 

梅谷先生はおっしゃいました。「ドイツ人は優秀であり、ユダヤ人もまた優秀である。それが片や支配し、片や一方的に虐殺される立場となった。それはなぜか? ヒトラーには純粋な自国民への愛があった。それにより、ドイツは、ヒトラーの元に一体となった。ユダヤは自らの国土を持たないために、「金」だけが信用できる唯一のものであり、礼節を欠き、他者との関係を築くことができず、リーダーの元に結束することができなかった。」そして、「あなたたちはカポだ」ともおっしゃいました。

 

私はリーダーを自認して、マエストロの会で学んできたつもりでしたが、我が社のまとまりの無いバラバラな状況は、リーダー不在のユダヤの様相です。そして、そこでリーダー気取りで、偉そうに命じている私は、カポであり、また社員に対し、人格を見ず、スキルや貢献度合いで量るようなモノ扱いは、ナチSSのようです。

このことを鑑みるにあたって、私はヒトラーからも学ぶべきものがあるように思いま

した。アウシュヴィッツには、「ヒトラー=悪、ユダヤ=被害者」ということだけではない深遠なものがありました。

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もし、私が「マエストロの会」ではなく、一般のツアーでアウシュヴィッツに訪れていても、冒頭に書いたような物見遊山だけで終わり、アウシュヴィッツに「行った」という既成事実だけに満足していたように思います。その結果、得るものと言っても幾ばくかの写真と、誰もが口にするような通り一遍の「感想」を抱くに過ぎなかったと思います。梅谷先生をはじめ、マエストロの会メンバーと、この地を訪れることが出来たことにあらためて感謝いたします。
(※写真はガス室前に置かれた献花)

 

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