M&Uスクール

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今週の喝 第305号(2011.2.21〜2011.2.27) この世は全て催眠だ(47)〜心のコントロールは、カメラ操作と同じ〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(47
〜心のコントロールは、カメラ操作と同じ〜

 皆さんは、先回お話しした「BGM映像法」「フィルム逆回転法」など、自分の心にあるわだかまりを緩和する方法を試してみられましたか。面白いように自分をコントロール出来るでしょ。
 また、「心の濃淡(明暗)訓練」「事象(イメージ)の大小訓練」(色彩、距離、奥行き、鮮明度、コントラストetc.)は、実はカメラに趣味を持っておられる方は、ハッと気付かれたと思いますが、写真の基本要素です。私も、カメラ大好き人間ですので、このバンドラーやグリンダーが考え出した心のコントロール法は、デジカメの編集ソフト(フォトショップetc.)と全く同じである事に気づきました。
 撮った写真を、どんな理想の形に持って行くかを先ず想定して、それに近づけて行くのです。しかし、写真に興味を持っていない方は、カメラとは、色彩、距離、奥行き、鮮明度、コントラストなどを操る道具だと思って間違いありません。
 写真を愛好すると、モデルさんの撮影会や、自然を切り取る楽しみは格別のものです。写真の小さな画面に全てを映し込むことは無理です。従って、写真は被写体の部分を“切り取る”ことで作品にするのです。そこで、コンテストなどに応募してみるのですが、素晴らしい写真は、やはり「視点」やどの部分を見せたいかという「切り取り」が勝負になります。
 観光地などで、美しい景色をバックに皆さん記念撮影にいそしんでおられますが、出来た写真はしっかりとバックが写っているのですが、その前に米粒ほどの小さな人間が写っているといったモノがほとんどです。上手な人が撮ると、人間の表情がしっかりと写っていて(人に近寄って撮ったため)、バックの風景はそこがどこか分かる最低限の範囲に絞られ、とてもインパクトがありますね。そうです!写真は、何を写し取るのか、主題が大切です。

=視点を変えれば、固定観念が打破できる!=
 「君は私と同じ観点からものを見ていないね」などという言い方をよくしますが、これはまさに文字通りで、写真にも当てはまります。上手下手は、「視点・観点」なのです。
 さて、あなたが加わった論戦の内で、自分が正しかったと確信しているものを、思い起こして下さい。最初は覚えているままに映像を流して下さい。
 次に、相手の肩越しに……つまり相手の後側からあなた自身が見えるような位置に視点を移して下さい。そして、その位置から同じ論戦を眺めます。
 どうでしょうか。印象が大きく違った人もおられたことと思います。自分が正しいと言い切れる人は少なくなります。また大差ないという方は、すでにこのような視点移動をやっていた方ではないでしょうか。これを、自分自身を客観的に捉え、自分自身を観察する「自観法」といいます。
 私も、20歳頃にコンチェルトを演奏した時、我が師に「第二楽章はうまく演奏できたと思いますが、第一楽章はどうも乗りませんでした」と言うと、「バカ!第二楽章は堅かったよ。一楽章は落ち着いて安定していた」などと言われ、面食らいました。そして、録音を聞き直すと、やはり師の言う通りなのです。
 若い頃というのは視点が固定化しているため、まさに“吹く”と“聴く”とは大違いなのです。これを整合化(吹くと同時に、客観的に演奏を判断)するまでに、私は十年以上の時間が掛かったことを覚えています。若い時は、何事も熱くなりモティベーションは高いのですが、総合的な判断は的確でないのが特徴です。若い時代には、それほど客観視することは難しいのです。
 このように、視点を変えてながめた後でも、自分が正しかったと確信できる人はどのくらいいるかというと、私の経験則から言うと大体5%が良いところでしょう。
 さて、この客観視の最高の形がキリストの説く「黄金律」です黄金律とは、「自分のして欲しいことを、相手に行う。自分がされて嫌なことは、相手にしない」と、視点・観点を逆にして己の行動を整合化する方法です。人間は、モノを言う時には、その言葉を相手から言われて心地よいかどうかを考えなければ、相手はその言葉を上辺では聞いたふりをしても、心から従うことはありません。力無き者は、無抵抗非協力という心遮断状態で接し、権力者を手こずらせます。その最たる例がガンジーの提唱した無抵抗主義です。
 このように、人間はあらゆる問題に於いて「万事休す」と思うことでも、視点や論点、行為自体の主体・客体を変えて見ることによって、打開策が見いだされ、正しい判断が出来るようになってゆきます。
 先にあなたが思い出した議論を、あなたと相手の脇から中立の立場でながめてみると、本当に「自分が正しい」と信念化していたことが、実は固定観念であったと気付く人も多いのです。天井から大局的見地に立ってながめてみて下さい。また床の上からまるで小さな子供の観点でながめてみて下さい。面白いように、あらゆる考え方や感じ方が出来るようになり、失敗の最大要因である固定観念や、それを創る頑固性が溶解してゆくのを実感するでしょう。

この続きは、また来週……('-^*)/