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今週の喝 第715号(2018.12.31~2019.1.6)この世は全て催眠だ(456)〜無欲恬淡こそ、“信”の境地への近道〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(456
無欲恬淡こそ、“信”の境地への近道

 小学校6年生の時、愛する祖母芳枝の死から恐怖と虚しさを感じ、海清寺の春見文勝老大師から「意味など分からずとも、お婆ちゃんがとても喜ぶ」と言われ、夜が明ければ
 「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空……
登校時にも、「観自在……」と、偉いお坊さんから言われたことを、ただひたすら信じて暗記してゆきました。もちろん、意味など分かりませんから「いろはにほへと ちりぬるをわか……」のようなもので、音節など無茶苦茶です。しかし「これを覚えたら、お婆ちゃんが喜ぶ」=「死の世界へ届く」と思い、約1ヶ月掛かって何とか暗誦し、お参りに来て下さったお坊さんに付いて読経出来るようになりました。
 私は今もそうですが、見識豊かな方のおっしゃることはストレートに何の疑いもなく“やる”ことに決めています。これが私の人生に大きな“ご利益”を天は与えてくださったようです。
 何事をするにも最も大切なことは、人に対する“信”です。人間関係の拗れは須く、この信の欠如から起こることを、私は後の人生で知りました。そして、孔子も「五徳・仁義礼智信」で説くように、最後には「」を己の境地に組み込んでこそ、立派な人間と言えるのです。自分が「信じて貰う」ことに最も重要なことは、「人を信じること」です。このように言うと「信じれば、騙されるのでは……?」と、疑問が湧いてくるのも確かです。それは、「信ずる」代償として、何かを「求める」という欲得が無意識の内に介在するからで、私の場合、死んでしまった人に対して「喜んで貰える」という、無欲恬淡(むよくてんたん)な心からスタートできたのが幸いでした。
 このような性質を身につけたせいか、小学、中学、高校時代の先生方とも今も交流が在り、私の人生の節目には重要な役割をして下さっています。それも、学校の成績はおいといて、心情的な交わりをして下さるのは、私から先生方に「信」の心をもって接してきた賜物だと確信しています。このことから得た教訓は、欲得無しで人に接すれば、必ず“信”の境地に辿り着くのです。

 

★★悪しき伝統は、リベンジによって育まれる★★

 このように我が人生を振り返ると、体験の全てが現在の自分の姿を形作る要素であったことを認識します。それは、五木寛之氏の小説「大河の一滴」そのものだと思います。サザンオールスターズの桑田佳祐もこの作品のファンであることを公言しており、「からっぽのブルース」はこれに影響を受けて作ったと語っていました。
 そうです!「信ずる」ということは、心を無欲恬淡=「からっぽ」にする事なのです。そして、からっぽこそ人の能力を大いに高める原動力なのです。今思えば、私の幼少期は幸せな出逢いで充ちていたように思います。全てが複合的に良い方向に相乗効果を発揮し、私の人生を「このようなことを悩み苦しんでいる方々に伝える」方向に導いてくれているのです。
 「からっぽ」であることは、「感じる」感性を誘発し、その感性の中から「アイデア」を沸き立たせます。してみると、芸術を志すということは、“自分を否定”することから始まるように思います。
 これは仮説ですが、初めて作曲した演歌が大ヒットしたのも、“私”という肉体(霊体)を通して、天(Something Great)が私の心を歌に変えて、世間の皆さんに気づきや夢・希望を与えたのではと思えるのです。
 中学一年の私がランパル先生のコンサートチケットを貰えたのも、また、楽器の上達は技量(腕)ではなく、耳(六根)にあると「受容体説」に中学三年で気付いたのも、それは天の示唆であったと思います。そして、また後に話してゆきますが、「潜在意識」の世界や「成功失敗の分水嶺」の研究に没頭していったのも、自分を超えた(もしかして、生きている内には理解できない)力が働いて、今日があるのではと感じます。
 それもこれも、無欲恬淡に人に対する“信”を持てたからでしょう。そしてもう一度反芻(はんすう)しますが、その信は「欲を捨てた」世界に存在するのです。(今は、雑念が嵐のように心中を吹き抜けますが……)
 このように、色々な気づきの中で中学3年に成長し、我が伝統ある今津中学校吹奏楽部の双肩を担う位置に付いた私は、同学年の部員みんなに、
 「俺等が先輩からやられて嫌やったことは、後輩にはせんとこな!
と、説いてまわりました。その真意は、「信」こそアンサンブルの要であって、そこに憎しみや疑念があれば、必ず冷たい音楽になってしまうと感じたからです。お互いの切磋琢磨するひたすらな努力こそ、人を感動に導く最大のパワーだと思ったからです。しかし、同学年の中には、
 「やられたからやり返して何が悪いねん!
という人間もいて、一筋縄にはクラブの体質改善は良い方向に進みませんでした。私は、
 「俺らをやったんは一年上の人間や、下の人間にするのはおかしい
と理論で説得を試みましたが、彼等は上の人間も同じようにしてきたと、理屈を捏ねます。このようにして悪しき伝統は培われていくのです。
 さあ、これからどうなりますことやら……!

 2019年も私の人生で感じたことを、このコラムで書き綴りますので、お読み下されば幸いです。皆様には素晴らしい一年であることを祈念いたします。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/