潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(441)
梅谷忠洋は、隔世遺伝!?
ここでまたまた、誤解を回避するために申し上げます。
このコラムでも、父・郁郎との確執について多々書いておりますが、父は唯々昔型人間であったというだけです。
昭和3年11月10日生まれの我が父は、自分の誕生日のことを母や近所の叔母から聞かされて、よく愚痴っておりました。この日は御大典といって、大正天皇の崩御に伴い、昭和天皇(裕仁さま)が正式に皇位継承をし、即位したお祝いの日でした。今のように娯楽やイベントの少ない当時は、国を挙げて、国民皆がお祝いをしたのです。そして、巷では提灯行列が行われ、特に夜の界隈(水商売)は、大盤振る舞いでした。男盛りの郁郎の父(私の祖父)久吉は、これに便乗して梅谷家の跡取り(初めての男児)誕生の日にもかかわらず、家を留守にして友人達と遊びまわっていたそうです。
私が子供の頃、我が家には三味線や太鼓、尺八など和楽器がたくさんあり、それは我が祖父・久吉の得意とするものであったと祖母から聞きました。それほど芸事には長けていたようで、周りの人達も鳴り物を操る久吉をとても重宝していたようです。
後に、それを周りの人達から聞かされた父・郁郎は、反動形成の心が働いたのと、青春期が支那事変から大東亜戦争の国難の時代であったため
「自分勝手な行動は周りを不愉快にする。華美、贅沢は敵だ」
と自重して、その生き方を妻子にも押しつけていたのです。これも言い方が良くありませんね。昔の父親(男)は皆、自分の生き様こそ正しいと信念化して、戦後の食料難の時代を生き抜いてきたので、ほとんどの男は自負心を持っており、その心意気が苦を乗り越える原動力となっていたのです。そして、その生き様こそ男の本懐と思い、鳴り物(楽器・音楽)に傾注する私に、自分の父(久吉)の面影を見て、嫌悪感を持ったのでしょう。
★★“黄金律”の気付きは“苦”の体験があったから★★
こんな父は、戦前の教育が染みついた性質です。小学校の時、アカンたれだった私が、岩にしがみつくように楽器や勉強に(成績が下がれば辞めさせると脅されながら)励んでいたのを見て、得津先生には、
「先生が来るなと言うまで、どこでも行きまっせ。ワシは先生が好きでっさかいナ」
と、裏では非常に親しくしていました。演奏旅行の時など、トラックを運転して楽器運搬を買って出て、九州や関東にまでスタッフのように付いてきてくれました。頼まれればイヤとは言えない温情豊かな昔型人間の典型だったと分かるのは、ズッと後のことですが、私の分からないところで、それこそ陰日向で私を見ていてくれたのです。
一見高圧的な父も、自分の父(久吉)との間の確執の中で、楽器を放蕩(ほうとう)の象徴と見て取ったのでしょう。私が楽器に執心するのを見て、とても複雑な気持ちであったことは想像に難くありません。しかし、この頃から、少しずつ私に対する態度が変わってきたように思います。
親子とは、本当に厄介な関係だと私は感じています。親は子を可愛いが故に、自分のしてきた苦労はさせたくないと思い、その思いが強いが故にそれを強要し、新たな確執が生まれるのです。また、親が子を自由にさせれば、子供は自分には関心がないのでは?という疑念を抱くのです。こんな仲を取り持ってくれたのは、母・洋子でした。洋子は今も健在(83歳)!10年前に他界した夫・郁郎を支え続けてきたその裏話を、今も団らんの時に懐かしそうに話します。その笑みを見ていると、父の二面性を子供の頃見抜けなかったが故の確執も、今は素晴らしい人生教訓の教科書だったと思います。
人間は、誰しも二面性を持っていますが、そこに「自分は正しい」という妙な意地(信念?)を持っているため、自己表現がややこしくなってゆくのです。従って、私はこのことに気付いた時、人間関係、会話、コミュニケーションなど、全てを自分の側と相手側の二方向から解釈しておくことを学びました。いわゆる、ゲシュタルト的思考です。
この気付きは、私が中学三年生になり、二年や一年の指導をしなければならなくなった時に突然起こりました。それは、自分に対して上級生のイジメなどの障害がなくなり、思うがままに振る舞う権利と権力を得た時、今度は自分が主導してこのクラブ、我がフルートパートを他校が及ばないチームに育てなければならないという義務感が湧いてきたのです。その為には、後輩達を引っ張り上げてゆくよりも、彼等が私を見習って、それを真似てくれる方が、素早く目的が達成できるという気付きでもありました。その為には、ゲシュタルト思考で、自分が二年生の時に何がイヤであったか……?そして、三年生になって、そのイヤな時代の中で役立っていることは何か……?を考えたのです。
それは、毎日のダブルバインドからただ逃げようとし、父の肚も見抜けずに逆恨み(?)状態で、トリプルバインド(逃げ場ナシ)だと思っていた私が、
「自分には音楽の魅力(魔力)がそのエネルギー源になり、何事にも耐えうる精神が培われた」
という気付きを得た瞬間でした。そして、その気付きは、「されてイヤなことは、しない」という、黄金律の気付きへと発展して行ったのです。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/