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今週の喝 第772号(2020.2.3~2.9)この世は全て催眠だ(513)〜作詞作曲は初めの一歩!〜

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潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(513

作詞作曲は初めの一歩!

 わが盟友で高校時代の同級生、西村光照作詞、梅谷忠洋作曲の、地域活性のための“今津音頭”は完成しました。めでたし!めでたし!と思いきや、それからの作業がもの凄く大変なのです。先ずは誰が歌うか……?それが決まれば、先ず歌手の音域に合わせてキーを何調にするかを決め、どの楽団に演奏して貰うかを選定しなければなりません。
 そこで、地域で活躍しているG先生率いる三味線チームがあるので、それを使ってはどうかという案が、婦人会の方から出てきました。三味線を用いるとすこぶる日本的なサウンドになるので大歓迎なのですが、それだけでは線の細いものになりますので、ここは歌謡曲の伴奏のビッグバンド的な楽団が欲しいところです。この問題は、連合福祉会会長の浅尾一雄さんの一声、
 「我々今津の誇り、“日本一のブラスのひびき”とあるやないか。もちろん今中のブラバンにやって貰おう!」
ということになりました。しかし、私はまだまだ年端も行かぬ中学生に日本人の魂のリズムである“音頭”が演奏できるのかどうか、自分が彼等のレッスンをしているからこそ不安でした。
 そうしてでた結果は、伴奏を今津中学校吹奏楽部G先生率いる三味線チーム、そしてメインの歌は、G先生のところで地域ののど自慢に優勝したという民謡歌手のYさんに決まりました。
 「何調で歌うのが良いですか」とYさんに尋ねたら、
 「私は音域が広いさかい、どんな民謡も熟(こな)せまっせ」と力強いお言葉です。
今津音頭は少々音域の広い曲なので、下はAbから上はFまでなら何とかなるだろうと、Abメジャーにしました。
 45人編成の吹奏楽に編曲し、当時中学三年の佐藤君に地元の氏神さま福應(ふくおう)神社から借りてきた大太鼓をたたいて貰うことになりました。
 大太鼓から始まるイントロを作り、前奏から本歌のメロディーの後、間奏です。しかし、五番まである歌詞をもり立てるには間奏を繰り返したのでは、冗長な感じがします。そこで、三番と四番の間には、今津小学校の校歌を4小節入れて、四番と五番の間には今津中学校の校歌をフューチャーしてアレンジしました。 


★★世間の評価を信じたばっかりに……。★★

 二十(はたち)の私はまだまだ世間知らず!町の婦人会の顔役がG先生の三味線チームや地域ののど自慢で優勝した民謡歌手に歌わせれば良いと言ってくれたことで、「相手はそれなりのプロだから」と勝手に思い込み、楽譜を渡して、まだまだ練習途中であった今津中学吹奏楽部だけの練習テープを紹介者の顔役に手渡して、練習して貰うように頼みました。
 そして、みんなが顔合わせをする第1回目の練習日になりました。それは、6月の終わりの日曜日だったと記憶しております。中学校の音楽室に、吹奏楽部の生徒達G先生率いる三味線軍団10名、そして、民謡歌手のYさんが一堂に会し、その様子を見守るように、今津連合福祉会の面々が音頭の中にある“合いの手=ア、ヨイショ”を入れるためにスタンバイしています。そして、出来上がった今津音頭に踊りの振り付けをまだ高校生であった私の妹・泰子が師匠・花柳晶姿(はなやぎあきし)先生のチェックの下に担当することになり、隅っこの方で見学しています。
 音楽室はギューギュー詰めの状態で、梅雨入り頃の気温で(当時はクーラー設備もなく)熱気ムンムンです。
 吹奏楽部はそれまでに1週間ほど練習を重ねています。大太鼓の佐藤君からは日本人の血が感じられ、小気味の良い音頭のリズムでイントロのソロを叩いてくれます。それに惹きつけられるように吹奏楽部のメンバー全員が音頭特有の乗りをマスターして、いざ総合練習に入りました。
 指揮は私が担当するように得津武史先生も配慮してくださり、1拍目を振り下ろしました。佐藤君の大太鼓ソロのリズムに町の衆は満面の笑みでそのリズムを聴いていました。そして前奏の全合奏になった時です。三味線の皆さんが私が書いた楽譜にはないリズムで、ペンコシャンコペンコシャンコと勝手に弾き始めたのです。それもコード(和音)にない音で……。
 そして、いよいよ12小節のイントロが終わって、一番の歌に入って、私の全身から血の気が引きました。歌手の声がガナリ声で、およそ歌と言うより、その辺の下手なカラオケクラスなのです。その上、私の書いたメロディーで歌いにくいと言うことを理由に、ところどころ勝手な旋律で歌う始末です。
 長年(といっても8年間)音楽をやってきて、日本一にもなり、そのレッスン法を得津武史先生より習得してきた私ですから、その状態が練習すれば修復できるのか、無理なのかは分かります。そこで、途中で曲をストップして、G先生に、
 「私の書いた楽譜の通りに演奏してくださらないと不協和音になります」
と言ったところ、
 「すんまへん。私ら三味線は西洋の楽譜は読めまへんねん。でも、音頭は分かってまっさかい任しておくなはれ……!」
 私の全身から血が引いたのは当然として、西村君も自分の書いた歌がここまで歪曲されたことに、愕然とするばかりです。見学していた得津武史先生も開いた口が塞がらない様子で、いつもならギャーギャー言うのに、この日は声一つあげない有様です。
 そんな空気はよそに一通り練習が終わったとき、G先生のメンバーは、
 「やっぱり、オーケストラとの共演はよろしいでんなぁ」
と、満足げに三味線を片付けています。そして、当のY歌手も、
 「気持ちよう、生のバンドで歌わせてもろてほんまに良かった」
と、丁寧に頭を下げ、お礼を言って音楽室を出て行きました。
 
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/