M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第688号(2018.6.25~7.1)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

 成功への道しるべ!この世は全て催眠だ429


「言葉」はウソをつける。行動にウソはない!

 
 レーゾン・デートル(Raison D'être)=存在意義
今回の私の菌血症……黄色ブドウ球菌による脊髄の膿が原因の苦痛も、そこに私の人生に於ける存在意義が必ずあります。ただ、それが何であるかは時が経ち、未来より現在を振り返ったときにその回答が為されるから、癖が悪い!(今すぐには分からない)
 「この苦しみは、将来の自分を形作るために必要な苦!
と、分かるとするなら、それは他者の目(傍目八目)から見た場合です。自分からは決して見えません。古来より「親の心子知らず!」というのも、経験を積んだ親であるが故に子供を適切に育てることができるのですが、子を立派に育てるというのは、子にとってみれば、「勉強しろ」から始まって、面倒くさい事ばかりです。親から見れば先が分かっていても、子供は人間の本質通りに「楽と得を求める」感性で日々生活していますので、ウザったい限りです。
 また、親も子供の躾を「言葉」で注意や威嚇を与えますから、「口は災いの元」の格言通り、親子断絶に陥ることも少なくありません。ですから賢い親は子供に対して言葉で諭すのではなく、それこそ“ノンバーバル・コミュニケーション”……言葉ではなく態度や行動(率先垂範)によって示します
 行動は、決してウソをつくことはありませんから、子供はそれを素直な気持ちで受け入れます。受け入れたくなくても、行動で示されれば、文句を言うことは出来ません。それが「子は親の背中を見て育つ」という格言となったのです。
 そして「沈黙は宝なり!」ということわざも、曲解して「何も言わないのが良い」と思っている人もいますが、そうではなく、「言葉より行動で示せ!」という意味です。
 坂本九さんの歌「幸せなら手をたたこう」の後半の歌詞「幸せなら態度で示そうよ……」は、けだし名言!
 どんなことも、私たちは行動することで意志を周囲に伝えることを実践した者だけが、「初めに言葉ありき……」とヨハネが言うように、その言葉の重みを実感するのです。
 
★★恐怖心は礼節の無さより生じる★★
 
 私も先回書いたように、激痛にのたうち回りながら文章書きをしたのも、万事休すの状況下でも、「自分を自分たらしめるものは必ずある」という日頃よりの“信念”をシミュレーションしていたお陰です。もし、ただ苦痛に耐えようと対決していたなら、きっと私自身マイナス感性に打ちのめされ、恐怖と絶望の淵に立っていたに違いありません。
 ほとんどの人間は、その場(立場)にならないとその感覚に対する対応・反応の感性は生じないものです。それを皆さんに伝えるために、私はM&U SCHOOLを創設しました。それは、人間みな法則の下に皆平等。例外などどこにもない!……という結論から、人の痛みや苦しみを普段から自分のこととして受け止めその心を一(いつ)にする事で「彼我一体」の境地に達し、情緒や共感性を育ててゆくことになり、動じない自分の精神を養うことが出来るのです。
 しかし、凡人と呼ばれる多くの人間は、自分という言葉が示すように、“自”と“他”を分けて考え、“自”に対して楽と得が与えられれば、後は適当な感情で処理してしまいます。そこには、自分だけは厄災に遭わないという間違った感覚「正常性バイアス」があるため、一向に世の中から事故や事件がなくなりません。それは、全てが「他人事」だからです。
 伝教大師は、このような匹夫の心を諫めるために「忘己利他」の教えを我々に残して下さいました。
 もう一度言います。「人間には例外など有りません」。ですから他人事は自分事として心に刻み込むことで、人生にテンションが掛かり、歓びや快の方向に舵をきることが出来るのです。
 今日は、私の腰も足も“痛み”を感じることはありません。だからこそ、私はこの病院のベッドの上で、あの苦痛の4日間を振り返り、どんな痛みであったかを真剣に思い出していました。「もう、二度とあのような苦しみは御免被りたい!」という気持ちが湧き出ると同時に、菌血症になった経緯が分からないことに、恐怖心が湧いてきました。
 “恐怖心”は、人間の「礼節の無さ」から出るとSCHOOLでは伝えています。それを教えている本人が、何に対して礼節を欠いていたのか分からないのです。そして、恐怖は募るばかり……。
 何事もそうですが、究極まで物事を追求してゆくと、そこに真理が発見されることが儘あります。私は答えを見つけました。それは、自分自身の身体を常日頃から大事にしていなかったという単純な結論です。
 何事も精神力のみで解決できるものではありません。また、身体のみを大事にして心を疎かにしてもやはり人生目標には到達しません。つまり、心と身体のバランスを崩した挙げ句の激痛だったのです。まさに、私はこれを天の戒めと感じ、これからは「バランス」を主に考えた己のスケジュール作りをしてゆく決心を固めました。
 バランスとは「礼」のこと!そして、スケジュールは「節度」です。つまり、私の心は私の身体に対して「礼節」を欠いた結果、今回の苦痛の種を作ってしまったのです。これが、今回の闘病する意味(レーゾン・デートル)だったのです。

      この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/