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今週の喝 第667号(2018.1.29~2.4)この世は全て催眠だ(408)〜弱者の抵抗〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(408
弱者の抵抗

 
 私たち人間は、先人達が培ってきた叡智を学ばないと、自分の側からの一方通行的解釈(偏見)に陥ってしまいます
 最近のNHKニュースでも「ニュース深読み」というコーナーがあります。“深読みとは何か”と考察してみると、自分の側だけではなく、相手の立場から見た解釈も視野に入れて、一つの事象を立体的に(3D)で見ることです。人間は自分の都合の良い方に物事や事象を解釈して、世間体や自分の心を納得させようとします。これを心理学では「確証バイアス」といいます。
 特に、幼少の折は自分のことだけに心を奪われて、他を意識することは、敵対的行動以外にありません。それが年齢を経るごとに、友達が出来て、その友と環境や条件を共にすることで仲間意識が萌芽し、協力態勢の歓びや力強さを少しずつ学んでゆきます。
 孟子が四端説で「惻(そく)隠(いん)の情」(勝者は敗者の心を汲んで、その後の態度を決める)を我々に説いたのも、それを為す人が少ないからです。相撲界で元横綱・朝青龍が勝った後、ガッツポーズをして不遜をかいました。これも我々日本人が無意識に親から子へ、子から孫へと伝授されてきた武士道(格好良さに対する賛辞)の思想から、勝者の傍若無人を許さない気風(判(ほう)官(がん)贔(びい)屓(き))が心に染みついているからです。
 何はともあれ、人のことは分かりますが、いざ自分のこととなると、自分に苦や損を与える人間には敵愾心を燃やし、力無き内はアパシー(無気力・無感動・無感心)の状態になるか、善悪の区別無く抵抗するか、「泣く子は地頭でもかなわぬ」というように、手の付けられない状態を作り出すのです。不登校、DV、引きこもりなど、敵愾心を燃やす相手に対しては、相手が嫌がればどんなことでもやってしまいます。喩え、それが自分の根本的性質を異常な形に追いやってでも……。しかし、いずれにせよ物事の発展性(解決に向かうこと)は全くありません。非生産的なのです。

 

★★当時の父親は、家族を喰わせることで精一杯★★

 さて、私と父親との関係について書いてきましたが、亡き父の名誉のために申しますと(今だから冷静に判断して)、当時の日本での父親という存在は「地震・雷・火事・親父」というくらい怖いものでした。今思うと、我が父は当時では標準であったように思います。
 私が小学校1年生は、西(さい)岸(がん)良(りよう)平(へい)の漫画「三丁目の夕日」に描かれている時代です。日本のシンボルとなる東京タワーが作られ、終戦から13年、昭和33年は丁度今から60年前、戊(つちのえ)戌(いぬ)です。6年後に東京オリンピックをひかえ、日本は活気に満ちておりました。それも、戦争に負けた悔しさを今度は経済戦争に置き換え、国民のみんなが頑張っておりました。まだまだ、食生活も豊かとは言えず、食べて行くだけで精一杯!そんな折、家族を喰わせるために父親は身を粉にして頑張っていたのです。食べることに必死だった時代……その頃は、一家を背負う父の存在は偉大でした
 また、我が父は少年志願兵として東京武蔵野にあった陸軍の通信学校で教育を受け、「お国のために」戦った世代でした。ですから、国を守る、会社を守る、家族を守ると、“守る”ことこそ男の本懐と思い、私のように音楽に趣向を持つなど許しがたいと考えていたのです。
 そんな父が子供をもうけたとき、「跡継ぎが出来た」と喜んだのは当然のことです。しかし、私にはどういうわけか“音楽”に心惹かれるものを感じ、今思えば、楽譜も何も読めない頃から、TVドラマ月光仮面のテーマソングは全てのサウンドが頭に刻み込まれていたのです。これは私がプロの音楽家となったときのことですが、この「月光仮面は誰でしょう」というテーマソングをオーケストラアレンジして欲しいという依頼がありました。その時は、不思議や不思議、何の参考楽譜を見ずとも、頭の中に刻まれているその音を忠実にスコア(総譜)に書いて行くだけで全く同じサウンドを得ることが出来ました。
 ですから、当時の我が父親にとって「もしかしたら、息子は別の道に行くのでは?!」と無意識に思った結果、私のやることなすこと(ことに音楽に関して)猛反発をしたのだと思います。これも“予感(予知能力)”が働いたのでしょう。後日、私が潜在意識の研究をするようになって、これらが「兆候明察」であると分かったのです。
 さて、話を私の中学一年生に戻します。1学期の成績はお陰様で、父に「よく頑張った!」といわせしめましたが、夏休みのことです。突然、父が「商売人になるんやからソロバンを習いに行け!」と唐突に言い出すのです。それも、週三回月水金の午前9時から10時。しかし、吹奏楽の練習は1年といえども休みなく午前10時から午後2時までです。
 10時にソロバン学校を終わってすぐにブラスの練習に駆けつけても、30分の遅刻です。またまた、頭悩ませる事態を父親は嫌がらせのように突きつけてきたのです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/