M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第662号(2017.12.25~2017.12.31)この世は全て催眠だ(403)〜 「目的意識」こそ、エネルギーの発露!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(403
「目的意識」こそ、エネルギーの発露!                                 
 
  ピカピカの中学一年、それは東京オリンピックが開催された年1964年の春4月10日でした。この年の「選抜高校野球大会」の行進曲は、梓みちよさんの大ヒット曲こんにちは赤ちゃん」……この曲を当時吹奏楽コンクール全国一に輝く今津中学吹奏楽部が高らかに奏でる中、不安と期待にしどろもどろしながら、入学式会場である体育館に入場してゆきました。
 体育館の外で整列し、ドラムマーチに続くファンファーレのイントロが聞こえてきて、胸が高まりましたが、一歩体育館の中に入ると、建物独特の残響(エコー)と生演奏の大音量に圧倒された私は、その後の校長先生の祝辞も来賓の言葉も全く耳に届きません。私の胸中は軽快な“4分の2”のマーチのリズムと、勇ましいトランペットのファンファーレ、流れるような木管楽器のメロディー、優しく語りかけるようなユーフォニームのオブリガート(裏歌)、弾むスネアドラムにどっしりとした大太鼓、そこにインパクトを付けるシンバル……この荘厳無比のアンサンブルサウンドで、生まれて初めて「忘我の境地」を味わいました。
 小学校の時、体育館通風孔から聞いた時と、全く違うのです。後年、何が違うのかと研究したところ、その日の演奏は、私のため(もちろん新一年を迎えるため)のものだったということです。つまり、そこには歓迎のための演奏という「目的意識」が明快で、吹奏楽部にとっても、その演奏による感動によって、新入部員を勧誘するという大いなる野望(?)がありました。
 人間は“目的”(何のために)が明快になると、エネルギーがお腹の底からホツホツと湧き出して、それを完遂させようとする無意識のパワーが発揮されることを、後になって嫌と言うほど体験するのです。

 

★★人生の分岐点は、呆(あつ)気(け)なく決まるのかも?!★★

 そして、入学式の余韻も覚めやらぬ2日後、放課後、校舎の廊下を一人で歩いていると、向かいから白いトレパンにエンジ色のセーター、足下は簡易サンダル、そして、頭はタオルで鉢巻き、そして、教員とは思えないサングラス姿。その上、何に用いるのか、右手には竹刀(しない)という出で立ちの、今津中学吹奏楽部を日本一に導いた得津武史先生が真っ正面から歩いてくるのです。私の足は竦(すく)み、心臓はバクバクと大きな音を立てて血液を体中に送り出しているのが分かります。
 私に緊張癖があったからでしょうか?……いえ、それには深い訳がありました。それは、前日(11日のことです)。父が、
 「忠洋、お前クラブは何処に入部するんや?」
と、夕食時に突然私に尋ねてくるのです。
 「ま、お前の好きなところに入ったらええけど、ブラバンだけはアカン。あそこに入ったら、練習に時間取られて勉強出来んようになるからな。近所の○○君のお母さんも言うてはった。それに、あの家は息子さんがテニス部で頑張って勉強もよう出来る。そやから、お前もテニス部に入ったらええ!」
と、頼みもしないのに既にテニスのラケットを買ってきてるのです。私は、まだ父親には恐怖心で接していましたので、何故テニス部なのか分からずにしどろもどろしていると、父親の方から
 「皇太子さんと美知子さんは、テニスして仲良うなりはった!」
と、全く辻褄の合わないことを事例に、私に無理矢理ラケットをあてがったのです。皇太子さんとは現在の明仁天皇のこと。お二人は軽井沢のテニスコートで愛を育まれ、それが起因でテニスは大流行したのです。そんな事情は、私には全く関係ありません。しかし、私は父親には反抗できず、ラケットを受け取ってしまったのです。
 家でそんなことのあった翌日の放課後、誰もいない三線校舎(当時校舎が平行に三棟建っていて、音楽室のあるのが三線校舎)の廊下で、音楽室から出てきた得津先生と鉢合わせしたのです。
 私の頭は、2日前の入学式のあの華やかなブラスの響きで頭の中が真っ白になるほどの感動と、昨夜のテニスラケットを無理強いで受け取らされた恐怖が交錯して、自失状態に陥りそうでした。
 ピカピカの帽子をかぶった私を見つけた先生は、独特のだみ声で、
 「お前、一年生やろ!ブラバンに入れ。」
と、恫喝にも近い勢いで、私に迫ります。まるで、蛇に睨まれた蛙の如く、
 「ハイ!」
と言ってしまったから恐ろしい。
 「何吹きたいんじゃ?」
とたたみ掛ける得津先生に、私は楽器の名前など“喇(らつ)叭(ぱ)”と“太鼓”しか知らなかったので、とりあえず、
 「ラッパ!」
と言うと、先生は
 「歯ァ、見せてみぃ
と矢継ぎ早に指示するので、私は“イーン”と見せますと、発育の遅かった私は、まだ一本だけ乳歯が残っていたようで、下顎の歯並びが悪いのを
見て、
 「アカン。Fluteじゃ!」
フルートという楽器がどんなものか分からないまま、この一瞬で呆(あつ)気(け)なく私の生涯の職業“フルーティスト”が決まったのです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/