M&Uスクール

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今週の喝 第659号(2017.12.4~2017.12.10)この世は全て催眠だ(400)〜 私の運命と宿命〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(400
私の運命と宿命

  私が多くの方から「あなたの仮説は大胆ですね」と言われながらも、またその仮説に対するバッシングの説明も考慮に入れて発表した人間のエネルギー方程式、
     [aE/X](a=引き込み係数、E=能力係数、そして、X=気散係数)
ここで私が言いたいことは、人として生まれてきた時に「能力係数=E」の総和は変わらないのではないかと考えたのです。我々は大概の場合、人の優劣は「能力の差」としますが、これは単純に能力差が何故起こるかを説明できないための“逃げ”では無いかと考えました
 その理由の一つには、私の生まれ育った地域や環境と様々な出会いから始まる人間関係、そしてそこに時代背景も加わって、華麗なゴブラン織のペルシャ絨毯のように美しい文様を作って行きます。
 私は、いつも不思議に思うのですが、何故、梅谷郁郎・洋子夫妻の間に生まれたのか……これは、いくら思考を凝らしても、観念(自分の信ずる世界)は出来ても、それが正解かどうかは、誰も分かりません。ならば、それ以前のこと(前世)は考えないことにして、昭和27年1月16日午前0時52分に兵庫県西宮市今津大東町に生まれて以降の私の運命を考察しました。
 私は、変哲もない下町で畳店を営む家に生まれました。父24歳、母19歳という新婚夫婦の間の子です。しかし、結婚時、母があまりにも若いという理由で、花嫁修業(奉公)に出されます。その先が畳屋兼花屋を営むお家で、ご主人の森本忠雄さんにはたいそう可愛がって貰ったそうです。そこで、生まれた長男(私)の名を、恩義のある方の一文字と母の一文字をとって「忠洋」と命名されました。ここに梅谷忠洋が誕生したのですが、やがて成長するにつれ学校では、梅忠(ウメチュウ)とあだ名を付けられ、後にこれも又、摩訶不思議な縁で受け持つことになり、パーソナリティーを務めたNHKのラジオ番組名が「梅忠のサウンドボックス!」でした。

 

★★私の音楽の嚆矢は「ウィリアムテル序曲」★★

 人の名は、符号に過ぎないという人もいますが、その韻律や文字数から不思議なバイブレーションを感じます
 さて、私の生い立ちに戻ります。今津小学校4年生の時、音楽専任の田中信雄先生と出会います。別にこちらから「出逢いたい」と思った訳ではありませんが、この先生との出会いが私の音楽の灯(ともし)火(び)の灯を付けました。当時としては珍しく、小学校の音楽室に英国タンノイ製の大きなスピーカーからクラシック音楽を大ボリュームで聴かせてくれたのです。私がはじめてまともに聴いた音楽は、ロッシーニ作曲「ウィリアム・テル序曲」でした。最後のスイス軍の行進のトランペットファンファーレを聴いた時、身の毛もよだつ感動を覚え、私の音楽人生が始まりました
 聖者・孔子も初めて宮廷に上がった時、数百人の笙(しよう)の演奏を聴き、感動のあまり数日間食事が喉を通らなかったと記されているように、私も、身体の奥底から湧きいずる、カーッとした得体の知れないエネルギーに抗することは出来ず、その魅力の虜になってしまいました。その時のことは、鮮明に覚えていますが、「演奏してみたい」を通り越して「作りたい」と思いましたその頃の私の音楽の通信簿評価が5段階の内で“3”でした。後に(プロになってから)、田中先生に何で“3”なのか尋ねた時があります。先生の答えは「スペリオパイプ(縦笛)を力一杯吹くのでオーバーブローしてしまい、音がひっくり返って音楽にならなかったから」と明快な答えです。つまり、縦笛は下手くそだったのです
 本来なら、“3”という平凡な点数しか取らない児童を心に留め置かれるはずはないのに、何故か田中信雄先生は、私を放課後特別に音楽室に呼んで音楽を聴かせてくれました。これについても尋ねたことがあります。
 「PTA愛護部の集まりで夏休み中にレコード黄昏コンサートを開いたとき、お母さんと一緒に聞きに来たね。その時ヘンデルの「王宮の花火の音楽」とドヴォルザークの「新世界交響曲」をかけたけど、その時、君は新世界の四つの楽章ともハミングしてたの覚えてる……?」
 私は全く覚えが無いどころか、レコードコンサートの最中にハミングしている子供などうるさくて邪魔なはずなのに、PTAの皆さんも田中先生も何の苦情も言わず為すがままにしておいて下さったのです。こんな所にも私の邂逅(運命を変えるような出会い)がありました。してみれば、感動や情熱は邂逅を呼び寄せるように感じてなりません運命の方程式「選択肢と優先順位」は、あらゆる事象に作用しています。よく考えれば、小学校の頃、音楽の通信簿評価で“5”を貰っていた彼等、また、ピアノを華麗に演奏していた彼女たちは、その後、音楽の道に進んだと言う話はあまり聞きませんね。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/