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今週の喝 第939号(2023.05.22~05.28)〜先輩は全て“練習の鬼!”〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ679

先輩は全て“練習の鬼!”

  宇宿先生に伺った限りで申しますと、近衛先生宇宿先生の師弟関係は、本当にキリストを、又、阿弥陀如来釈迦を諭すような関係であったと思います。つまり、全てを掌握している者が、これからあらゆることを成そうとする才能溢れた者を手塩にかけて育てようとする間柄です。
 適切な言葉は中々見当たりませんが、
 「形の上での親切などではない、本質を見る眼という、芸術家として最も必要なものを養って下さった」
と私は感じております。
 また、指揮者になりたい旨を師匠に伝えたときには、「土方(どかた)になりなさい」というまじないのような言葉を投げかけられました。これは
 「指揮者になるためには、一流のプレーヤーになれ。日本一のオーケストラのトップ奏者になるんだ。二番ではダメだ。一番になるんだ」。
という意味です。この回答を導き出した我が師宇宿允人先生も、やはり常人ではない方だと分かります。
 このようにして、宇宿先生はNHK交響楽団に入団しました。当時のN響(NHK交響楽団)の、管楽器奏者のほとんどが陸海軍の軍楽隊出身者でした。芸大出身というのは、その当時、宇宿先生ただ一人でした。
 軍楽隊を志願した人間は、先ず、上官が唇、歯、そして手先を見て、「お前はホルン、お前は打楽器」という具合に即座に振り分け、即座に楽器を渡されると、海軍の場合、一週間で“軍艦行進曲”をマスターしなければならないという課題が与えられます。できなければ、海軍精神注入棒(精神を鍛えるための扱(しご)きバット)で渾身の一発を喰らうのです。だから、初めて持った楽器だとかそんな言い訳は通じませんので、みんな必死になって覚えます。そんな過酷な状況の中で練習を積んできた軍楽隊出身の先輩達ですから、皆“練習の鬼”のような人達ばかりでした。

 

★★何かが違う「上手いけれど心が感じられない!」★★

 そんな職人気質のプレーヤーの先輩達の中で、宇宿允人先生は昭和35年にN響の首席トロンボーン奏者に就任しました。近衛先生の「土方の親方になれ!」の一言が宇宿先生の精神を支え、課題を一つ乗り越えることが出来たのです。
 そして、N響在籍10年目。我が師匠宇宿先生は当初の自分の夢“指揮者になる”を叶えるため、単身アメリカに渡り、「ウエストサイド物語」の音楽の作曲で有名なニューヨークフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者であるレナート・バーンスタイン氏の下で、指揮者としての下積み研修が始まりました。
 宇宿先生は折を見て、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、メトロポリタン歌劇場など様々な演奏会を見聞しました。そして、感じたことは、
 「どのオーケストラも素晴らしいテクニックを駆使し、絢爛豪華な響きを披露しているが、なぜか違和感を覚える。確かに上手い。凄いテクニックだ。でもまるで機械から音がでているように感じる。心に染み入ってくるようなそんな温かさ、侘しさのようなものが、感じられない……。」
自分の描いていたオーケストラの響きと大きな開きを感じ、失望の中に身を置いたと常々語っておられました。
 先生がN響の首席トロンボーン奏者を辞退したときの話もここに記さなければなりません。ある日のコンサートでモーリス・ラべル作曲の“ボレロ”が取り上げられました。あの曲は管楽器全員が夫々のパートの技術の粋を駆使して演奏する、それは難曲中の難曲です。トロンボーンも例外ではありません。その演奏で、一箇所ハイトーンで先生はミスをしてしまったのです。そのミスを機縁に演奏者に見切りを付け、いよいよ指揮者の道に行こうと後を押されたような感覚になって、ニューヨーク行きを決めたのです。
 そんなこんなで、あと2年くらいはニューヨークで勉強をして帰ろうと思っていた折、先生のもとに一通の手紙が舞い込みました。それは、大阪フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者・朝比奈隆先生からのもので、大阪フィルの専任指揮者になって欲しいという依頼の手紙だったのです。ここで、先生は大いに迷いました。
 「ニューヨークに留まるべきか、N響に帰るべきか、まだ行く先が見えない指揮者としての道に踏み出すか……」
朝比奈先生が宇宿先生を招聘した狙いは、「大阪フィルの管楽器の立てなおし」にありました。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/