M&Uスクール

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今週の喝 第903号(2022.09.12~09.18)この世は全て催眠だ(644)〜出逢いの不思議!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(644

出逢いの不思議!

 皆さん、ここで私事で申し訳ありませんが、1979年(年末のレコード大賞では小林幸子が“歌唱賞”。有線放送大賞では、おもいで酒が“大賞”を取った年)私が育てた関西学院大学応援団総部吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールで“金賞”を見事に獲得しました。ここでも経緯を明記しましたが、私がLessonに行く前から関学吹奏楽部は素晴らしい成績で有名でしたが、この頃になると、どういう訳か「金賞」を逃しておりました。
 そこで当時、西宮市議会議員であった卒業生の今西えいじさんから、「母校の金賞奪回」を託されたのです。私も数多の卒業生を輩出している伝統ある大学の「金賞奪還作戦」のリーダーとして白羽の矢を立ててくれたので、徹底して彼等大学生と寄り添いました。そして、お陰様で彼等部員は見事に私のLessonをこなし、見事に“金賞”の栄冠を手に入れました。
 夏の暑い時期に銭湯にも行けず、頑張ってくれた彼等をグイグイ私と共に後輩達を引っ張っていってくれた4回生には、頭が下がりました。そこで、彼等4回生を労おうと、私の家で優勝記念祝賀会を開くことにしました。お昼2時に集まり、監督の山口照太さんも入ってドンチャン騒ぎは夜11時頃まで続きました。みんな音楽家ですので、やはり思い出のステージの話に華が咲き、それは楽しいひとときでした。そして、後で分かったのですが、この時、私の妹・泰子(通称:泰兵衛「花柳流の名取り」)も同席して彼等の接待をしてくれました。
 その打ち上げ会で、ティンパニーの細見和志君があの八分音符が延々と続く「アッピア街道の松」の恐怖(緊張感)を臨場感一杯に話し出し、それに食い入るようにみんな耳を傾けていたとき、泰子の心の扉がフッと開いたのでしょう。後日2人は結婚し、今も細見和志君と仲良く暮らしています。

 

★★関学のご縁で我が妹が結婚出来ました★★
 もちろん、細見和志君と我が妹・泰子は、出逢って直ぐに結婚したわけではありません。細見君には、壮大な夢がありました。それは「母校関学の哲学科の教授になる」というものでした。ですから、恋愛下手の(真面目な)二人は、相思相愛でありながら、結婚を切り出せないでいたのです。私はそんな彼等に後方から支援をし紆余曲折がありながらも、卒業数年後に、めでたくゴールすることができました。
 結婚式と披露宴は神戸ポートアイランドにあるポートピアホテル。彼等の仲人は、これも不思議なご縁で知り合った画家の川畑純保(じゅんぽ)先生。川畑先生は、私が20歳の時、宇宿允人先生の采配でヴィエール室内合奏団の一枚目のレコード「シュターミッツ作曲のフルート協奏曲ト長調」のレコードジャケットの表紙「イギリス聖公会・大阪川口教会」(当時のヴィエール室内合奏団の練習会場に貸して下さっていました)の絵を描いて下さって、それ以来、家族ぐるみでのお付き合いをしている方です。
 さて結婚式当日、細見和志君が我が妹と結婚するというので、金賞を獲得したときの4回生のメンバー+αで吹奏楽団を結成し両家の親戚一同が勢揃いして、新郎新婦入場の時は、ワーグナーの「ローエングリンより婚礼の合唱」で始まり、厳粛なセレモニーがスタートしましたが、第1回目のお色直しの頃になると、関学の吹奏楽部メンバーに私と新郎和志君も加わって瀬戸口藤吉作曲の日本の誇る名行進曲「軍艦」がフォルテッシモで奏でられ、その演奏に両家のオッサン(親戚や父親達)が胸を張ってホテル中をパレードするというハプニング付きで盛り上がりました。
 後日、私のところにポートピアホテルから電話が掛かり、あの様な演出をこれからもして欲しいというお誘いまでありました。
 ま、それはそれは盛大な披露宴で、「縁は異なもの味なもの」を堪能した一日でした。

 このように、楽しくおめでたい事ばかり書いていますが、楽しいことや嫌なこと、またショックなことも関学の思い出には数多(あまた)くありました。
 楽しかった事から少しばかり書いて行きますと、シンガポール政府から招聘が掛かり彼の地でコンサートをすることになりました。その為に私は「シンガポール民謡組曲」をその時の演奏旅行のために編曲し、大喝采を受けました。コンサートの中には、(当時大流行した映画)「スーパーマン」のテーマや世界の行進曲をメドレーにしたものなど、とても楽しい楽曲でプログラムを組みました。もちろん「ローマの松~アッピア街道の松」もあり、みんな目を輝かせて聞き入ってくれました。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/