M&Uスクール

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今週の喝 第896号(2022.07.25~07.31)この世は全て催眠だ(635)〜 人間社会の百匹目の猿現象〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(635
人間社会の百匹目の猿現象

 さて、東北の街仙台の有名レコード店星光堂に1000枚の「おもいで酒」のレコードが到着し始めました。レコード商組合の新年会で、酒の勢いも手伝って大見得を切ってしまった星光堂社長は、そのレコードの量に鳥肌が立ったと聞きました。
 店頭に堆(うずたか)く積まれたレコードの山を見て、暫し頭を抱えた社長は、仙台市国分町にある本店では、思い悩んでいる社長を見て、女店員が店にある大型ステレオで聴いてみたそうです。
 「社長、これ良い曲だから、流しまくればきっと売れ出します!」
と社長を激励し、店にある大型スピーカーの方向をくるりと180度通りの方に向け、大音量で「B面おもいで酒」を流し始めました。そして10分も経たない間に、スナックやクラブに出勤途中のおねえさん達が数十枚買っていってくれたそうです。そんな最中、和歌山のレコード店でも同様のことが起こり、徐々に火が点き初めました。面白いことにこの和歌山のレコード店主も、演歌不作を嘆いて、ワーナーパイオニアのセールスマンに、早急にレコードを持ってくるように要請したといいます。
 その昔、グループサウンズ・ブルーコメッツの唄う「ブルーシャトー」に広島辺りの小学生がその歌詞に「森トンカツ、泉ニンニク、かコンニャク、まれテンプラ」と替え歌の歌詞を付けました。この曲の元歌が全国に知れ渡るのに2年近い歳月を要したといいますが、替え歌の方は3ヶ月足らずで、全国の小学生に伝播し、元歌を聴いたことのない子まで「森トンカツ、泉ニンニク」とやったといいます。私たちの世代です。
 これは一人が作った替え歌が口から口へ、人から人へと伝わったのではなく、同時多発的に、しかも同じような替え歌が、全く別人によって作られ、それが最後に統合されたというのです。これは後年、生物学者ライアル・ワトソン教授によって「百匹目の猿」という論文で世に紹介されました。“百匹”とは一定の臨界点を指し、その数を超えると同時進行で全く交流の亡い群れでも同様のことが起きるという仮説です。

 

★★若い演歌は今燃える★★
 同時多発で起きる不思議な現象「百匹目の猿」……これに対して、世間の眼は訝(いぶか)しく見ていましたが、私は「おもいで酒」で実体験したのです。そして初めはジワジワとした伝播でしたが、そこに例のジェネラルマネージャーの佐伯さんが、ワーナーパイオニアの邦楽部長にAB面のChangeを進言し、晴れて我が「おもいで酒」は念願のA面に躍り出ることが出来ました。1979年(昭和54年)の1月27日にB面で発売され、その年の3月25日にはジャケットも一新され再発売されることになったのです。
 この経過が佐伯さんから私に直に連絡が来たとき、後に出逢うことになりますが、仏教詩人の坂村真民先生の有名な言葉「念ずれば花開く」が脳裏を過(よぎ)り、まだまだ朧気(おぼろげ)ながらですがM&U SCHOOL開校の発火点が出来上がってゆくのです。
 そして、佐伯さんはサッチンにも同様の電話を入れ、
 「君の唄っている“おもいで酒”が各地の有線放送でリクエストが殺到しているよ」
と伝えたところ、彼女は、
 「知っています。渥美二郎さんの“夢追い酒”でしょ」
と、素っ頓狂な返事をしてきたといいます。
 「違う違う!君が唄っている“おもいで酒”だよ」
後でサッチンから聞きましたが、15年もの長い間、自分の歌が売れなかったので、俄には信じられなかったようです。そこで伊藤温泉ハトヤホテルのバーから自分で有線放送にリクエストして驚いたのは、リクエストを受けられないと言われたようです。その理由は、その日に既に1時間に20本もリクエストが殺到しているというのです。
 その時のサッチンは、自分の唄っている歌が売れている。そしてAB面が逆転し、3月25日に再発売されるという報に、一瞬、電話を持ったまま卒倒しそうになったそうです。
 前年の紅白歌合戦(1978年12月31日)をハトヤホテルに出演中のストリップのおねえさん達と共に見ていて、
「サッチンは、紅白には何時出るの?」
と冷やかされ、負け惜しみで
 「来年必ず!」
と言ったことが夢幻から、希望へとつぼみが膨らんでいったのでした。
後年、彼女はテレビで、
 「人間、熱い思いは口に出すものですね。本当に実現しますよ」
と満面の笑みで言っていたのが頗(すこぶ)る印象的でした。
 そして後日、作詞の高田直和先生から、私にある提案がなされました。それは、
 「梅忠さん、この曲が3万枚の大台に乗ったら、西宮市民会館で小林幸子を招いて“若い演歌は今燃える!”と題してステージを開きまひょ」
という申し出でした。梅谷忠洋25歳、小林幸子24歳……こんな若年者で演歌が生まれ、そして世間に流布してゆく事など希有な現象だったからです。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/