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今週の喝 第890号(2022.06.13~06.19)この世は全て催眠だ(629)〜テクニック+性質=人気喚起〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(629
テクニック+性質=人気喚起

 「風前の灯火」と言って良い位置にいたサッチン(小林幸子)。その酒の量から「暮らしは相当荒れていた」事が覗えます。そして、話す言葉はマイナスの内容ばかりなので、一緒にいても全く楽しくありません。こんな時も作詞家高田直和先生は、自分の作品“おもいで酒”の2番を
 「くらしも荒れたこの頃は、おもいで酒に酔うばかり」
と改作するから、この作品への情熱は、並大抵のものではありませんでした。
 そして当のサッチンは、どんな大作家の先生の作品もツキがないため「鳴かず飛ばず!」。それは当たり前です。自分自身に対してもマイナス感情でくるんでしまっているのですから。周囲に居る者達がウキウキしてこないのです。
 「“ツキ”とは周囲を巻き込んで初めてその威力が発揮されるのかも……」
と思ったのもこの時でした。してみれば、歌が上手い(技術が優れている)だけではなく、人間性(性質)そのものに、もの凄く大きなパワーが秘められているのかな?と感じ始めたのです。
 してみれば。当時のサッチンには「“華”がない」と後で気付きました。ということは、“華”は意識で醸し出す事ができるのかどうかという命題に最後には行き着くのですが……!その答えは後日お伝えするとして、すこぶる歌の上手い小林幸子は、その半生から、愚痴やマイナス感情が吹き荒れておりました。その原因は、正に「くらしも荒れた」ところからきていました。
 どんな状態であろうと直ぐ作詞に反映してしまう高田先生は、やはり鬼才であることは間違いありません。世の中に「無駄なモノ」「嫌いなモノ」を感じる人が居るなら、そこに美しさ、愉快さを見いだす事はできません。これはポピュラー歌手に限らず、夜のお仕事や人気商売全般的に言える事です。

 

★★夢と希望は人に言う事が達成への近道★★
 ここで高田直和先生の簡単な略歴をお話ししましょう。高田先生は、灘の生一本「金杯(きんぱい)」の高田酒造の分家の生まれです。その先祖を辿ってゆくと、淡路出身の大富豪、高田屋嘉兵衞を先祖に持つ名家。高田屋嘉兵衞は、日本を代表する歴史小説家・司馬遼太郎先生の「菜の花の沖」の主人公です。ロシアとの国交を結んだ江戸時代後期の有名な淡路島を拠点に活躍した回船問屋を起こした幕末の商人で、ロシアと国交を正常化できたのも嘉兵衞のお陰です。
 そんな先祖を持つ先生ですから、頭脳も聡明で、高校は超有名な進学校“灘高校”から明治大学へ進み、そこで、古賀政男先生明治大学マンドリンクラブで出逢い、少々不器用であったため、マンドリン奏者にはなれずマネージャーに就任し、古賀先生の鞄持ち的役割をずっとやっていたので、演歌的な情緒を育むことになったそうです。大学卒業後は、実家の高田酒造に就職するかと思いきや、「私は酒が嫌いでんねん!」と言うことで大阪に本拠を置くABC朝日放送に就職し、事業部に配属され、その縁でチョコチョコとABCの事業部主催のステージに来た歌手達のために作詞をしたそうです。
 一方の小林幸子は、新潟で肉屋を営む両親の元でスクスク育ちましたが、生来の音楽好きで九歳の時にのど自慢に出演し、その時に審査員をしていた古賀政男先生にスカウトされ、デビュー曲「うそつき鴎」を書いてもらいました。しかし、全く売れず、所属事務所の第一プロダクションもどうして良いか分からずグラビアモデルやセクシー雑誌の表紙にまで出される始末。
 神戸国際会館で私と初めて出逢った時には、最後のレコード一枚を録音し終わればプロダクションとの契約解除という瀬戸際に立たされていました。(もちろん当時、サッチンはそんな事を知る由もありません)。ヒット曲のない演歌歌手の営業と言えば、俗に言う“ドサ回り”。音楽界の用語というのは全て逆さまに言う風習があって、ギャラ「ラギャ」と呼ぶなど、誠にガラの悪い感じがしますね。ですから、ドサとは「サド」のことで、その昔は罪人の流刑地であった“佐渡島”のこと。
 その頃(昭和53年)のサッチンは、伊豆伊東温泉の「ハトヤホテル」(「伊東に行くならハトヤ」のコマーシャルソングで有名)で営業に出されていました。彼女から聞いた話ですが、年末の紅白歌合戦がテレビで放映されていたとき、ハトヤで一緒に館内キャバレーのステージに立っていたストリッパーのお姉さん達から、冗談ごかしで、
 「サッチン、こんなところに居ないであなたも努力して紅白に出なさいよ」
と皮肉を言われ、唇を噛んだと悔しさをにじませておりました。そして、生来の負けず嫌いなので、
 「お姉さん達、来年の紅白は必ず出るからテレビ見ていてね」
と嘯(うそぶ)いたと語っていたのが印象的でした。果たして、次の年の紅白歌合戦には見事に出演を果たしたサッチンは、
 「何でも言って見るもんですね。本当に出る事ができました」
と、嬉しそうにしていた笑顔が今も目に焼き付いています。しかし、その道はまだまだ険しく前途多難でありました。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/