M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第883号(2022.04.25~05.01) この世は全て催眠だ(622)〜意識が朦朧となると、人は自然内観に入る〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(622

意識が朦朧となると、人は自然内観に入る

 私の信条は、自分に降り掛かる厄災や慶事総て「人生に無駄はない」ということです。しかし、「心底それを自分の信条としているのか?」と問いかけると、些か「?」モンです。そんな時の病魔……それもCORONA脳梗塞呼吸不全病の三重奏の中で、しかも尋常の人間ではほとんど体験することの出来ない「ICU(集中治療室)」に6日間も隔離されていたと後に聞いた時は、驚きました。もっと詳しく言うと、呼吸困難の状態なので、人工呼吸器を鼻から喉に装着していた模様です。私が愚痴を言う権利など何処にも見当たりませんが、この呼吸器を挿入する時に、声帯に傷が入った模様で、現在(いま)、気力・体力共に壮健ですが、声だけがハッキリ出ない故、まだ皆さんの前に出現できないのが現状です。
 後で分かったのは、ICUには3日程度入室していたように思っていましたが、何と6日も隔離されていたそうです。その上、呼吸不全のための人工呼吸器を装着されていたため、私は、その苦しさから無意識に管を引っこ抜こうとする故、両手をシッカリと縛られ、身動きが全くできない状態での6日間でした。
 その時、看護師さんや医師の方々が「眠れてなさそうだね。息が苦しいですか?」と声を掛けてくださる時、“チューニング”の有効性を実感しました。声がけをしてくれている間は、苦しくも呼吸器の違和感もないのです。チューニングの有効性は「進行暗示」そのものにあることを実感でき、それなら自己催眠的にイメージの中で看護師さん達の声を想像して「進行暗示」を加えれば良いと解釈し、常に自分に呼吸調整をしていました。
 ICUにいる間、回数は定かではありませんが、数回呼吸不全に陥り、もうこの世とお別れが近づいているなぁ。と思った時、不思議に自然内観している自分がいました。
 過去に出逢い、私に多大な生命力や技量を叩き込んで下さった多くの人達の顔や言葉が、まさに眼前に居るように浮かんでくるのです。してみれば、私はもの凄く多くの人達に大切にされ、生意気にも自分自身で生きてきたように思っていたことも、総て家族や恩師をはじめ周囲の人達のエネルギーの賜物であったという気付きです。
 ゲシュタルト的に解釈すれば、「人は一人では生きてゆけない」ことの実感です。そして、自分の信条として心に決めてゆけば、それが本心から出たものかどうかを必ずチェック(お試し)が来るということです。

 

★★“苦しみ”が真の自分を目覚めさせる!★★
 それにしても、ジックリと我が人生を振り返ることができた今回の病魔に「感謝」と言いたいところですが、先にも書いたように、これは本心から思っているのかどうかと自問自答すれば、限りなく“嘘臭く”なります。
今現在も、自分の声が思うように操れないことをもどかしく思いながらも、今まで、感謝の念もナシに大きな声を長時間出せてたことに感謝するために起きた事象であると思って、自分自身の心を収めることはとても重要だと思いますが、その心情に到達するまでの葛藤は半端ない苦痛です。
 私の入院生活を一括りにすると、冬期オリンピックとウクライナ情勢です。私が自分の体調管理からきたものであるにせよ、入院生活の間中、テレビの向こうではプーチンが悪者でゼレンスキーは善人のような報道の嵐でした。タップリと時間があったお陰で報道の偏りから戦争という異常事態でも世間の反応……その反応を見ていると、どう考えてもロシアとウクライナを平等視の観点からもの申しているマスコミが少ないことなど、切歯扼腕の思いでテレビ画面を虚ろに眺めている時間が多くありました。
 今現在でも、国連安保理はプーチンロシアを勧善懲悪的思考で悪者扱いしていますが、その論旨は多数決でロシア支持派が少数であったことに由来します。しかし、その差はプーチン支持派の主軸となる中国・インドを中心に僅差であることを皆さまは感じていますでしょうか。我々はアメリカからの視点で戦後の歴史を見てきましたが、何かバイアスを感じてなりません。アクティビティ5月号にも書いたように、あんなに聡明なプーチンが今のような戦い方をするとは私は考えにくいのです。別に彼の肩入れをするわけではありませんが、時々見せるゼレンスキーの“したり顔”が気になるのです。
 また、私がのうのうとベッドで寝ている時も、大勢が銃弾やミサイルの犠牲になっているという残酷極まりない所業が行われていることも事実です。しかし、我々日本人はそんな事はお構いなしで、彼の地の情勢を冷淡に見ています。つまり、人間は自分自身に火の粉が降りかからなければ常に偽の心で、人ごとよそ事と取ってしまう生き物だと入院中に感じ取りました。
 前回、硬膜外腫瘍で宇治徳州会病院に入院していた時は、猛烈な腰の痛みから脂汗を流しましたが、今回の脳梗塞やまたCORONAは、“お陰様”で(これも心からの叫びではないように思いますが)熱も無く、痛みも無い状態でしたので、自分自身の内面の不埒な考え方や感じ方に気付くことができました。こういう言い方も、裏側から見ると「嘘臭い」のです。
 従って、私の気付きの根本は、「苦しみからしか正視眼を獲得する事は出来ない」ということです。つまり、今現在、皆さんが苦を感じていないとするならば、何ごとに於いてもその真骨頂は分からない!と私は思うのです。従って、どんな事象に関しても、その当事者になれるだけの黄金律的見地を修得しなければ、情勢判断にたいする正視眼や意見は、“歪んでいる!”と言っても良いことを私は今回のこの病魔から履修しました。ひどい言い方を許してもらえるならば、感情的な心の動揺でモノを言っている人間がすこぶる多いと感じるのです。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/