M&Uスクール

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今週の喝 第879号(2022.03.28~04.03) この世は全て催眠だ(618)〜病床のメランコリーは、サティスファクションの証し!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(618
 病床のメランコリーは、サティスファクションの証し!     

 病床にいると、理性とはかけ離れた感覚が心を支配します。それも、自分の中の欲求が満たされた時、特にイライラが増します。病室にいると、やる事はたった3つです。

看護師のケアを素直に受ける
②食べる……三食、決まった時間に出てくる食事が、入院が長引くとそれほど美味しいものではないのに待ち遠しくなります。その上、私に与えられる食事は糖尿病を考慮して、味は完璧な病院食!一番ひどい時は、白菜の薄味でゆがいたものに、200グラムの白ご飯のみでしたが、やる事がなくなると、それすらが、待ち遠しくなるから不思議です
ただひたすら自由を与えられている時間は、呼吸を整えて寝る
以上の3つです。

 以前も書きましたが、時間があり余裕が増すと、人間はそのゆったりとした現状に対して、ただひたすら不平・不満の心が湧き出してきます。これがルーチン化して反復練習の役割を果たして癖化し、私は特に朝方(睡眠が足りた頃)不安が襲ってきました。こんな時、あらゆることにやる気が失せて、生命力が失せてゆくのがよく分かります。
 また、愚痴っぽくなってきましたが、要するに人間の潜在意識にあるマイナス感性は、まずストレスが存在して、そのストレスの方向に沿って自分の心の発散をするのだと思うようになりました。つまり、現状否定!することで、自分の選択の“正しさ”を周囲に知って欲しいだけかも知れません。

 

★★論理思考ができない!★★
 このように、ありあまる時間の中にいると、夢・幻を見るようになります。
2月8日に名古屋のホテルで前後不覚になり、先ず、その日のスケジュールを思い出す事が出来なくなりました。私は昨年逝去された、元NECホームエレクトロニクス株式会社西日本統括本部長の本多次男さんに言われて、必ず朝一番に最も親しい人に連絡する習慣を付けておくように……と諭されたことがありました。それが一番に脳裏をかすめました。
 そこで、どんな事があろうともホテルに入った時と、次の朝は我が盟友・岡田恭子(キョンレイ)に連絡を取る事にしています。しかし8日の朝は連絡がないので、心配になって、ホテルまで駆けつけてくれたのです。
 そこで、ボーッと部屋で立ちすくんでいる私を見つけて、尋常ではないことを察知し、咄嗟の判断から
 「今日からのスケジュールは総てCancelするから、西宮に帰ろう」
と私を新幹線に乗せて一路大阪に向かってくれました。(九州の皆さんご迷惑をおかけ致しました)新大阪に到着した辺りから意識はほとんどありません。しかし、途切れる意識の中から、パッセンジャーサービスや、車掌とのやり取りは断片的に今も鮮明に思い出します。
 そして、西宮で我が妻・裕子に引き渡され、その足で、西宮北口の町医者の脳外科に連れて行かれたのですが、「手に負えない!」と言うことで、心臓にステントを入れた時にお世話になった心臓・脳神経外科の渡邉病院に夢うつつで入りました。大体午後3時頃だったでしょうか?(定かではありません)それからキッチリ治療できるICU(緊急治療室)のある病院を総力を挙げて探して下さったようです。
 そして、日時が変わり9日の深夜、隣の市(尼崎)の総合医療センターに救急搬送されました。救急車の中で救急隊員から矢継ぎ早の質問に辟易としながらICUに入ったのは覚えています。そして、そこにいた看護師からCORONA陽性反応があったので、
 「隔離病棟に入って貰います。そして、脳梗塞も併発されています」
それから、「お名前は?」「ここは何処ですか?」「今日は何日?何曜日?」と矢継ぎ早の質問攻めです。当初、私の悪い性質が禍していることも手伝って(どうでも良いことを質問されると集中できない!)何度訊ねられても忘れてしまっているのです。それが、より、重病であるような印象を与えたのでしょう。そして、呼吸困難も手伝って“とても苦しい”ので、肺に入れてある人工呼吸装置を無意識に抜いてしまうそうです。そこで夢うつつの状態ではありましたが、呼吸装置を触らないようにと雁字搦めに縛られて全く身動きが取れません。とにかく苦しい!
 看護師さんは優しく「大変だけど頑張ろうね」と優しく手を握ってくれて、囁いてくれます。それから何時間経ったか定かではありませんが、喉の奥に絡んだ痰を吐き出す(想像せずにサラリと読んで下さい)ことが出来た途端「生きている」実感が湧いてきました。それまでの数時間人工呼吸装置が装着されている間のことです。医師と看護師たちの会話から相当重症であることは推測できました。そして、「もしかしたら、このままお世話になった先人たちと逢えるのかなぁ?」などと考えたのもハッキリと覚えています。
 結局ICUには6日間居たみたいです。そしてCORONA専用病棟に移され始めの二週間を過ごしました。感染源は意識しないことにしていますが、10日程前から隣室の母が妙な咳き込みをしていたのが気になっておりました。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/