M&Uスクール

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今週の喝 第876号(2022.01.31~02.06) この世は全て催眠だ(617)〜偏見が邪魔をする!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(617
偏見が邪魔をする!

 世の中の“出逢い”ほど、妙味のある世界はありません。何かに引き寄せられてゆくような、そんな感覚がします。ルーマニア演奏旅行だけでは、私の感動はここまで高揚しなかったでしょう。
 首都ブクレシュチ(ブカレスト)でのコンサート初日に、我々のオーケストラの評判をタクシー運転手から聞いて、店を開けていてくれたレストランにも感謝ですが、そこに居た専属のジプシー楽団達の演奏を聞いていなければ、私の心は「演歌の詞」に誘われなかったように思います。彼等は、通称「ミカン箱」と呼ばれる超安物のヴァイオリン(悪口です)で、情熱が溢れ、最高に素晴らしい技術を披露して、私たちを「音楽は学問ではなく、心の蠢動(しゅんどう)と感動から出る情熱だ」と知らせしめてくれました。
 ヴィエール室内合奏団で、専門的な音楽学校を出ていないのは、私と先にも述べたチェロの西幹夫さんでした。この二人が宇宿先生の作曲や編曲のお手伝いをして重宝がられておりましたが、まさにこのジプシー楽団のバイオリンやティンバロン(民族楽器)のテクニックと曲想は、我々クラシック音楽の演奏者にはない、まるでジャズのセッションのような心と心のぶつかり合いでした。しかも、彼等のリーダーであるヴァイオリニストは、私が書いた楽譜を渡すと、片言の英語で「impossible!」(出来ない)というのです。そうです、楽譜が読めないのです。
 この時、もし私がシッカリとした音楽教育を受けて笛を吹いていたとしたら、この情熱溢れる演奏にルサンチマンの心が表れ、相手の弱点「楽譜も飲めないくせに!」などと思い、自分の心を優位に立たせることで、“悔しさ”と共にその場を凌いだことでしょう。しかし、私も彼等ジプシー楽団と五十歩百歩!宇宿先生にスカウトされていなければ、海外での演奏どころか、自分の得手不得手すら気付いていなかったでしょう。私は、彼等に心よりの好感を抱き、何の偏見もなしに受け入れることができたのです。

 

★★“論理”を捨てた時、ミューズは囁く★★
 そして、帰国後の凱旋コンサートも自分の情熱が滾(たぎ)る中で演奏し、その演奏に感動した後援会の一人の社長の労いで、生まれて初めて大阪北新地の高級ナイトクラブに誘われ、そこに佇むホステスやママさん達の品の良さに妙に熱き心を沸き立たせたのが、強烈な印象として齢70になった現在でも、そのimpression(印象)は強烈にまぶたの裏、脳裏、そして彼女たちの声はその当時のまま私の潜在意識に焼き付いています。この時の印象があまりにも強すぎたため、そのお店の名前、私のレッスンを小学校の時に受けた若いホステス、そしてこれは由々しき問題でしょうが、私を大変革してくれた後援会の社長の名は、一切思い出すことが出来ないのです。今迄、このコラムに縷々(るる)書き綴ってきた内容で、こんなことは初めてです。それほど、ナイトクラブ全体から醸し出される雰囲気の印象が強かったため、私の脳味噌がショートしたのでしょう。
 ジプシー音楽と北新地の高級ナイトクラブ、そこに佇む女性達、そして高級なお酒の味……こんな余韻が身体を巡っていた最中に、西宮市会議員の今西えいじ先生より、国政を意識しての「北方領土返還要求の“ニシンの歌”」の作曲依頼が切っ掛けで出逢った、大阪朝日放送事業副部長で、作詞家でもある高田直和先生(我が父と同い年)との出逢いがあり、あれよあれよという間に、高田先生の胸のポケットにあったクシャクシャの原稿用紙に書かれていた「おもいで酒」という演歌に作曲することになったのです。
 🎵むりして飲んじゃいけないと
  肩を優しく抱き寄せた
  あの人どうしているかしら
  うわさを聞けば逢いたくて
  おもいで酒に酔うばかり

 先にも申しましたように、私はフルート一筋と言って良いくらい、浮ついた場所に行ったり、行為行動は「くそ真面目!」と言われるくらい慎んでおりました。それは、只々何か未知のモノに対する恐怖心で、勇気が無かっただけなのかも知れませんが、とにかく品行方正な青春時代を送っておりました。そこにこの「おもいで酒」の詞を貰って曲を作ってくるように言われたのです。ハッキリ言ってその時、私には一行目の「むりして飲んじゃいけない」と言った男が酒場に誘ったわけですから、全く理不尽な詞にその裏の心など解釈のしようもない、私でした。しかし、私の潜在意識には、ルーマニアやナイトクラブ、またくすぐるような香りの匂い袋、そして、ドン・ペリニョンのシャンパンの味が文字通り走馬灯のように頭を駆け巡り、私じゃ無いもう一人の私……強いて言えば“未来の私”が、
 「今は分からなくて良いから、impressionが身体中を去来している内にその雰囲気に飛び込め」
と言う声が聞こえてきて、無我夢中でその詞が持つ独特の抑揚を元にメロディーをつけた……いやいや、浮かんできたのです。正に無意識の為せる技で、穢れの無い心(自画自讃)ミューズの神とも共振することを感じた瞬間でした。
 以前にも書きましたが、芦屋奥池を散歩していて突然曲想が湧き上がり、10分足らずで完成したのを覚えています。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/