M&Uスクール

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今週の喝 第873号(2022.01.10~1.16) この世は全て催眠だ(614)〜彼の地は未だ戦時体制〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(614
彼の地は未だ戦時体制

 ルーマニア演奏旅行から帰国した私たちヴィエール室内合奏団一行は、香港からのチャーター便のような(我々しか乗っていなかったため)日航機DC-8で大阪国際空港に降り立ちました。
 ブクレシュチ(ブカレスト)での演奏会の盛り上がりと、彼の地での新聞記事は、私たちが到着する前に私たちの後援会々長・側垣雄二(そばがき・ゆうじ)先生(西宮教育委員長)の元にテレックスで届いており、私たちの到着を30人ほどの後援者の方々が迎えてくれました。
 側垣先生は、開口一番
 「ホンマにお疲れさまでした。ルーマニアの新聞読みましたで……そこで、その興奮が冷めやらん内に、帰国報告コンサートを企画して、私たち後援会がチケット販売は引き受けますよって、気兼ねのう大阪厚生年金会館中ホールで、ルーマニアの香りを演奏して下さい」
と、既に凱旋コンサートの準備まで整っていたのには、マエストロも楽員もいたく感動しました。
 私は、家に帰って床についたのですが、あの独特の東欧の雰囲気が忘れられません。
 帰りの飛行機がブクレシュチからフランクフルトに到着した時には、既に日本に帰ったような錯覚が襲うくらい、東欧の共産国は、(当時は)西ドイツの街と違って、本当に文明化が成されていないことをヒシヒシと感じました。
 また、夜のバス移動の時の情景が強烈に浮かんできます。それは、郊外の幹線道路を走る時、バスはヘッドライトを点けず、室内灯も消灯して走行という法律があり、真っ暗闇の中を20㍍くらいの間隔に植えられた杉のような木の、高さ180㎝位の処に輪っか状に白いペンキが塗られていて、そのほの暗い反射光を頼りに走る……常識的に考えると危険極まりないように思いますが、目が慣れるとよく見えるのに驚きました。
 これも西側諸国(NATO)と東側諸国(ワルシャワ条約機構)が戦闘体制のための灯火管制と聞いた時は、異次元にいるのだと再認識したことなど、走馬灯のように私の脳裏を去来しました。

 

★★凱旋コンサートの後の特別な体験★★
 そして、気合いの入っている私たちは、凱旋コンサートも超満員の観客の前で、ルーマニアでのコンサート同様に、聴衆を巻き込んで熱いコンサートを繰り広げ、アンコールも4曲(20分)に及びました。
 しかし、会館の舞台監督には、その熱は伝わらなかったようで、9時の閉会時間10分前には、コンサートを終演の指示が出されました。
 私はこの時、「“文化”とは一体何だろうか」という疑問が肚の奥底から湧き上がってきたのを覚えています。
 そんな事を考えて、楽器を片付け、マエストロに挨拶を済ませ、厚生年金会館の楽屋を出ようとした時のことです。後援会の方の一人で大阪ではとても有名な実業家の社長(敢えて匿名)が楽屋口におられて、私を待っていて下さいました。そして、その方に会釈して帰ろうとすると、
 「梅忠サン、今日のバッハはいつになく新鮮に聞こえました。あんたの笛は、不思議な音色だね。さて、今日の渾身の演奏の後だから疲れていると思うけど、少し私に付き合って貰えまへんか……?」
とお誘いを受けたのです。
 私は疲れ果てては居ましたが、その方の申し出に従うことにしました。コンサートの後は、経験した人間にしか分からない、妙な空虚感に苛まれます。やりきればやりきるほど、その後の心は虚しさが支配するのです。音楽という芸術の持つ宿命だと私は今も思っています。もちろん、そのコンサートを録音していても、それは単に録音であって記録でしかありません。リアルタイムではないのです。
 コンサートまでは、一所懸命に自分を表現しようと脇眼も振らず練習するのですが、それが上手く演奏できれば出来るほど、その空虚感は著しいものになります。これは、体験者のみが知ることなので、多くは語れませんが、とにかく“寂しい”のです。そんな時のお誘いです。私は、疲れなど吹っ飛んだ気持ちで、その社長について行きました。
 行った先は、大阪曾根崎新地(通称:北新地)の有名クラブです。私は、その日まで、喫茶店にすら一人で入ったことはありません。とてもウブな私でした。喫茶店に行くような人間は不良だと心から思っていたのです。
それが、突然、北新地のナイトクラブに連れて行かれたのです。
 お店の前に立ったとき、ライオンの顔のドアノブが正面にあり、その鼻には円形のノックノブがついていて、それを社長が品良く3回ノックすると、静かにドアが開き、中から30才半ばの美しい和服の女性が「ようこそ!」と丁寧に挨拶して、私たちを招き入れてくれます。それと同時に、今迄嗅いだことのない得も知れないセクシーな香りが私の鼻先をかすめます。そして、社長は私を“ママ”と呼ばれる店主に紹介すると、50才を過ぎたママの笑顔が一瞬に私の心を虜にして、夢見心地の桃源郷へと誘ってくれました。
 この体験が、後に私が演歌ミュージックを創るようになった時に、私の感覚をその世界に誘ってくれることになるとても重要な初体験でした。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/