M&Uスクール

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今週の喝 第868号(2021.12.06~12.12) この世は全て催眠だ(609)〜そこには神の配慮があった!?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(609
そこには神の配慮があった!?

 江戸初期の禅僧・沢庵宗彭(たくあんしゅうほう)は人間が人間としてこの世の役に立つためには「理と事」(こころとわざ)のバランスが最も大切であると喝破しています。
 私の中学時代、以前にも詳しく書きましたが「涙の仙台コンクール」を体験した時、私は「子供にジプシーのこころが分かるのか」という理由で、他の審査員とは違う基準で山田一雄先生が最下位に近い点数を点けて以来、音楽には「情緒」という人の心を揺り動かすエネルギーがあることを知りました。「知った」といっても、それが一体どのようなもので、どうすればそれを体得できるのかなど理解する由もありませんでした。
 それまでは、得津先生に、「音楽の三要素であるリズム・メロディー・ハーモニーを楽譜通り再現すれば、日本一になれる」と教え込まれ、楽器の練習も、できるだけ早く指を動かし、タップリと息を吸ってロングトーンで均一の音を出し、音程をシッカリとキープし、指揮棒に寸分違わず合わせて行く訓練を徹底的に叩き込まれました。
 そして、「感動」といえば、行進曲を勇壮に演奏することで得られる“勝利感覚”を基本とした「血湧き肉躍る」ものでした。自画自讃ですが、我が今津中学校吹奏楽部は、この点では、人後におちることはなく、日本全国に演奏旅行した際も、他の中学校の生徒のみならず音楽関係者からも、絶賛を浴びてきました。
 「只々、先生について行けば善い」こんな信念と師弟関係で、統率の執れた軍隊の規律が思い出されます。それを打ち砕いたのが山田一雄先生でした。そして、その数年後、我が師・宇宿允人先生が、私の後輩達が演奏する「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」で、再び最悪の点数を点けられたのです。しかも、今度は県大会で……!
 それが機縁となって、私は宇宿允人先生にスカウトされたのですから、人生はまさに「糾える縄の如し」です。そして、もう一つの奇縁は、何と宇宿先生ご自身の結婚式で、祝賀演奏の指揮をしたのが山田一雄先生というから、私に音楽の情熱や情緒を教えるための神の配慮のように思います。

 

★★フランクフルトでの数奇な出逢い★★

 

 さて、そんなこんなが続いて、私たちヴィエール室内合奏団の15名のメンバーは、ルーマニアへの演奏旅行に出発することになりました。大阪空港から成田、アンカレッジ経由でドイツはフランクフルトに到着しました。当時は、未だソビエト連邦の上空をフライト出来なかったので、我々を乗せたルフトハンザ機は、通称ヨーロッパ北回り路線で先ずはドイツまで、そして、そこで2泊してルーマニア航空で、ルーマニアの首都ブクレシュチ(ブカレスト)への旅です。
 梅忠23歳、この時初めて飛行機なるものに乗りました。当時の空の旅はとても運賃が高かったので、貧乏学生がヨーロッパに行く時は、ナホトカ航路という船旅で、新潟からソ連ウラジオストックの近くのナホトカへ行き、そこから鉄路でモスクワ、そしてその後ヨーロッパ各地に赴いたのです。約1週間掛かったのを、私たちは20時間ほどでフランクフルトに到着しました。アンカレッジでのトランジットで5時間ほど待たされ、その間初めて目にする外国の、しかも荒涼としたアラスカの風景に世界の広大さを感じたのでした。そして、北極を通ってルフトハンザDC-10はフランクフルト空港に到着。ブクレシュチ(ブカレスト)行きのルーマニア航空が2日に一度のフライトなので、到着後、空港からフランクフルトの中心部まで列車移動。そして、嬉しいことに宇宿先生の弟の山口十郎さんが、フランクフルト駅に迎えに来てくれるというのです。
 先生は宇宿家に養子として迎えられた10人兄弟の5番目。そして、10番目……一番末っ子が十郎さんで、その当時はドイツ・マンハイム国立歌劇場管弦楽団のティンパニー奏者として本場で大活躍していたのです。彼は、単身片言のドイツ語でナホトカ航路でドイツまで行き音楽の勉強をしたという強者(つわもの)です。(出逢った時は、ドイツ語ペラペラ、今は京都でドイツ語の先生もしています)
 列車がフランクフルト駅に到着するとホームで若々しい姿の十郎さんが待っていてくれて、キザっぽくドイツ語で“Du kamst oft”(ドゥ カムスト オフト:よく来たね)と挨拶して、フランクフルトの地理なら任せておけと言わんばかりに、私たち一行をタクシーに分乗させ、運転手に、
“Goen zu den Minerva Hotel.”(ミネルヴァに行って!)と言った途端、運転手が乗車側と反対側のドア反対側のドアを開けて“Verschwinde!”(ファーシュヴィンデ:降りろ!)と言うのです。そうです。ミネルヴァHotelは駅の目の前だったのです。
 当時はみんな若かった。こんな出逢いの山口十郎さんとはそれこそ、それ以降(今も)弥次喜多道中のような関係が続いています。
 教訓:「エエ格好は必ずボロが出る!」
 そして、私たち一行は翌々日、ルーマニアの首都ブクレシュチに到着し、マエストロ・イオネスク・ガラチ氏の出迎えを受け、ルーマニアの主要4都市でのコンサートツアーの幕が開いたのです。

 

    この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/