M&Uスクール

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今週の喝 第843号(2021.6.14~6.20)この世は全て催眠だ(584)〜ベテランとアマチュアは同じ感性!?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(584
ベテランとアマチュアは同じ感性!?

 「般若心経」は、是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法……と「無い無い尽くし」が続きます。これは音楽家としての私の解釈ですが、「無」とは「無意識」になるくらい自分自身に備わった自然な感性と解釈すれば、「無眼耳鼻舌身意」を
 「“空”という根源の中には目も耳も鼻も舌も身体も意識も何もない」
という風なグロテスクな解釈にはなりません。音楽をする側から見ますと、楽器一つに意識を捕らわれているようでは、プロとはいえません。ですから、我々が持つ感覚器官総てが無意識に動くようになって初めて一流といえるのです。
 ですから、“無眼耳鼻舌身意”とは、「意識という人間の作為的感性から外れないとホンモノではない!」と、私は解釈しています。そして、人間の五感(心の働きを入れれば六根)が持つ感知対象「色声香味触法」も、ごく自然に感じられるようにならないといけません。沢庵和尚「不動智神妙録」には、
 「初心者の偏らない心と、一つのことを修得したベテランは、同じように偏らない心の持ち主である」
と、終始一貫していることが記されています。
 
 私は、我が師・宇宿先生(奥義を究めた人)が、「私の言う通りにすれば良いんだ。ついて来い!」と言ったその意義がハッキリと理解できたのが、この「不動智神妙録」だったのです。(だいぶ後のことですが)
 つまり、聴衆の大半は音楽には素人ですが、その他意のない心=無心は単純に音楽を感じるので、マエストロと同じ感性感覚を持って聴いているのです。その違いは、下手な音楽をどうすれば良くなるかという「手法」を知っているのがマエストロで、下手な音楽に只ブーイングするのが聴衆なのです。
 一般社会でも、例えば電化製品……専門の開発担当が、しのぎを削って開発した製品を、使う側(素人)は、いとも簡単に優劣を感じ取って、ヒット商品になるか、忘却の彼方に葬り去られるかの分かれ道を作るのです。

 

★★「自分」の心こそ迷いの原因!★★
 21歳の春に感じた、六根(眼耳鼻舌身意)で感じる六境(色声香味触法)の反応が、マエストロと一般聴衆の感性の同一性と合致するのは、我が恩師・得津武史先生が、
 「頭で考えている内はアホ!人間は感じるモンや!」
と天ぷら棒を一発お見舞いしてくれたことに繋がります。
 つまり、音楽も剣術も感じることによって次の所作が無意識の内に行われないと、ホンモノとは言えないのです。私の黎明期(スカウトされてすぐの時)のように、「上手くなろう」とか「人に負けない」などと思っている内は、それこそ、私のレコーディングコンサートの時のように、自分の感性と師匠の感性が真逆になります。仏教で“無明”という我々の「迷い」がある内は、六根と六境がバラバラに反応する……これが、解答だったのです。
 俗に「血肉になる」というのは、完全な無意識化のことを言うのです。聴衆のほとんどは、楽譜すら読めません。ですが感じる心は、良い音楽、良い心地を求める感性に於いては、プロと同等かそれ以上です。だからこそ、カラオケで歌謡曲一曲を満足に歌えない民衆が、新人をスターにのし上げるか、お蔵入りにするか、言い換えれば「ホンモノが分かる」感性を持っているのです。
 我が師・宇宿先生が「私の言う通りにすれば良いんだ!」の真の意味は、
 「自分の頭脳と同化して(彼我一体)、自分の感性や感覚を“無”に出来たとき、六根と六境が一致する……則ち、自分の演奏を自分の感覚で聞くのが、その時やっと同じになる!」
と言うことだったのです。ですから“自分”という拙いもの(今はそれが実感です)、もっと最低の表現では“自尊心”というものにとらわれていること自体が、何事にも進歩の邪魔であるのです。ですから、それらを捨て去ることこそ私の悩みの解決となったのです。端的に粗っぽく言いますと、「師匠になりきる」「師匠と同化する」ことで、ニューサイエンスの世界では「チャネリング・憑依」の状態なのです。これが、般若心経の「無い無い尽くし」の真の意味であると私は思うのです。何故なら、楽器であれ、ビジネスであれ、スポーツであれ、悟りの世界であれ、総て心と身体の関係からその成否が生まれる故、師匠と同化する、師匠のいない人も古人の、また自分の理想の憧れる人物を想定して同化することで、心の中が空っぽである限り、チャネリングが絶対に起きることを私は確証しました。
 先週書きましたように、私が心でフッと思っていることを、背中越しに宇宿先生から声がけされたのも、このチャネリングに、もう一つ、“共時性”という神のパワー(時間を共有するエネルギー)が、私の背中を押したのだと、あの頃を振り返って感じます。
 結論!「自分」という固定化された低次元のものが障害となって、自分の進歩を妨げ、現在の心を迷いや上がりでかき乱すのです。全て「自分」に凝り固まったのが諸悪の根源であるのです。(もちろん、私自身の解釈ですが……!)

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/