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今週の喝 第836号(2021.4.26~5.2)この世は全て催眠だ(577)〜「苦楽の縄」こそ神の手か!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(577
「苦楽の縄」こそ神の手か!

 「神さまは存在するやいなや……!?」
人間最大の疑問と言って良いこの命題は、自分自身に奇跡邂逅(かいこう)が起こるか起こらないかによって、信じる人と信じない人に分かれるように思います。
 奇跡とは「思いも寄らない事象」邂逅とは「人生を変えるような出逢い」のことです。私の半生から感じることは、まさに「人間(じんかん)万事塞翁が馬」「人生、糾(あざな)える縄の如し」です。しかし、このような奇跡や邂逅は、私の体験から言うと必ず「お試し」……則ち、必ず一大宇宙心霊(天)によるチェックがあると思います。
 人は、自分の中に都合と事情を最優先にするあざとい(小狡い)心があり、それを正当化しようと自己弁護します。その最たるものが「私は傷ついた!」「プライドがズタズタだ」とほざく甘ちゃんです。傷つくのなら、つかない強靱な精神を養わねばなりません。また、プライドなどというチンケなものは、サラリと捨てて己の心中に摂理を感知する魂の構築をしなければなりません。なぜなら、これらの事象総てが“天”によるチェックだからです。
 そして、人間(じんかん)(世間)が良い結果と悪い結果が交互に出現する喩えは、それが良い悪いという人(にん)間(げん)の範疇(解釈)で紡(つむ)ぎ出す、それこそ都合だからです。私の人生を振り返ると、世の事象(出来事)によって「一喜一憂」を幾度繰り返したことか……!?
そこで、シッカリとその事象、そして、その事象が生み出す次の事象を冷静に見つめると、まさに我々が勝手に考える「世の事象の良し悪し」は、凡人六原則の“楽と得を求める”性質から生まれていることが分かります。それに気付かせてくれたのがフルートです。
 楽器は、難しい曲ほど練習は苦しく、挫折感が常に付きまといます。しかし、その覚悟の上に住岡夜晃先生の「継続は力なり!」を信念化して邁進し、やがて克服すると、強靱な精神が生まれ、心身共に“歓喜”で満たされます。これが“糾える縄”のように、我々の人生を苦楽の縄で彩り豊かに飾ってくれるのです。

 

★★清廉の最高は「人が人に憧れる」こと★★
 さてさて、私の人生もまさに良いことと悪いことが互い違いに訪れました。しかし、私は絶対に自分からあらゆる事象がやって来ても「逃げなかった」事だけは確かです。逆説的に言えば「逃げるのが怖かった」「逃げられなかった」ともいえます。この臆病性が私に大きな花を咲かせる原動力になったのだと、今では自負のエネルギー根源となって心に響きます。
 世の中には“あだ花”を咲かせる人が大勢います。あだ花とは、「立派に花は咲くのに実にならない」ことです。お陰様で、父親との確執、吹奏楽コンクールでの敗退、大学入試の大失敗、頭を強打した交通事故など、どれを取っても「凶事」と思われる事象から、今となってはどれ一つ欠けても、今の自分の存在が無いことに行き着きます。これもみんなたった一つ「逃げなかった」結果です。してみれば、世に言う「勝ち組」の人達は、逃げなかった(逃げる勇気がなかった?)だけなのかも知れません。今では、私は「運・不運は、砂浜の波のように押しては引く一定のリズムを持ち、みんな平等にバランスよく押し寄せている」と感じています。そして、変に勇気のある人間は、周りを変えようとして“失敗”を招き入れています。してみれば、「“天”は我々を試している」としか考えられません。古希を迎えて私は「これが人生」と信念化しました。

 さて、不思議な縁(良いものも悪いものも)が重なった結果、コンサート(レコーディング)に必要なもの全てが揃いました。フルート(ハンドメードは間に合いませんでしたが)、燕尾服、猛烈なチャレンジ精神から生まれた練習、そして、度胸!……舞台には「上がる」と言う悪魔がほくそ笑んでいますので、揺らがない「不動智」(不動明王の智恵)が必要です。私の不動明王は、言うまでもなくマエストロ・宇宿允人先生です。私は、自分に言って聞かせました。
 「この世で、最も厳しい音楽の神(ミューズ)は、宇宿先生である!従って、練習であれ、本番であれ、宇宿先生がGood signを出して下されば、何も恐れるものはない!」
こう自分自身に暗示を掛け、練習に励みました。ある日のこと、南森町の先生の下宿でレッスンを受けているとき、その休憩時間にピアニストの浅井芳子先生と私を目の前にして、
 「生意気なようだが、私ほど音楽を緻密に且つ、一つ一つの音符に意味づけする人間はいないだろうねぇ。だから、私がOKと言えば、君たちは観客など眼中になくて良いんだよ。私にとってのマエストロは、近衛秀麿(このえひでまろ)先生だったよ。近衛先生がOK signをくれることで自信が付いたもんだ」
と、宇宿先生が師匠の話を懐かしそうにされ、その遠くを見つめる目が透き通っていたのが、今も私の心に焼き付いています。人が人に憧れるというのは、こんなにも美しく清らかなものかと感じた瞬間でした。
 どんなことも、欲得やプライドをサラリと捨て、真っ白になって求める世界を明快にして只々そこに到達することだけに心を集中すれば良いのです。
 
     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/