M&Uスクール

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今週の喝 第821号(2021.1.11~1.17)この世は全て催眠だ(562)〜笑いで誤魔化せるものなど何もない〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(562

笑いで誤魔化せるものなど何もない

 21歳になったばかりの2月のコンサートは、私の人生の在り方を大きく変える契機となったものでした。それは、
 ●ソロで吹くより、Tutti(テュッティ:合奏)の方が、より神経を使い、より高度な技術と人間同士の気が重要になること。
 ●ちょっとしたミスであっても、決して笑いで誤魔化さないこと。
 この二つの教訓は、今も私の人生に大きな影響をもたらしています。中学一年生で吹奏楽部に入部し、「大勢での合奏は少々ミスをしても分からないから楽勝!」などと、甘いことを考えていた私は、その中で人一倍頑張っていたとはいうものの、どこかに“誤魔化し”の心が根付いていたのだと思います。
 そして、ヴィエール室内合奏団に入団して、弦楽器が12名、それに必要な管楽器が5~6名加わるモーツァルト時代の編成では、全ての楽器が丸裸の状態で、それが一糸乱れぬリズムで演奏しなければ、それはもう、がさつな音楽になってしまいます。
 これは、会社で言えば、社員が大勢いるとミスなど誤魔化しやすいように思いますが、そのような考え方の社員を創り出すことこそ、その会社の雰囲気から来る怠惰なのです。中堅規模の会社ほど、丁寧な経営がなされているのと同じで、経営者の感覚はオーケストラのマエストロ(指揮者)と同等の感性が必要と、私はこの時点で感じとりました。
 後に、この感性・感覚が私を大阪市の運営する次世代経営者のための塾である「なにわ商人塾(あきんどじゅ)」の講師に推挙される遠因となります。そして、そこにいた方々の尽力でM&U SCHOOL誕生の碑(いしぶみ)ができるのです。
 先に書いた二つの条項は、今も私の生活信条として守り続けております。

 

★★舞台には魔物が住まう!★★

 

 凡人六原則の中に「私は正しい」という条項がありますが、オーケストラの一団員として最初に学び取ったのは、“正しいvs間違い”といった観念は、子供の遊びのような稚劣な観念であるということです。
 ソリストが“上がりまくり”オーケストラがアタフタすることなど、それ以降も数多く体験しました。一番印象的なのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を兵庫県の芦屋ルナホールで、それこそ芦屋の大金持ちのお嬢さんに雇われてコンサートを開いたときのことです。先のチャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」のチェリスト同様、コンサートが近付くにつれ、そのピアノ演奏に緊張感がヒシヒシと伝わってくるのです。そして、事件は起こるべくして起こりました。
 第1楽章はたどたどしくも、何とか無事に終わり、緩やかな第2楽章に入ってのことです。本来の楽曲は、第1テーマから第2テーマ、そして変奏的曲風の箇所があって再び第1、第2テーマを演奏し、コーダ(結尾)へとゆくのですが、なんとこのピアニストは緊張のあまり変奏曲風な展開の部分が全て頭から吹っ飛び、いきなり結尾に入ってしまったのです。そして、ピアニストがその技術を誇示する為のカデンツァになってしまいました。カデンツァとは、「自由にあなた自身の裁量で演奏しなさい」と言う箇所で、その最後にトリル(tr.)の演奏に入ることで、指揮者や楽団にカデンツァの終わりを示します。そして静かに第2楽章は終わるのです。しかしこの時、第2楽章は何と半分の長さになってしまいました。
 私たちは、楽員同志ソリストがどんな状態になろうとも、どれだけ間違って演奏しようとも、絶対に一つになろうと常々言い合わせていましたので、無事に第2楽章を通過することが出来ました。しかし、ピアニストの頭は既に“真っ白!”です。本来なら、私の小4の朝礼台のように泣きたい気持ちであったでしょうが、まだ第3楽章「ロンド」が残っています。
 「ロンド」とは「巡る」という意味で、一つのテーマ(A)があり、その間を別のメロディー(B)(C)で綴ってゆき、だんだん盛り上げて、全てを終わる軽快な曲です。図式化すると、「(A)ー(B)ー(A)ー(C)ー(A)ーコーダ(結尾)」という風な構成になっています。しかし、頭が真っ白なピアニストは、最後のコーダに行かず、再び(B)に戻ってしまいました。しかも、何度やっても、(C)ー(A)ーコーダと進まず、(C)ー(A)ー(B)ー(A)……と行くので、曲を終えることが出来ません。それが、なんと3回も続くのですから、さぁ、困ったものです。これでは、いつまで経っても同じ所をグルグル廻ります。
 楽員もマエストロも、だんだん冷や汗が流れてきました。そんな時、目と動作で指揮者・宇宿先生は、自分の鼻の辺りに指を置き(こちらを見ろ!という合図)、大きく指揮棒で空中に“E”という字のサインを送り、ピアノのキリの良いところで、指揮台から30㎝程飛び上がり、大上段に指揮棒を振り下ろしました。その時の楽員は全員がその大アクションで、楽譜の練習番号「E」(=end)に飛び込み、無事に?ピアノコンチェルトを終えることが出来ました。
 以後、私はこのような“修羅場”を数多く体験します。それは、どんなに練習をしてきても、舞台の魔物「=上がる」ことを克服しなければ、どうにもならない「体験」です。それは、「正しいvs間違い」などという子供じみた正義感は通用しない世界です。さすれば、「自分とはなんだろう?」と思い巡らせるようになった現在(いま)は、既にこの頃から培われてきたのだと思います。
 音楽、スポーツ、はたまた経営などあらゆる分野で、自分の中にあるもう一人の“自分”の存在の克服こそ、「人生の要となる!」とこの時期に悟ったのです。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/