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今週の喝 第820号(2021.1.04~1.10)この世は全て催眠だ(561)〜令和三年、明けましておめでとうごさいます〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(561

令和三年、明けましておめでとうごさいます

 今年は丑年。来年寅年に続く荒々しい時節の到来です。そうです、“丑寅”といえば、新興宗教の本になる「大本教」(宗祖:出口なお、和仁三郎親子)の示唆の通り、「艮の金神」(艮=“うしとら”と読みます)が舞い降りて、我々人間にその傍若無人の行動を厄災を与えることによって思い知らせるという年回りです。また、我々が普通に用いる方位学でも、丑寅は鬼門(北東)を表します。その昔、都を恐怖のどん底に陥れた「大江山の鬼」もこの時節に大暴れし、そこに出現した陰陽師・安倍晴明は、その鬼を退治してくれました。
 このような逸話は喩えですので、それを紐(ひも)解くと、現代の世情に当てはまるところが多く見受けられます。最近の研究では、「大江山の鬼」とは、世界的パンデミックを起こした病気であったという説が大勢を占めています。そんなところから「疫病神」という言葉が生まれました。
 昔は、目に見えないものによる厄災は、全て“鬼”としたのです。しかし鬼も神の使いであるが故に「鬼神(きじん)」と呼び、我々人間の所業に対する注意事項を伝える役目と捉えました。つまり、我々人間に対して、奢り高振りに警鐘を与える存在としたのです。現代人は、どんな便利なものにも、それが「当たり前」と思い、“感謝の心”を忘れてしまっている感があります。感謝を忘れた心こそ“鬼の心”。古代アラビアのハムラビ法典に「目には目を・歯には歯を」とあるように、天は我々人間に「鬼には鬼を」とばかり、CORONA災禍で注意喚起を促していると私は思います。
 今迄の我々の生活は、それこそ“天のお陰”によって成り立っていたことを知り、それに“感謝の心”をもって未来の計を立てれば、必ずやこの災禍もつつがなく収まると私は信じています。それこそキリスト教の「十戒」を思い起こし、我々は神(大宇宙)の下に“生かされている”ことを実感しなくてはならないと、真摯になって感じる心を養うことが肝要と思う次第です。
 厄災があるからこそ、平和な時代が大いなる力によって実現されていたことを人間は知る……これが人間の叡智です。

 

★★今年も我が半生から教訓を……!★★

 さて、私の弱冠(二十歳)は、子供から大人へ、感情的な心には理性的判断が必要と、大きな気付きと共にまさしく“成人とは……?”を実感させられました。
 私のプロとしての初舞台は、労音主催のコンサート、バッハ作曲「管弦楽組曲第二番ロ短調」でその幕が開きました。そして、そのコンサートの翌日、我が終生の師匠であるマエストロ・宇宿允人先生から、1月から3月まで“オーケストラの一員”としての仕事を頂きました。
 普通に考えれば、楽団の一員としてより独奏者の方が大変な仕事のように思います。現に、私は楽器に触れたその当初より吹奏楽の一員としてフルートを演奏してきました。そこで学んだのは、音楽の三要素である「リズム・メロディー・ハーモニー」を揃えれば、恥をかくことなく秀逸な奏者と認められることでした。ですから、私はオーケストラの一員を「伴奏感覚」で捉えていました。
 また、バッハのソロの時は、私に第一ヴァイオリンはじめ全てのパートが私に付いて来てくれていたのですが、オーケストラの一員となれば、ピアノやクラリネット、チェロのソロ(独奏)に、キッチリと私が合わせてゆかなければならないのです。
 アマチュアの時は、先生の指揮に合わせて吹いていれば良かったのですが、コンチェルト(協奏曲)の場合、そのソロに寸分違わずついてゆかなければならない事を思い知らされる事件が起きました。
 1月のモーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、難なく演奏できたのですが、2月のチェロコンチェルト形式のチャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」で私にとって一生忘れられない出来事が起きました。
 それは、曲の終盤にソロのチェロとフルートが、「プレスト」というとても速い速度の中、一小節毎に互いの16分音符のメロディーを追いかけ合う箇所で起きました。練習の時は、難なくお互いがその“掛け合い”を楽しんでいたのですが、さて本番当日のゲネプロ(ゲネラル・プローベ:総合練習)の時より、ベテランであるはずのチェリストの様子が少しおかしいのです。何か浮き足立っている様子で、そのプレストに入ると、いやに滑って演奏するのです。「滑る」とは、リズム通りなのですが、シッカリとしたひっかかりがなく、足が地に着かないような音楽になることです。
 このような演奏になるのは、ソリストの心が本番前の緊張から浮き足立って「上がる」状態だからです。そして、本番……!
 美しいチェロのテーマで始まり、曲はスムーズに終盤に差し掛かりました。そして、例のプレストの最終変奏に差し掛かったとき、明らかにチェリストは上がりきってしまい、16分音符が滑っています。そして、私はそれについてゆこうと必死になって指揮者を注視します。「チェロが滑っているな」と感じた途端、私にもその緊張がビンビン伝わってきて、私まで「上がり」が移ってきました。そして、ほんの0.数秒チェロより遅れてしまいました。
 演奏会が終わって指揮者室に赴き、マエストロに、
 「先生、少し掛け合いが遅れてしまってすみません」
と、照れ隠しのニタ付き顔で頭を掻き乍ら、演奏に対する反省と謝罪をしたとたん、先生は、私の首根っこを蝶ネクタイの上から掴んで、
 「何がおかしい!お前は自分のミスを笑って誤魔化そうというのか」
と、もの凄い剣幕で怒鳴られました。
 「チェロは滑ったかも知れないが、後ろのオケはそれも計算しておくんだ。それより、お前は今迄何でも笑って誤魔化してきたのが気に食わん!」
と、けんもほろろです。
 それ以来、私は自分が冒したミスを“笑いで誤魔化す”ことを絶対にやらないと心に誓い、現在に至るまで、それは守っています。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/