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今週の喝 第818号(2020.12.21~12.27)この世は全て催眠だ(559)〜私の人生を大きく変えた大バッハ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(559
私の人生を大きく変えた大バッハ

 私が20歳も終わろうとする12月、大阪心斎橋の三木楽器の小さな音楽ホールが、私のプロとしての初舞台でした。労音主催、三木楽器協賛で行われた、ヴィエール室内合奏団の定期公演です。
 その年の夏の終わりまで、まさか音楽のプロの方々と私が、クラシック音楽の源流と言われるヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「管弦楽組曲第二番ロ短調」のフルートソロを演奏するなど、誰も想像できなかったでしょう。
 世の事象とは、まさに「縁は異なもの味なもの……!」と古人が戯れ歌にしたように、不思議な出逢いが折り重なるゴブラン織のようにやってくるのです。しかも、その頃の私は、その不思議さにも気付かないまま、自分に覆い被さる「運命」をそのまま受け入れておりました。3ヶ月ちょっとの間に、多くの人達と出逢い懇意になって、そして、あの大バッハを共に奏でたのです。それも、私以上に音楽の経歴も志も深い方々と一緒の舞台を踏み、感動のコンサートをする事が出来たのです。
 思い返せば、中学2年生の時、東京TBSのスタジオで、千葉県の銚子第5中学(当時、オーケストラで日本一、私たち今津中学は吹奏楽日本一)の演奏を聴き、弦楽器の豊かな響きに圧倒されて以来、ずっと憧れであったヴァイオリンを初めとする弦楽合奏をバックに、ソリストという最高の立場での初舞台でした。
 この時は、まだ「夢は叶う」とか「念ずれば花開く」という成功哲学などこの世にあることすら知りませんでした。11月の初旬にマエストロの宇宿允人先生に声を掛けられて以来、先生の威光に導かれるように、只々一所懸命についていっただけでした。何の疑問もなく、師と信じた宇宿先生の要求に答えようと、ひたすら“恭順の意志”のみでフルートを吹いてきました

 

★★本当に私の演奏は良かったのか……?★★

 そして、万雷の拍手で私の初舞台は終わったのです。コンサート終了後、指揮者室に出向き、生まれて初めて“心からのお礼”を宇宿先生に言ったのを鮮明に覚えています。
 「私のような未熟な者をソロに使って下さって、本当にありがとう御座います。ところで、今日の私の演奏はどうでしたか……?」
このようなことを尋ねたように記憶しています。すると師は、淡々と
 「あぁ、良かったよ……!」
背中を向けたまま、ただその一言でした。
 その師の態度は、私の「やりきった」という満足感に対して、何か釈然としない不安が湧き上がったのを覚えています。そして、近所のレストランで軽食とお酒で打ち上げ会になり、コンサートマスターの松永みどりさんやマネージャーの盛田貞代さんを始め皆さんが、
 「梅忠サン、アンタ初舞台やのに度胸あるね。良かったわよ!」
と賛辞を送ってくれるのですが、どうもマエストロの態度が腑に落ちません。本当に良かったのか、もし悪かったならば何がいけなかったのかなど、料理の味もビールののどごしも全く分かりません。
 そして解散になり、地下鉄から阪神電車で甲子園に到着しても、何かイヤな思いが脳裏から離れないのです。
 その夜、私が見た夢は、コンサートが始まる前の労音主査と三木楽器の支店長がマエストロに
 「なんで、あんな子供のフルートを使うんだ。やっぱり力量がないじゃないか」
と毒づいているのです。
 私は冷や汗を掻いて真夜中に目覚め、本来ならば、高いびきで身体全体の力を抜いて深い眠りにつくはずが、あの思い出したくもない中学3年の時の「涙の仙台コンクール」とオーバーラップして、その後まんじりともせず朝を迎えました。
 私は次の朝、早々に家を出て宇宿先生の下宿のある地下鉄南森町駅に向かっておりました。そして、何のアポイントメントも無しに、初レッスンの時のように10時きっかりに、玄関のベルを押しました。すると中から、
 「どなたでしょうか。何かご用ですか?」
と言う女性の声で返事がありました。私は扉の外から
 「梅谷忠洋です。昨日のコンサートに出演させて頂きましたお礼に参りました」
というと、既に朝一番にコンサートマスターの松永みどりさんが昨日のコンサートの反省や、次回のステージの打ち合わせに来られていて、
 「あら、梅忠さん。どうぞ上がって下さい」
と優しく招き入れてくれます。そして先生は、
 「やぁ、早くにどうしたんだい。」
そこで私は、
 「昨日のお礼を申し上げたくて参りました。もう一度伺いますが、私の演奏は如何でしたでしょうか?」
と尋ねると、
 「あぁ、良かったよ」
と、やはり気のない返事です。そして次のようなやり取りがありました。
(私)「本当に良かったのですか……?」
(先生)「良かったと言ったら良かったんだ!お前はしつこい奴だなぁ!私の言うことが信じられんのか!?」
(私)「ハイ!先生の気のない返事に、私は不安で全然眠れませんでした。本当に良かったとおっしゃるなら、その証を示して下さい」
(先生、少し怪訝な顔で)「どうしろと言うんだ?」
その時、私は持っていた楽譜入れのトートバッグから、カール・シュターミッツ作曲のフルート協奏曲ト長調のスコアを取り出して、
(私)「先生が本当に私のフルートを認めて下さるなら、このコンチェルトをコンサートで取り上げて下されば、信じます!」
と詰め寄りました。すると先生は、
 「よし、分かった。4月の尼崎文化会館でのコンサートでやろう。ミッチリ復習(さら)ってくるように!」
……こんなやり取りがあって、次のコンサートがあっさりと決まったのです。それを傍らで見ていたコンサートマスターの松永みどりさんは、後に
 「先生にあんなに強行に詰め寄った人は、あなただけやわ!」
とあきれ顔半分、驚き半分で聞いていたと、浅井先生にフルーツパフェをご馳走になった例の喫茶店で話してくれました。 

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/