M&Uスクール

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今週の喝 第808号(2020.10.12~10.18)この世は全て催眠だ(549)〜過酷な環境こそ天国への滑走路!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(549
過酷な環境こそ天国への滑走路!

 宇宿允人先生からの電話1本で、私の生活は180度方向が変わりました。20歳も終わりに近づいた12月のXmas前に、労音主催のコンサートで、バッハ作曲管弦楽組曲第二番ロ短調を吹かなくてはならなくなりました。それまで約一ヶ月強の時間しかありません。その上、楽譜を見て仰天したのは、息を吸う箇所すらないほどの難曲です。(その頃の私にとって)
 大阪梅田で楽譜を買い、その足でクラシック音楽専門のレコード店で、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者であるオーレル・ニコレがソロで、カール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団のレコードを買い、溝がすり減るほど聴きました。
 その時思ったことは、単純に「これは大変だ!」という思いと同時に、「一番過酷な練習をすれば、どんな状況になろうとも心が揺れる(あがる)ことはないだろう」という感覚でした。
 私は、京都烏丸北大路にある大谷大学に通っていましたので、その近くを流れる11月の鴨川の河原に、毎日授業が終わってからの3時間、そこで一心不乱に練習しました。
 なぜ、そんな場所を選んだかというと、先ず11月の鴨川は京都独特の比叡颪(ひえいおろし)が吹きます。この風はとても冷たく指が悴(かじか)んで、演奏どころではありません。その上、鴨の河原は全く無残響(エコー無し)ですから、どんな悪い環境のホールでもこれ以上劣悪なところはないだろうという二つの思いから選んだのです。時には、あまりの風の強さに譜面台が飛ばされることもあり、譜面台の足に大きな石を置き、クリップで楽譜を挟んで、風に向かって笛を吹きました。
 少し想像してみて下さい。フルートはマウスピース(歌口)に息を吹きかけ、半分が楽器、半分が外部に空気が流れます。その乱流で音が出るのですが、比叡颪はそれをかき乱してくるのです。それに負けないように、楽器を鳴らすには、それはもうしっかりした腹筋とリップトーンを定めなくてはなりません。
 こんな地を練習場に選んだのも、3年ほど前に大ヒットしたテレビ映画「巨人の星」と我が母校今津中学のスパルタ教育の賜物だと思います。

 

★★一所懸命のエネルギーは、周囲を巻き込む!★★

 大学の友人達は、放課後私が何処に行くのだろうと訝しく思い、こっそりと私の練習風景を垣間見ていたそうです。
 全く無残響、摂氏10度くらいの風が吹く河原という過酷な環境で週に5日間練習したあと、土日は母校の今中の教室でお復習(さら)いします。すると、どうでしょう……コンサートホールでもない只の教室が、暖房もないのにとても暖かく、反響板もないのに素晴らしいエコーを醸し出してくれるのです。そんな環境の変化の中、私は嬉しくなって、朝の9時位から夕方6時位まで、それこそ今中名物3000回練習には及びません(何せ一曲を通して吹くと30分)が、ずっと笛を吹いていました。
 そんな私を、中学の後輩達はフルートパートに限らず、みんな覗きに来てくれて、中にはアンパンと牛乳の差し入れまでしてくれるトランペッターもいました。まさに、一心不乱という言葉を得津先生の指導の下で体感したことはあっても、自分自身の意志でその境地に埋没した最初の体験であったでしょう。今から考えると、比叡颪で指が悴むのは“指”を意識するからであって、音楽に集中すればその冷たさすらなくなることを体験しました。後にそれが「般若波羅蜜多」(智慧の瞑想)による“空”の体感の前哨戦であることを我が菩提寺・海清寺の春見文勝老大師に言われたことを思い出します。
 そんな最中、今津音頭の作詞をしてくれた西村光照くんから連絡があり、
 「梅忠、おまえ今度労音主催のコンサートでバッハやるんやてな?」
と電話が入りました。
 「エッ、何で知ってんねん?」
 「心斎橋の三木楽器の前にポスターが貼ってあって、お前の名前があったで。高校の時、お前言うとったな……“絶対、オーケストラバックで笛を吹いてみせる”とな。ホンマに夢が叶ったな!約束通り、チケット買うからな」
 私は、そんな約束をしたことも、またチケットを売るという観念も何もなく、只々フルートの練習を死に物狂いでしていました。それもそのはず、宇宿先生からは、まだ一度も練習を見てもらったことも、また、何の連絡もないのですから……。
 そんなことがあって師走を迎えてすぐに、いつもの鼻声で宇宿先生から、
 「今度の日曜日朝10時に私の下宿に来なさい」
と、住所を教えられました。その頃には、大リーグ養成ギブスの練習同様の過酷な練習の成果が実感できるようになり、万全を期した態勢でレッスンを受けることになりました。
 その朝は、腕時計を秒まで合わせて、先生宅に10分前に到着し、10時きっかりにドアをノックしました。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/