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今週の喝 第805号(2020.9.21~9.27)この世は全て催眠だ(546)〜関西吹奏楽コンクールは、迫力有る見事な演奏!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(546
関西吹奏楽コンクールは、迫力有る見事な演奏!

 私が20歳の秋に行われた、関西吹奏楽コンクールの我が今津中学校の演奏、とりわけ自由曲ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の演奏は、素晴らしい迫力に感情的表現が加わって、2位を格段に引き離しての完全な優勝でした。審査員の中には、もちろん宇宿允人先生もおられました。
 得津武史先生は、それまでの軍楽隊的レッスンは基礎であり、スタートラインであることを悟られたのです。戦前の軍楽隊は、主に兵士の士気を鼓舞するのが目的でしたから、情緒よりも勇壮さのみを強調する傾向にありました。そして、明治期に東京音楽学校(現:東京芸大)の開校に尽力した伊沢修二氏が、日本に西洋音楽を普及させようと文部省に働きかけ、日本民謡の持つ独特の5音階(ペンタトニック音階:別名4,7(よな)抜き音階。ドレミソラ)に近い音階の音楽をスコットランド民謡などに見いだし、それらを元に小学校の音楽教本を制作し、子供達のための歌「童謡」の制作を多くの作家達に呼びかけました(赤い鳥運動)
 そして、各地の軍楽隊は地域への貢献策の一つとしてコンサートを開き、志願兵の招聘にも尽力しました。また、軍隊内部の士気高揚のための歌「軍歌」も多く作られ、そのほとんどがペンタトニック音階で出来ておりました。
 以前、少し触れましたが、得津武史先生は大阪音楽大学の前身である大阪音楽学校のピアノ科出身でしたので、召集され満州に派遣されたとき、「軍楽隊を組織せよ!」と唐突に命令を受け、それが先生を吹奏楽の世界に引き入れた切っ掛けとなりました。これは、先生から直に聞いた話ですが、中隊長に
 「貴様は、音楽学校の出身と聞くが、楽器は何か?」
という問いに、
 「ハッ、ピアノであります」
と回答したとたん、強烈なビンタが飛んできたそうです。その訳は、
 「軟弱である。ピアノは女が弾く楽器だ!」
と、まぁそんなすごい時代だったのです。

 

★★「真摯な態度」は、新たな出逢いをもたらす★★

 そんな形で軍楽隊を指導するようになった得津先生が、音楽の基礎である「リズム・メロディー・ハーモニー」(音楽三要素)をキッチリと揃えて、勇壮にフォルテッシモを奏でて聴衆を扇動すれば、コンクールは勝てる!と思っていたのは、その吹奏楽人生からして不思議ではありません。
 そこに現れたのが、当時38歳の新進気鋭の指揮者・宇宿允人先生です。ストレートに表現すると、
 「今津中学校の演奏は音楽ではなく、楽隊(ガクタイ)だ!」
と、言われたのです、“楽隊(ガクタイ)”という表現は、「愚連隊、ゴロツキと言った意味合いの、暴力的イメージを含んだもの」です。それは、得津先生も百も承知でしたから、宇宿先生の出現を真摯に「天のお告げ」と聞き、自分改革の切っ掛けにしたと私は推測します。
 それは、関西大会にダントツで優勝してからも宇宿先生を中学校に定期的にお招きして、ゴロツキの象徴であった“天ぷら棒”を捨て、軽い本物の指揮棒を用いた細かいニュアンス表現を学んでいました。現在でもアマチュア学生バンドは、生徒や学生を厳しく指導する先生たちを多く見うけますが、これは38年前に夭逝(ようせい)された得津先生の遺産のように思います。得津先生は、私の年齢で20歳(1972年)を境にして大きく変わったのです。それは、生徒を指導するより「自分が変われば、みんなが変わる!」というリーダーとしての原初的発見でした。
 その変化を、目の当たりにしていた私は、「人間は一生が勉強だ!」と、自分自身に言い聞かせ、「決して、小山(おやま)の大将になってはいけない」ことを得津先生の態度から無言の指南を受けました。
 それから以後も、大体10日に一度くらいの割合で宇宿先生に指導して貰いましたが、先生がお出でになる度に、今迄思いもよらなかった音楽の深い情緒を伝えて下さり、何故そのような感性が必要なのかという「論理」も中学生にも分かるような事例で明快に説明して下さいました。それこそ、私は「目から鱗がおちる」状態の日々で、感動の連続でした。

 そして、全日本吹奏楽コンクールを間近に控えた11月初旬のことです。中学生のレッスンが終わり、得津先生や父兄会会長と雑談に興じている間、私は我が今津中学校独特の円筒校舎(筒の形で、真ん中は螺旋階段)の1階でフルートの練習をしていました。その時、私の後ろから突然
 「やぁ、君はいつも熱心に私のレッスンを見ていたね。フルートをやるのか」
と、話しかけられたのです。私は、宇宿先生のレッスンをシッカリと理解しようと見ていましたが、先生からは只のギャラリーの一人に過ぎません。私もニューヨークフィルで世界的指揮者レナート・バーンスタインの下で研鑽を積んだすごい先生という程度の認識でしたので、驚きと同時に身体がこわばり直立不動で先生に応答したのを思い出します。
 そして、この出逢いが私の人生を大きくうねらせてゆくことになるのです。
 
       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/