M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第804号(2020.9.14~9.20)この世は全て催眠だ(545)〜猛練習は、何のためにやるのか?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(545
猛練習は、何のためにやるのか?

 私が20歳の秋、我が師・得津武史先生は、関西吹奏楽コンクールのわずか4日前に、私の進言によって得津先生自身の感覚の中から、自由曲ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の理想的演奏は如何なるものかを探るため、イメージシミュレーションに入りました。
 その間、私は生徒達に曲の冒頭を指揮するだけで、後は生徒同士が各楽器間のサウンドを聴き合い、そこに自分の発する音と周囲との“調和”に意識が行くように、アンサンブルの極意とも言うべき練習にチャレンジさせてみたのです。ある意味で、コンクール4日前ですから、無謀です!当日グチャグチャに乱れて敗退してしまうかも分からないし、得津先生には、コンクールの本番だけ指揮をして貰うことを私は提言したので、先生も生徒も怖くてたまらない……!
 私が宇宿先生の3週間前のレッスンから感じ取ったことは、隊伍歴然とした軍隊の行進のようなリズム・メロディー・ハーモニーが揃った、美しいけれども“何か”が足らない音楽と、宇宿先生ご自身による、あの訳の分からない、見ていても何処で音を出して良いのか分からない雰囲気の中から「ゥヴァーン!」という大迫力の冒頭の違いを、それこそ身体は寝ていても神経(腦)は起きている(後にこれが瞑想というものであると分かるのですが、その当時は全く知らない)感覚の中で模索し、そして、一つの回答を得たのです。
 それは、「練習は何のためにやるのか?」ということに対する回答でした。
 私たちは、目を閉じていても曲が終わる事が出来るくらい練習し(今中では三千回練習と呼ぶ)、私も“コンサートの恐ろしさ”を払拭するために、やはり猛練習を重ねることを旨としておりました。
 よく考えると、これは体育会系の練習であり、「安心」のため=自分達の心の安寧のためで、聴衆の側に立って演奏しているのかというと全くそうではありませんでした。

 

★★私たちは「安心」のために練習していた(>_<)★★

 音楽は、我々が日々送る人生のその瞬間瞬間の感情や感覚を表現し、演奏者と聴衆者が一体となって感動を喚起するものです。世界一流と言われるオーケストラは、これが出来るから素晴らしいのです。ここが“軍隊”やスポーツとは違うところです。
 今思い起こせば、もちろんアマチュアの今津中学吹奏楽部は、軍隊的な鍛錬方法で技術面ばかりを磨き、いつの日からか音楽に一番大切な「情緒」を置き忘れていました。宇宿先生が県大会で4位の成績をつけたのは、この面を知らしめるためだったと私は感じ取りました。得津先生も、
 「違いは分かるけど、どうしたらエエか分からん!」
と、一見、自暴自棄とも取れる発言に対する回答は、音楽の持つ「情緒」にあったのです。少々良い格好で言いますと、「音を合わすのではなく、心を合わす」ことなのです。
 こんな高次元のことを子供は出来るのだろうか?と思うでしょうが、私は宇宿先生のレッスン風景を脳裏で思い返し、自分の感じた感覚と照合していった結果、ハッと気付きました。それは、得津先生も私も子供達も、大きな、そして最も根源的なところを見逃していました。それは、練習に次ぐ練習で、技術面ばかりが突出し、情緒面がなおざりになったことへの“気付き”でした。単純に言うと、今中の演奏は「頭で考える音楽」であり、「身体や心で感じる音楽」ではなかったということです。もっと端的に言うと“安心”を求める余り“感性”の所在に気付かなかったのです。
 そして、得津先生は、
 「梅忠、おまはんの言う通りやるさかいにやってみてくれ」
と言われたとき、私は「不安」も音楽の大切な要素だと分かったのです。まっ、こんな一言で大指揮者の宇宿先生を評することは失礼極まりないのですが、宇宿先生がその半生で修得されたことは、
 「音楽こそ“喜怒哀楽を表現する最上の芸術的手段”という哲学で、それは万民の感性に訴えかけ、素直な感性の持ち主ほどその感動は伝わる」
という理念でした。哲学や理念と言いましても、心が素直な人間であれば“感じる”という人間の情緒を刺激するのですから、何も難しいことではありません。ただただ「素直」な気持ちになれば良いのですから……。
 部員達は、それを本当に素直に感じ取ってくれました。以前、得津武史先生に「何故“天ぷら棒”でスパルタ教育なのか」と私が尋ねたとき、先生は
 「痛さは、アホもカシコも関係ないよってになぁ!」
と言ったその中に、全ての答えが秘められていたのです。
 「考える」という行為には優劣があっても、「感じる」ことは、もしかしたらこの世に生きとし生けるもの全てに、平等に与えられたものなのかも知れない!のです。
 コンクールの朝、会場に向かうバスの中で、得津先生にこの話をしたところ、暫し無言で、急に不安でこわばった顔に笑みが浮かび、たった一言、
 「今日はエエ演奏が出来そうや!」
と、つぶやいていました。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/