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今週の喝 第794号(2020.7.6~7.12)この世は全て催眠だ(535)〜さぁ、本腰を入れてコンクールへ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(535
さぁ、本腰を入れてコンクールへ!

 「今津音頭」の発表会が終わった、今津中学校吹奏楽部は次の日より、8月末に行われる吹奏楽コンクールの兵庫県大会に向けて猛練習に入りました。この年は、私が現役を務めていたとき以来の“優秀なメンバー”といわれ、顧問の得津武史先生も、いつにもなく満足顔の日が続きました。
 自由曲に選んだのは、リヒャルト・ワグナー作曲、楽劇ニュルンベルグのマイスタージンガーより「第1幕への前奏曲」。五時間近く掛かる大作で、ワーグナー自身
 「私が作曲する音楽は、歌劇(オペラ)というには矮小すぎる。音楽を用いた壮大な人生劇(ドラマ)である」
と豪語する壮大な音楽劇(楽劇)です。全てのモチーフのエッセンスが入ったハ長調の「第1幕への前奏曲」は、そのシンプルなサウンドをフォルテ(強奏)で堂々と演奏するところから、ナチスの宣伝映像にもよく使われる、とても有名な楽曲です。
 多くのテーマ(ライトモチーフ)が、同時に重なり合うなど、音楽解釈的には中学生のレベル、いや、アマチュアのレベルをはるかに超えています。そんな難曲に挑んだのも、日本の吹奏楽界をリードし続けた誇りが選曲させたと、私は感じます。
 以前にも書きましたが、音楽の三要素は、リズム・メロディー・ハーモニーが三位一体となって、その音楽の骨格が出来ています。そして、私が中学3年の時に、審査員・山田一雄先生から手厳しい評価、
 「中学生にジプシーの心がはたして表現できるのか」
と言われ、辛くも2位に甘んじたつらい経験が、その骨格の上に“生命”を吹き込みます。
 得津武史先生も、仙台の悪夢以来「音楽の“生命”とは何か」と思い悩み、その作曲者がその楽曲を作ったときの心境や、時代背景などを汲み取ろうと、真の勉強に励んでいました。
 そして、音楽の三要素を明快にするため、天ぷら棒1本で、指揮台の端をカンカンと叩いてリズムを取り、音程をシッカリと合わせてメロディーを演奏させ、バランスの良いハーモニーを奏でることに腐心して、子供等を引っ張ってゆきました。

 

★★★県大会など楽勝!★★★

 二十歳の私も、毎日のように中学校を訪れ、得津先生のアシスタントとして、中学生達の指導をしておりました。メンバーが優秀である証は、一度注意を促すと、瞬時には修正できなくても、次の日には、3年生の中で理解している者がシッカリと揃えてくるのです。ですから、指揮をする得津先生の表情にも余裕が見られました。
 この頃になると、子供達も各自の家にラジカセやステレオを持っており、私の中学時代とは雲泥の差で、楽曲研究には事欠きません。この時、私の感じたことは、音楽の上達は
 「1に練習、2に練習……」として「吹いて吹いて吹きまくる」ことも大切ですが、「無碍に“吹く”より、自分の音(演奏)を“聞く”ことで、良い音か悪い音かという“判別能”を作ることのほうが重要なのだ」
と思うようになりました。最近の子供達のコンクールやステージドリルなどを見ても、私の子供時代とは全く違う優れた演奏や演技を披露してくれます。これは、この子達が我々の時代より進化したのではなく、素晴らしい模範がソースとして沢山紹介されており、「格好いい」と感じた方に我々の心や身体が向かう「サイコ・サイバネティクス」が働いたからです。
 演奏や演技など自分の行動や思考は、主体的なものであるため、今現在どのような状態であるかを中々理解しにくいのですが、それをラジカセで聞いたり、映像でモニターすれば、その弱点や欠点は具(つぶさ)に観察できます。つまり、音楽やスポーツなどその人間の身体を使うものは、主観的能力よりも客観的感受性がモノをいうのです。
 しかし、誰もがそのような感受性をモノに出来る訳ではありません。そこに一番大切なことは、“意志の力”とも言うべき“理想に向かう欲求”の度合いです。得津武史先生の教育の基本は、
 「出来る出来ないを論ずるな。どうすれば出来るかだけを考えよ!」
と、子供達に上杉鷹山の座右の銘「為せば成る……!」を叩き込んできたのです。そして、苦しい練習の中から、自分がそれをクリアした時の、喜びや快感がどれほどのモチベーションになるかを体感させることで、“根性”を鍛えてきたのです。
 何はともあれ夏休み最後の日曜日には、西宮市民会館(現:アミティーホール)で吹奏楽コンクール兵庫県大会が行われます。我等今中吹奏楽部は、一丸となってそれに向かって邁進していました。しかし、例年のように県大会は、コンクールの地ならし程度の感覚です。先生も
 「みんな、気楽にいけ!」
と余裕綽々(しゃくしゃく)です。当日の審査員は5名!関西を代表する指揮者や音楽評論家の方々です。そして、関西大会に出場できるのは、上位3校。私も彼等の出場まで、楽器のチューニングや得津先生の楽曲に対するテンポなどを確認する役目を仰せつかり、舞台の袖で、その演奏を聴いておりました。
 子供等は、私たちがレッスンした通りの見事な演奏をし、得津先生も少々テンポが速くなりましたが、無事に何のミスもなく、演奏は終わりました。そして、成績発表になり、総評の後、出演順に上位3校の名が呼ばれます。もちろん、我が今中はその中にあったのですが、審査員の世話係を担当してた今津中の先輩(板橋さん)が、
 「エライこっちゃ!審査員5人中4人まではダントツ今中を1位つけたのに、1人だけ4位の成績をつけた審査員がおる」
と、青ざめて私たちが成績発表に浮かれている所に駆け込んできたのです。4位と言うことは、「関西大会に出るな!」ということです。
 この時、私の脳裏には、中学3年の「涙の仙台コンクール」がよみがえってきました。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/