M&Uスクール

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今週の喝 第793号(2020.6.29~7.5)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ534

発表会当日は熱気ムンムン!

皆さん、今から言う情景を想像してみて下さい。
今から48年前(昭和47年)、8月の第一日曜日午後1時、その日は快晴でした。外気温は33度を超えていたと記憶しています。その日、我が母校・今津小学校の体育館には、今津連合福祉会、そして今津町内会の皆さんが立錐の余地もなく集まっていました。会場は熱気ムンムン……そうです、「今津音頭」の発表会の当日です。
 午前中にステージセッティング、そして、リハーサルを終え、吹奏楽部の子供達はじめ、出演者が福祉会配給のお弁当を食べ、午後一番にコンサートの幕開きです。
 先ずは、今津小学校の校歌をモチーフにしたファンファーレに始まり、今津連合会会長・浅尾一雄さん「今津音頭」制作の意義と経過を紹介し、今津が誇る文化の象徴=今津中学校吹奏楽部とのコラボで完成した“我が町の唄”で、みんなが一つになることで完成した経緯が紹介されました。それに続いて、軍艦行進曲をはじめ、数曲吹奏楽部のコンサートがあり、いよいよ「今津音頭」の発表です。
 いがぐり頭の打楽器3年の佐藤君が大太鼓の前に陣取り、キダタロー先生の軽快な司会で、当日の歌を唄って下さる武庫川女子大学音楽学部声楽科教授の村上先生が、鮮やかな色のドレスを身につけて登場されました。リハーサルの時は、平服だったので、ステージの中学生達はその艶(あで)やかさに目が点になっておりました。
 そして、私のタクトが佐藤君に指示を与えると、中学生とは思えない見事な音頭のリズムで曲がスタートしました。レコードでは長唄の今藤長之(いまふじちょうし)さんの唄ですが、浅尾会長のたっての願い「出来うる限り今津に住む人達でやろう」ということで、今回は少々場違いにも感じますが、イタリアオペラの名手・村上先生のソプラノでの発表会となりました。

 

★★民衆の情熱的感動が固定観念を木っ端微塵に★★
 
 このような情景を、私はまるで昨日のことのように鮮明に思い出します。そして、音頭をソプラノ歌手が唄うという珍しい組み合わせも、この当時毎週日曜日のTV番組「題名のない音楽会」で、司会の作曲家・黛敏郎さんが、「クラシック歌手に歌謡曲を歌って貰えばどうなるか」という実験があり、その場違いとも思える違和感の面白さが受け入れられていたため、会場の皆さんも大いに喜んでくれました。
 中央に45人の吹奏楽部のフルメンバー、舞台といっても体育館ですので、その五分の一ほどにステージを組み、ギューギュー詰めの状態です。そして下手(しもて)(向かって左手)に大太鼓と三味線チャンチキ。上手(かみて)に今津町民の有志による“お囃子”のメンバーが陣取り、センターにソプラノの村上先生が声高らかに唄います。民謡や演歌独特の小節回しこそありませんが、楽譜を超正確に唄うのを聞きながら指揮をしていると、今迄、得津武史先生の下でシッカリと音楽のことを学んできたことが走馬灯のようによみがえり、心の底より感動がこみ上げてきました。
 そして、初演が終わったとき、今津小学校の体育館は聴衆のスタンディングオベーションで割れんばかりの拍手喝采とブラボーの嵐です。マイクを通した司会のキダ先生の声すらハッキリと聞き分けられなかったのを覚えています。そして、アンコール二回目の演奏の時には、会場の皆さんから手拍子が出て、より一層の盛り上がりを見せました。それが終わると、又々アンコールの声が掛かり、三回目の演奏の時には、勝手に振り付けをして、客席の周囲で踊る人達が出たのには驚きました。
 
 正直に申しますと、それまでの私は、大衆の音楽である歌謡曲や民謡などは下劣なものという、クラシック系の人間にありがちな妙な優越意識が心に蔓延っておりました。しかし、真夏のクーラーもまだ装備されていない学校の体育館を埋め尽くした皆さんが、汗だくの中、感動と笑顔で興奮して、三回目の演奏では村上先生に合わせて歌いだす人まで出るこの情景に接して、作詞の盟友・西村光照君と共に涙を流したのを思い出します。結果、この日は今津音頭は皆さんのアンコールに応えて5回演奏したのを覚えています。
 これは、早稲田大学フランス文学の教授であった西条八十先生が、関東大震災の折、自分が避難した上野公園で子供の吹く流行歌「カチューシャの唄」のハーモニカ演奏を聴いて、「こんな非常時にけしからん!子供とて許さん」と注意しに行こうとしたとき、被災した民衆はその演奏に大喝采し、西条八十先生民衆の心を捉えなければ、芸術の意味はないことを悟ります。そして童謡や流行歌の作詞家として活躍してゆくのですが、私もこの時、西条先生と同じ境地を味わったように思います。
 私の中のつまらない偏見「クラシックは高尚で流行歌は低俗」などと思っていたことが木っ端微塵に粉砕された瞬間でした。これが機縁となって、人の潜在意識に透徹する感動・感激をあらゆる手段で伝えて行こうと決心したのが私の弱冠(じゃっかん)(二十歳)の決意でした。
 私がこのように決心決意した時より、不思議な出逢いが次々と起こってきました。我々人間の“縁”の妙味をいよいよ味わってゆくことになります。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/