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今週の喝 第792号(2020.6.22~6.28)この世は全て催眠だ(533)〜プロの凄さは、即断即決!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(533
プロの凄さは、即断即決!

 「一流の人達は、その場その時を、至極大切にしている!」
社会に於いて、プロと言われる人達にはじめて接した私が、その方達の姿勢・表情・言葉・行動を具(つぶさ)に観察した結果、得られた印象です。
 京都祇園置屋の女将である里千代さん、その方の紹介で唄や和楽器奏者を紹介して下さった藤舍推峰さん、そして、そこに集まって下さった皆さん、郷土の唄「今津音頭」の発表会で司会をして下さった“なにわのモーツァルト”こと作曲家のキダタローさん、そして、あまりにも身近にいたので気がつかなかった今津連合福祉会の浅尾一雄会長、それに、二つ返事で協力を惜しまず、自社の宣伝課の方を用いてレコードジャケットの制作を引き受けてくれた大関株式会社(当時)社長の長部文治郎さん……今思い起こすとどの方も皆、一緒にもっと居たいと思わせるくらい、決断が早く、不都合があれば代案を出して素早く対応してくださるのです。今思い返しても、マイナスの表現はどなたからもでてきませんでした。
 そして、コンサート当日は「今津地区の人達で」という浅尾会長の思いから、私の町内会で我が妹が生まれる時の産婆さんのお嬢さんで、武庫川女子大学音楽学部声楽科教授の村上先生(ソプラノ)が、今津音頭を歌って下さることになり(これも二つ返事で快諾)、それは豪華キャストの演奏会となりました。
 当初、名物先生である得津武史先生の下、コンサートを企画していたのですが、先生からの申し出で「作曲者自身の指揮で披露演奏を」ということになり、私が指揮をすることになりました。つまり、私に花を持たせて下さった訳です。それならと言うことで、高校時代に私が今中吹奏楽部が出演する「二千人の吹奏楽」のために編曲した昔懐かしい「チャイナメドレー」や、今津の皆さんが喜んでくれると言うことで、戦前の行進曲「君が代行進曲」「軍艦行進曲」、そして今津小学校の校歌をモチーフにして私が作曲したファンファーレでコンサートの幕が開きました。

 

★★目論見(もくろみ)を捨てることで、才能は開花する★★
 キダタロー先生の純粋で流れるような口調の“大阪弁”で記念式典と「今津音頭発表コンサート」の幕が開き、来賓に来られた西宮市のお偉いさん達の“堅い祝辞”もその文言をかいつまんで次へ続ける素晴らしい司会進行に、私はキダ先生の作曲編曲に通じる妙味を感じました。何事もその人が持つ“感性”によって、方向性が産み出されることを実感したのです。
 世間では「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉がありますが、その反面、「多芸は無芸。器用貧乏」という反対語もあります。私はこの時、キダタロー先生のエンタテイメントぶりに接し、“一流とは何か?”を肌で感じ、自分自身の指標にしようと思った瞬間でした。
 この時、私はピラミッドを思い出しました。エジプト・クフ王のピラミッドは底辺(裾野)がとてつもなく長い故に高いピラミッドが出来たのです。電柱では、どんなに努力しても高さは知れています。かといって底辺を広くばかりを考えていて、積み上げることを忘れていては基礎だけで終わってしまいます。霊峰富士山が美しいのはここに在ります。要は、バランスが肝心なのです。様々な要素を身につける「多芸」と、自分が生涯の仕事として見据える「一芸」をバランス良く習得することが肝心なのです。
 TVなどのクイズ番組で、恐ろしい知識力で回答してゆく人がいますが、その人が世に貢献したという話はあまり聞こえてきません。逆に、画家や役者、またスポーツ等で優秀な成績を獲得した人達と親しくさせて貰ったときの、あの独特の雰囲気、心が洗われるような得も知れぬ快感とは、どこがどう違うのでしょうか。それを「人間性」と一言で片付けてしまえばそれまでですが、その「人間性が形作られる根本は何か」をこのコンサートで、私は感じ取ることが出来ました。少々生意気な言い回しですが、私がその事を理解したのではなくて、私たち凡人の考え方や感じ方、そして行動規範そのものが、「薄っぺらい!」ことが分かったのです。
 それは、一流の人達……言い換えれば「一芸を多芸に」変える人達は、その性質が“何事にも興味深い!”故に、どんな事象も自分と関係づけて“必要だ!”と感じるのです。反して凡人は、自分自身で一つの事象を「自分に有用、無用」を決めるため裾野の広がりが小さいのです。物事をよく知っていても、その目的が自分の知識を見せびらかすために用いられるため、嫌味(いやみ)が先行し人間性が浅はかに(薄っぺらく)感じられます。それに比して、本当のプロは、「何事も自分に関係がある」という思想さえも持たず、すべての事象に興味を向ける心意気を備えているため、あらゆることを修得し、その頭脳指向が自分の生涯の仕事に対する姿勢と合致するため、ピラミッドの高さ(上昇指向)へと還元されてゆくのです。
 コンサートが始まる前に、キダタロー先生の控え室に挨拶に行った折、キダ先生は、
 「エエ曲を書かはりましたな。きっとこれから活躍されますやろから、親しくお付き合いを頼んまっせ」
と、私の緊張を感じ取ったのか、とても優しい言葉で接して下さいました。そして、私もホッと気がほぐれて、
 「先生が作曲なさるとき、どんなおももちですか」
と素直に尋ねますと、
 「何事にも一所懸命やってたら、その中からフッと曲が湧いてきます。エエ曲作ろうとか思わへん心を大事にして、この世の総ての事が自分に関係あると思て毎日います」
 という、素直な言葉を頂戴しました。
 “多芸を制する方”は、言わば無心(無執着)の境地にいることを実感しました。それに比して、“多芸は無芸”“下手の横好き”の人達は、目論見(下心)が多すぎると分かったのです。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/