潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(522)
心よりお悔やみ申し上げます
こうして「今津音頭」の制作秘話を掲載している最中に、悲しい知らせが入ってきました。「今津音頭」のジャケットを制作し、我が町・今津の名士筆頭である、大関酒造株式会社元社長11代長部文治郎先生が、3月8日に93歳で逝去されました。
「今津音頭」の歌詞の中にも
「酒の香りに酔いしれる、ここは天下の酒(さか)どころ」
と有るように、我が町今津は宮水(六甲山からの地下水)と、六甲から吹き下ろす冷たい冬の風(六甲おろし)で、素晴らしいお酒・灘の生(き)一本が造られておりました。阪神間では“灘五郷”と呼ばれるように、5つの酒作りの地区があり、その一番東に我が町“今津郷(ごう)”があります。私の自宅の前の道も「酒蔵通り」と呼ばれていますが、それは我が家のちょうど斜め前に大関酒造の平和蔵がデンと構えているのが所以(ゆえん)です。
この大関酒造が所有する灯台が現在も今津港に残っています。歌詞にも
「出船入り船にぎやかに、今津みなとにゃ灯(ひ)がともる」
とあるように、今津港は酒の積み出し港として発展し、この灯台は今も文化財として、しかも日本最古の現役灯台として地図に掲載されています。
また先ほど、私が長部文治郎先生と書いたのは、私が通っていた今津文教保育園の(当時)園長先生も兼務していて、私が還暦を過ぎた頃でも、
「忠洋ちゃん、あんたエエ曲書いてみんなのためにつくしてるの嬉しいで……」
と、私の保育園時代と何ら変わらない言葉で接して下さいました。このような町の名士が大勢いたからこそ、「今津音頭」はできたのです。
★★「キダタロー」先生!★★
このように町をあげて作った「今津音頭」の発表会が、私が二十歳の8月の第一日曜日に我が母校今津小学校体育館で行われる事になり、その司会進行を今津小学校の卒業生で「浪花のモーツァルト」の異名をもつキダタロー先生にお願いすることになりました。
私がはじめて“キダタロー”の名前を耳にしたのは、中学2年生の頃でしょうか、朝早く吹奏楽部の練習に出かける時間に、大阪の放送局ABC朝日放送から5分間、当時の流行歌(ヒット曲でポップスから演歌まで)を何とジャズ・オーケストラ(ビッグバンド)で元気よく、しかも、行進曲に編曲して聴かせてくれる番組(番組名は覚えていません)がありました。そのプレコールで、女性アナウンサーが、
「演奏は居上博とファインメイツのみなさん、そして、編曲はキダタローさんです」
とウイークデーの朝、放送されていました。
ポピュラーソングをマーチにして演奏したもので有名なのは、グレン・ミラー楽団がジャズの名曲「セントルイス・ブルース」を軍楽隊用にアレンジした「セントルイスブルース・マーチ」で兵隊の士気を上げたのに始まり、日本では春の選抜高校野球大会の開会式が一番有名でしょう。私が中学の時は(当時)大阪市音楽団団長の辻井市太郎先生の編曲でした。
ところが、この朝日放送の番組は、何と水前寺清子さん等が歌う、およそ凡人が考えたらマーチになどなりようのないと思えるド演歌(いっぽんどっこの唄など)を、軽快な行進曲スタイルに編曲して毎朝聴かせてくれるのでした。
確か7時10分からの5分間番組でしたので、これを聴き終えて、家をダッシュすると中学校に7時半少し前に到着し、朝練にはギリギリ間に合いました。しかし、先輩がその日の気分で少し早く学校に来ていると、「遅い!」と言ってゲンコツを喰らいました。それでも、聞き続けたくらい楽しく素晴らしい編曲でした。
子供の頃の感性とは、綿で水を吸うが如く好きなモノは自然に身体に染み込んでくるもので、キダタロー先生の編曲手法は、この朝の放送によって、感動と共に習得したのを鮮明に覚えています。また、この「キダタロー」(本名:木田太良)というリズム感のある名前も印象的でした。そして、持ち前のウイットと語り口調から、ABC朝日放送ラジオの看板番組となった「フレッシュ九時半キダタローです」を担当し、MBS毎日放送の「ありがとう浜村淳です」と関西では双璧の人気番組になりました。
そして、キダ先生は時々、今津中学校吹奏楽部の功績を番組で取り上げてくださったのも、「今津音頭発表会」の司会者としてお願いする大きな要因の一つとなりました。
このように、私がキダタロー先生とはじめて顔を合わせたのは、浅尾さん、我が父・郁郎と共にABC朝日放送を訪れたときです。放送局のロビーでにこやかに挨拶をされるキダ先生の顔に、私の緊張もほぐれ、ラジカセで我が作品「今津音頭」を聞いて貰ったのがはじまりでした。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/
★編集よりお知らせ★
今週の喝!の中で紹介されている「今津音頭」は下記にて当時の音源を聞くことができます。
◆歌入り◆
◆笛入りカラオケ◆