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(11)アイデンティティ梶

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 拠点として三泊したポーランドのクラクフ市内から、アウシュヴィッツ収容所へバスで向かうと、一時間半ほど掛かります。私はこのバスの車窓からの景色がとても気に入りました。牧歌的な丘陵が続き、一つ一つ立派な庭がある個性的な色使いの民家が途切れると、緑豊かな視界がまた広がります。街並みと大自然が調和する美しい景色だけを眺めていると、かつてこの地で歴史的にも悲惨な出来事があったことなど忘れそうです。二日間多くの時間を費やして、アウシュヴィッツで体験したこと、そして梅谷先生からレクチャーを受けたことは(帰国してから数々の講義を受けた内容も併せ)、この景色と共に私の脳裏にずっと刻まれることでしょう。今回視察研修に参加して、学んだことや感じたことなどを、以下書きます。

 

【自分の中にある恐ろしさ】

 何よりも強烈に想念として残ったのが、カポの存在です。収容されていたユダヤ人の中に、囚人を管理する同じユダヤ人が居たことです。彼らは労働も免除され食料の優遇もあり、SS(ドイツ親衛隊)に気に入られようと、同胞のユダヤ人に対し率先して虐待をしたのです。これは梅谷先生が鋭く指摘されるように、同じ人間である社員を搾取の対象でしか見ない、中小企業の社長の姿です。カポは私(社長)と、時としてオーバーラップしているのです。

 

視察研修に行く前に、イーグル細野さんに薦められて、“サウルの息子”という映画をDVDで観ました。ゾンダーコマンドという存在が描かれていました。ゾンダーコマンドとは、同じく同胞のユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のことです。彼等は、ガス室に送られた人達から没収した煙草や薬や食べ物を手に入れることができました。しかし外部への情報漏えいを防ぐため、彼等は3か月から長くて1年以内にガス室に送られて、新しく連れて来られたユダヤ人と入れ替わったといわれます。カポの他にも、収容所の中には特別なユダヤ人がいたのです。この映画は2015年、第68回カンヌ国際映画祭でグランプリ、第88回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞したハンガリーのものです。アウシュヴィッツ解放70周年を記念して製作されました。ナチスによりゾンダーコマンドに選抜されたハンガリー系ユダヤ人の「サウル」が、ある日ガス室で生き残った息子と思しき少年を発見したものの、少年はすぐにナチスによって処刑されてしまいます。少年の遺体をなんとかしてユダヤ教の教義に基づき手厚く葬ろうとするサウルの姿や、大量殺戮が行われていた収容所の実態を生々しく描いていました。

収容所を統括していたSSは、カポにしてもゾンダーコマンドにしても、このように直接に手を掛けずに囚人を殺戮するシステムを、巧みに作り上げました。またそのようなユダヤ人達は、自分の命や物欲しさに、同胞を裏切り、ナチスに加担する取引に応じていたことになります。

 

 

私達も時代や立場や状況が変われば、ユダヤ側にもドイツ側にもなる可能性があります。まだユダヤ人の中でも、被害者にも加害者にも、どちらにもなり得てしまうのです。二日間の視察で怖さを感じたのは、自分の中に存在するかもしれない、残虐性や冷酷性がえぐり出されることでした。130万人のホロコースト以上に、私が感じたのは、その可能性がある人間、それは正に自分の中にある恐ろしさでした。

 

【二人の人物の偉大さ】

アウシュヴィッツとビルケナウ収容所で行われていたホロコーストは、勿論70年以上前のことであり、現地に訪れたとしても、博物館や施設の残骸から、当時を想像するしかありません。大勢の観光客の中で、収容所跡は、対照的に静寂とし整然としていました。しかし博物館にあった、ユダヤ人の連行された際に所持した遺品や、刈り取られたおびただしい髪の毛や靴の山を見ると、当時ここで行われていた殺戮の悲惨さが浮かび上がってきました。

 恐らく一般の観光客は、事前の知識もなければ、短時間で回っただけでは、イメージも働かず、ただ見て終わっているのでしょう。行く前からの私の課題は、ヴィクトール・フランクルの凄さを、少しでも現地で想像することでした。

 

このような収容所で生き抜いたフランクルには、この体験を必ず書として著し絶対に生かそうとの、目的が明確でした。収容所で、フランクルには次々と奇跡が起こります。 人間の本質、つまりロゴス(内在する神、又は生きる意味)を知ることによって、生命力は人間の内面に存在し、常に生きる根源を求めていることに気付きます。あらゆる苦から逃げずに、そのロゴスや生命力に従うことで、不思議なことが起こったと、私は解釈しました。絶対に逃れられない収容所での苦であるからこそ、フランクルは悟ったのではないかと感じました。

フランクルは言っています、「あなたが人生に失望をしたとしても、人生はけっしてあなたに失望はしない。あなたが人生の意味を問うのではなくて、あなた自身が人生の意味を問われている。それに答える責任があなたにある」。もう一度噛み締めたい言葉です。

 フランクルに劣らず人間の尊厳を大切にして、誰もそれは絶対潰せないと、その精神を貫いた人物がいます。コルベ神父です。コルベ神父は、正にここアウシュヴィッツで命を絶たれました。同じ号棟の囚人一人が脱走しました。一人の脱走者が出ると同じ棟の10名が処刑される決まりでした。しかも処刑法は陰惨を極め、座ることもできない狭い懲罰牢に押し込められ、食べ物も水も一切断たれ、餓死させられるのです(その牢を現地で実際に見ました)。処刑される10名は無作為に選ばれますが、何とコルベ神父はその一人の身代わりになったのです。「妻や子供にもう一度会いたい!」と泣き叫んだ囚人の代わりに、「私はカトリックの神父であり、もう若くはなく妻も子もいませんから、あの方の身代わりになりたい」とコルベ神父が申し出たのです。そして、牢の中に姿を消します。牢の中で、神父は一緒に処刑される餓死死刑者のためにひたすら祈り、賛美歌を歌ったといわれます。一人また一人息絶えていく中で、他の死刑者が錯乱状態で死ぬのが普通であったのに、なお神父は意識を失わず、毅然として生き続け、二週間後さすがに見かねた収容所の医師により薬剤を注射され、天に召されたといわれます。

 

 フランクルもやはり収容所の中で、自分の人生には未来がないと、自暴自棄に陥っている仲間に、生きる力を与え続けました。コルベ神父も、今回色々調べてみると、完全に自我を超越している人間でした。二人の人物から、忘己利他を学んでいます。精神科医だからカトリック司祭だから、特別だったのではなく、二人には、道があり、学び続け、より高い志があったのだと受け止めています。一過性にせず、その課題を持ち帰りました。これは私の生涯のテーマとなります。

 

【生きることの意味】

話は変わりますが、9月初旬奈良国立博物館に、“1000年忌特別展「源信」地獄・極楽への扉”を観に行きました。源信は、死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願い、浄土信仰を広めた僧です。源信が著した『往生要集』は、最初は恐ろしい地獄を見せ、それから極楽浄土を示し、人間の因果応報の世界を分かり易く説き、具体的な死後の世界を明確に示したといわれます。「嘘を付いたら閻魔様に舌を抜かれる」「悪い事をしたら地獄へ堕ちる」、このような言い方は少なくとも現代に残っていますが、源信の影響であると思われます。とは言うものの、1000年の昔も今も変わらないのは、生きている人間は、死後の世界を未だ誰も経験したことがないということです。死後の世界を考えることは、如何に生きて如何に死ぬかであり、大事なのは私達の目の前の「今をどう生きるか」ではないかと、源信の展示を観ながら感じました。

 

 今回のアウシュヴィッツで、同じように生きることの意味を考えさせられました。

ユダヤ人の中には、カポやゾンダーコマンドもいました。しかし、そのユダヤ人の中には、ヴィクトール・フランクルやコルベ神父もいました。また、ゾンダーコマンドの中に、恐らくサウルのような人もいたのでしょう。あなたは、どの人生を目指すのですか。ただ生きるのではなくて、そこに人生の意味を見出せますか。源信とアウシュヴィッツ、語りかけている意図が繋がったように思います。

 

現地に出向いて行動し、体感して学んで、そのような視察研修を終えて、充実感で満たされています。6日間ご一緒させてもらいました皆様、どうもありがとうございます。

 

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