M&Uスクール

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(9)ライブラリー片野

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 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所への研修旅行は、私にとって学ぶ姿勢という点で、大きな気付きを与えてくれた旅行となりましたが、五年間も辛抱強く待ち続けて下さいました梅谷忠洋先生にはまずもってお礼を申し上げます。ありがとうございます。

 学ぶ姿勢としての気付き、三つの気付きに触れたいと思います。

 まず一つ目は、梅谷先生が常に仰る「親(師)の意見と茄子の花は千に一つの無駄もない」の言葉をしみじみと実感したことです。

私自身が旅行前に抱えていた不安は何度もマエストロ通信等に書いていますのでここでは省略しますが、いつまでもグズグズしている自分がいました。気持ちを前に向かせて動き出したのも、旅行前一か月を切ってからの事でした。

 今の自分を変えたくて学んでいるのに、過去に蓄えた感覚・感性を体内にため込んだまま、新しい感性を得ようと思っても得られるわけがないことをまざまざと実感しました。悪い頭で判断しても悪い結果しか得られない、まさにその通りです。

学ぶ、決断するという事は、自らを空にする事、信じたものに委ねること、であることを強く学びました。

 

二つ目は現地に赴き、自らの足で立ち、六感全てを働かせ感じ取ることが学びである、という実感を得たという点です。

事務所の行動指針に「三現主義」を掲げ、現場・現物・現実を大切にしようという意識はあったものの、それほど苦も無く出来る、手の届く半径での「三現主義」であったことに気付かされました。

この半径の大きさ、深さ、高さ、重さ、値段、これらは全て自らが進もうとする、実現しようとする理想の大きさに比例するのだと思います。この「半径」をどこまでも∞に近づけるような理想・強い思いを持つことが大切だと痛感しています。

それと同時に、アウシュヴィッツの地に赴いて感じざるを得ない事は「理想」を追い続けるといった事を口にできる、今ある幸せを実感し、感謝しなくてはいけないという事でもあります。

 

三つ目は、気付いた者と気づかない者、経験した者と経験しない者、このギャップは永遠に埋める事が出来ないが、このギャップを少しでも縮めて共に歩もうとするためには、気付いた者経験した者が、いかに気配りをもって歩み寄っていくかにかかっているという事です。

これは面倒とか面倒でないとか言っている場合ではなく、共に歩もうとした時には、気付いた者のミッションとして厳然と存在しているという事です。

 

そして、アウシュヴィッツの地に赴いて、一番痛烈に感じた事は「我々社長は現代のカポである」と言う梅谷先生の言葉であり、「日本人は現代のユダヤ人である」と言われている事、更にはアウシュヴィッツ第一収容所に掲げられている「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)の言葉の重みです。

 

梅谷先生が「今週の喝!」でもお書きになっている、現代のカポという言葉は、確かに強烈な言葉であり、そこまで言わなくても、という意見が出るのももっともだと思います。ただ、現地に赴いてカポの成り立ち、その言動を見るにつけ、我々は現代のカポである、との反省を踏まえて自らを省みなくてはいけないという謙虚な気持ちになることが出来ます。誰でもナチスにもカポにもなり得るという事を身に沁みて感じました。

また、日本人が現代のユダヤ人であると言われてもおかしくない現実を、梅谷先生が共通項として示して下さっています。すなわち、

・リーダーを持たなかった(持てなかった)

・協力体制の欠如

・個人主義の蔓延

・信仰心の無さ

これらのいくつかは、この旅行にマエストロの会のメンバー全員が参加しなかった、させることが出来なかったことで既に立証されてしまっています。

 

 さらに、「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)の言葉は、ユダヤ人に対して向けられたまやかしの言葉であり、ユダヤ人から見ればなんと屈辱に満ちた言葉であり、この言葉が掲げられたゲートの下を毎日出入りさせられていたことはどんな心持ちであった事でしょう。たぶん、すぐにこの言葉の意味さえ何も感じなくなっていたと思います。

 

 

我々は共に働く人々を員数としてとらえ、さらにはこのようなお題目を唱え、自分の都合よく社員さんたちを使おうとしているのでないかという事を、今一度自らに問いかけなくてはいけない、という事も感じました。

 

我々は、現地ガイドの中谷剛さんから、アウシュヴィッツで行われた惨状は、形をかえ今も世界のあちらこちらで行われている事、またナチスドイツ=加害者、ユダヤ人=被害者という単純な二元論では語れない歴史がある事、これらの視座も学ぶことが出来ました。

 

これらの学びと視座を胸に、少しでも周りの人が「生きている」事の幸せを感じ、未来に希望が持てるように行動していくことが、今回の視察旅行を経験できた者の使命と肝に銘じています。

 

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