M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

(8)イーグル細野

f:id:muschool:20171009185508p:plain

 2017年9月14日~19日まで、アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の視察研修に行ってまいりました。

  今回の研修に参加することができたのは、梅谷先生、吉岡俊徳さん、ガイドの石川さんはじめ多くの方とのご縁、そしてタイミングがかみ合ってこその実現でした。そのため、幸運にも研修に参加できた一人として、今回の学びはより多くの人に喧伝していく責任が生じたと感じております。

 研修前から始まり、収容所やワルシャワ、そして帰国までの学びや気づきを書き記します。

 

1.「アウシュヴィッツ」との出会い

 私が「アウシュヴィッツ」という言葉を初めて知ったのは、忘れもしない2012年1月の東京ヒューマンソフト研究会の時です。当時はうつ病を患って休職していた時期でした。仕事が上手くいかず無力感に支配され、自分が無価値な存在だと思い、生きる希望を失っていた私に父が「一緒に勉強しよう」と声をかけてくれたのがきっかけでした。

 当時、先生が「アツシさん!あなたにもロゴスが必ずあるんだ!」と力強く激励してくださった光景は今でも目に焼き付いています。その後、先生が「アウシュヴィッツ、みんなで行こうな!」と言ってくださったのを機に研修実現への長い道のりがスタートしました。

 

2.迷いと決断

 フランクルの「夜と霧」の舞台となった地にぜひ行きたい!そこに行けば何か変われるかもしれない!と考えていましたが、一番悩んだのが「お金」でした。

 当時は休職していたこともあり稼ぎはほとんどなし。長女が生まれたばかりだったので、そんな余裕もありませんでした。その後復職してコツコツ貯金を始めたのですが、資金がたまるのに4年もかかってしまいました。(そういう面では、研修の実現まで5年かかったのは私にとって救いでした…)

 

 そして、2017年に入りいよいよ開催が決まったころ、私は当然参加申し込みをしたわけですが、そこからが迷いの連続でした。

 ある程度の予算を想定してお金は貯まっていたものの、いざ請求書が届き振り込むとなると「このお金があったら、あれが買える、家族を旅行に連れていける…」などなどあらゆる欲が湧いてきました。

 

 欲に負けず何とか正気を保っていられたのは、5年前に感じた「行きたい!」という想いが残っていたからです。そして、ATMの前に立ち意を決して「振込ボタン」を押しました! これでいよいよ私の気持ちが固まりました。

 

3.研修までの事前イメージ学習

決心が固まった後に、色んな人にアウシュヴィッツに行くことを伝えていました。

「何でそんなとこ行くの!?」と言われるのが大半の中、二人だけ「羨ましい!行ってみたい!」と言ってくれる人がいて、アウシュヴィッツに行くなら絶対見ておいた方が良いという映画を紹介してもらいました。

 収容所内で死体処理をさせられていたゾンダーコマンドを描いた「サウルの息子」、ワルシャワ・ゲットー蜂起の中を生き抜いたピアニストを描いた「戦場のピアニスト」、もちろん「シンドラーのリスト」も紹介してくれました。

 紹介されたものは全て観て自分がこれからどんな地に行くのか、そこで何が起こったのかを事前にイメージ学習しました。

 

 正直なところ、私は戦争もの映画は苦手です。家族や自分が同じ目に合ってしまうと思うと怖くなり避けていましたが、今となってみればこの事前のイメージ学習は研修の学びをより深くさせてくれました。

 

4.いざポーランドへ

f:id:muschool:20171009185714p:plain

 まだ夜が明けきっていない9月14日午前5時。寝ている家族に別れを告げ、まずは羽田空港へ。そこからホテルについたのが現地時間で20時頃だったでしょうか。日本時間では9月15日午前3時なので、丸一日かけての移動になりました。

 そして翌日。いよいよアウシュヴィッツ絶滅収容所に到着しました。現地に到着してまず感じたことは「綺麗な場所」でした。事前に映画や写真で見た風景とは異なり、きれいな芝生が植えられ、青空も手伝ってどこかの公園に来たような感覚になりました。

 

 しかし実際に足を踏み入れ、ガイドの方の話や展示物、ガス室、焼却炉、独特の雰囲気から、きれいなのは見せかけだけで、映画で見たあの光景は本当に起こったことなのだと心の底から感じました。

 また、収容されていたユダヤ人たちはどんな思いで、この空を見上げていたのでしょうか…。大半の人は絶望のどん底にいた中、なぜフランクルはそんな状況の中でも生きる希望を失わずにいられたのでしょうか。私にも同じように苦しみの中でも生きる意味を見出すことができるのだろうか…。そんなことばかり考えておりました。

 

f:id:muschool:20171009185705p:plain

そして、場所はビルケナウにうつり、あの有名な「死の門」が見えてきました。死の門をくぐり、目の前に広がっていたのは広大な敷地でした。あまりにも広大過ぎて言い知れぬ絶望感を味わいました。ここでピーク時には9万人ものユダヤ人が収容されていたようなのです。

 9万人ものユダヤ人がたった6000人の親衛隊(SS)に警備・管理されていたようなのです。それだけ圧倒的な人数差があっても反乱を起こすことができなかったのは、SSによる残酷な見せしめの処刑などによる心理的な弾圧、「カポ」などから見える被収容者のヒエラルキー構築による抵抗意識のはく奪だけでなく、

①礼節がなかった ②協力体制が欠如していた ③個人主義が浸透していた
というユダヤ人の性質にも原因があることを梅谷先生から教えてもらいました。

 どれもユダヤ人特有のことではなく、私たち日本人にも必ずある3つの性質に私は恐怖心が湧いてきました。同時に、この絶滅収容所で起きた悲劇をはじめ、ユダヤ人の一連の災禍は「ナチスドイツ=加害者、ユダヤ人=被害者」という片側から見た視点では語ることはできないと分かりました。

 私たちの中に、あの悲劇の種は確実に存在し環境さえ変われば同じようなことが再現してしまう可能性がある。だからこそ、これら3つの点は払拭していかなければならないと強く感じました。

 

 2日間のアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の視察を終え、私たちはポーランドの首都ワルシャワへ向かいました。

 

 近代的な建物が立ち並ぶ街から、旧市街地へ足を踏み入れると王宮や教会、当時の雰囲気がそのまま残る建物はほとんど復元されたもののようです。

というのも、1944年、第2次世界大戦末期に、ドイツの占領軍に対して市民が一斉蜂起しましたが、20万人以上もの人が犠牲になり、街もほとんどの建物が破壊されました。私たちが目にしてきた古い町並みは、第2次世界大戦終了後に市民たちの努力によって忠実に復元されたもののようです。ガイドの方からも何度も「この建物はドイツ軍に破壊された」という単語を聞きました。ガイドの方に話を聞いてみると、ポーランド人の年配の方には強い反独感情を持っている方も多く、まだまだ戦争記憶は薄れることがありません。地続きの国同士が戦争を起こしたということは、今の私たち日本人には決して味わうことのできない感覚です。

 

5.視察研修を終えて

 4泊6日の視察研修を終えて、普段梅谷先生から学んでいることの重要性が改めて肌で感じることができました。

 無関心・無興味でいることがどんなに怖いことか、人に無関心でいることが、

①礼節がないこと

②協力体制が欠如すること

③個人主義が浸透すること

につながり、ユダヤ人の災禍のような悲劇につながっていくことを嫌というほど分かりました。繰り返しになりますが、ユダヤ人の災禍は決して他人事ではありません。

 特に私は、人との関わりの中でどうしても壁を作ってしまいがちです。今は小さな芽でもやがて大きな悲劇につながっていってしまいます。逆に言えば壁を作ってしまいがちな私の性質を変えることで、素晴らしい未来につながることができることも分かりました。

 

・思い出した人にはすぐに連絡してみる

・メールで済まそうと思った人には電話で伝えてみる

・電話で済まそうと思った人には会いに行ってみる

・これを言うと相手に悪く思われないかなと思ったら慎重かつ大胆に声に出してみる

 

 小さな改善ではありますが、今まではやらなかったような一歩踏み込んだ人間関係づくりを心掛け、実践していくことで私の性質を変えていく努力をしてまいります。

 

6.最後に

 帰宅した時、私の姿を見た長男がしばらく硬直して私を見つめた後、号泣しながら抱き着いてきました(笑)

 それだけ帰りを待っていてくれたことが嬉しかったです。

 学びの多い研修に行くことができたということは、待ってくれていた人がいたということに気がつきました。

 

 そして、今回研修に導いてくださった梅谷先生、大変な企画をしてくださった吉岡俊徳さん、現地で素晴らしいコーディネートをしてくださった石川さんはじめ、多くのガイドの皆様、そして一緒に時間を共有してくださった先輩方、報告の場を設けてくださったファイヤー竹本さんと、この幸運に心から感謝申し上げます。

 

<目次へ戻る>