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(7)インシャラー規子

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このアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所博物館の視察研修で学んだこと等を3つの視点で書きます。

 

 

1)私の性質

 アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所博物館の視察研修を、マエストロの会の主査の私が『特別編』として通常の会と区別しておりました。本来なら『特別』というのはスペシャルでなければなりませんが、通常のおまけ編みたいな気持ちで区別しておりますので、幹事は主人で私は関係がない、スケジュールが合わない会員の方がいるのは仕方がないという心でいました。

深く反省しなければならないのは、この“仕方がない”という相手に合わせたような緩い心です。この心は相手のことを思っているというよりも、研修の真の目的が理解できていないことと、相手から嫌われたくない、面倒くさいという気持ちから生まれています。

 

ユダヤ人にはリーダーがいなかった。ドイツにはヒットラーというリーダーがいた、というシンプルな違いが、団体を結束できる・崩壊させる道の分かれ目(分水嶺)があることを梅谷先生から教わりました。自分の職場は結束したいがマエストロの会は勉強会なので“仕方がない”と勝手に線を引いている私がいます。このいい加減な思考と体験が私の性質に組み込まれるだけで何も良いことはありません。

 

アウシュヴィッツ=ビルケナウに収容された人数は、管理している側より遥かに多いはずなのに、脱走を図る者や暴動を起こす者は数えるほどしかなかったと言います。

パーソナルエリアを剥奪され、脱走を図れば連帯責任で仲間が殺される姿を見れば、見て見ぬフリをする『シンドラーのリスト』の一場面です。

今の私も見て見ぬフリしている場面があります。意志を出せば、すぐその場でバーンと殺されるかもしれませんが、同じように死を迎えるのであれば、“私は無理無理”と思わず、コルベ神父のように自分の意志を持てる人間を目指したいです。

 

2)意志がある行為は人を幸せにする

 絶滅収容所を視察で心がグッとなった瞬間がありました。それは収容された人たちから刈り取った髪の毛がうず高く積まれた場所でした。刈り取られるまで髪の毛も生きていたわけですので、その人たちの思いが強く入っているような気がして怖かったのです。

 

ガイドの中谷剛さんが、人の体の一部だった髪の毛が布として加工され、売られ、資金となったことを説明していた時に、視察研修の少し前に聞いた「ヘアドネーション」の話を思い出していました。お子さんが小児がんにかかった知人(男性)が、髪の毛を失ったお子さんのウィッグを作るために伸ばしていた髪を最近切ったのです。サラリーマンの彼は、男性が長髪というだけで奇異な目で見る人が多かったと言いました。能動的な気持ちと受け身の気持ちは大きな違いで、見える風景は変わらないはずなのに、伝わるものが全く異なることを感じます。

ちなみに、大量な靴やかばんが保管されているエリアは写真撮影可能だったのですが、髪の毛が保管されている場所は写真撮影禁止でした。

 

3)起きた背景をもっと知りたい

アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所を観光地の一つのように訪れていた人たちはたくさんいました。(服装から見てそのような感じでした。) しかし、私もその人たちと同じことをしています。過去、広島にも長崎にも行きました。日本に起きた事実を知らなければならない、と思い訪れていますが、鎮魂の気持ちがあったかと言えばありませんでした。博物館を見て、あ~、こんなことがあったんだな、程度でした。

 

 1940年代、アウシュヴィッツ=ビルケナウで多くの人たちが亡くなっていますが、日本も広島・長崎に原爆投下され、多くの人たちが亡くなっています。やり方は異なるにしても、空からチクロンBとは比べものにならない殺傷能力の高い原子爆弾が投下された事実があります。日本人を絶滅させようと思って投下した原子爆弾ではないと思いますが、投下したら多くの人間が死ぬことはわかっていたはずです。被爆された方は今やかなりの高齢者。アウシュヴィッツ=ビルケナウと同じです。私たちがその地に行ったから感じられたように、その時代のその場にいたから見たもの、聞いたもの、臭ったもの、味わったもの、感じたものを語れる人たちがいなくなっています。

 

 無意識に避けてきたのか、知ることも面倒くさかったのかわかりませんが、今、人間が人間を殺さなければならなかった背景を知りたいという気持ちです。

 

このような機会を作ってくださいました梅谷先生、ありがとうございます。

5年は経ちましたが、梅谷先生のお声がけを受け止めていた幹事さん、私たちのサポートをしてくださった石川香織さんに感謝いたします。

 伊藤会長始め、行くことができなかった会員の皆様、全く同じ時間と感覚になることは難しいかもしれませんが、梅谷先生や河野社長が撮影した写真、話、この文章などで感じてくださることを祈念しています。(文章力が足りない場合は、インシャラー規子、書いていることがわからん!とどんどん言ってきてください。)

 

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